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失敗を許容することが大事、はほんとうか?

失敗を許容する企業文化が大事だという。

それが心理的安全性や従業員エンゲージメントを高め、健康経営の実現につながるのだとか。

ほんとうにそうだろうか。結論から述べると「いつでも正しいわけではなくて、たずさわっている業務やプロジェクトによる」のではないか。

もっと簡単にいうと「時と場合による」と思っている。

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もちろん、新たな挑戦のために未知の領域に踏み出すときは失敗はつきものなので、厳しく指摘したり反省を促すことは得策ではない。

高速に失敗して、高速に改善を重ねる、それでいいと思う。仕事に窮屈さを感じるとクリエイティブな感性は失われてしまうからだ。

一方、労務、法律、会計基準など、厳格にルールが定まっている業務の場合でも、失敗を許容することは妥当なのか。

これは、厳格さが求められる業務でミスした個人はどこまで叱責していい、という意ではない。

定められたルールがある業務で失敗やミスが起きるのは、どこか知らないうちに業務手順の段階で理解が歪んでいたり、個人の勘違いだったり、その両方だったりなど、注意深く分析しなければならない事情があることが多い。

最悪の事態は意図的な不正である。ふだんはうまく回っている業務処理がつまづくとき、疑わないといけない事象でもある。考えたくないけれど。

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たとえば「収益認識の基準」がある。会社が売上を立てる条件やタイミングについて定めた会計基準。

この基準について、ときに営業部門と管理部門で見解がくいちがう。

一定条件がそろったタイミングまとめて計上することを「一括計上」という。物理的な商品は、顧客に渡した時点で一括計上になる。

一方で、顧客に商品を渡した後も、3年間は保守サービスを提供する義務がある場合、保守サービス相当の契約金額は、3年間にわたり均等に売上計上する。一括計上に対して「期間対応」ともいう。

営業部門の成績の評価が受注ベースなのか売上ベースなのかは、個々の会社によるけれども、売上ベースの場合、営業はなるべく一括計上したい。3年後に自分がその契約担当である保証はないので、とりっぱぐれしたくない。

本来、期間対応で処理すべき案件で一括計上のニーズが生まれる。しぜんと恣意的な解釈をする営業の人が現われ、収益認識の基準がビミューに歪む。業務処理上のミスが生まれる。

会社の計上ルールなんてものは、居酒屋の壁に貼られた短冊のメニューみたいなもので、時間とともにはがれ落ちるか、または汚れて読めなくなる。

こうした事象で「失敗やミスも仕方ないよね。人間だもの」と悠長にはいってられない。営業や管理の関係者の認識を是正し、社内に通達を出し、過去にも同様の誤った処理が存在していないか、洗い出す必要がある。

居酒屋の店主は、短冊メニューを定期的にメンテナンスする必要がある。

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失敗を許容することで自由闊達な議論がうまれ、創造性が高まり、新規事業のアイデアが生まれるならば、それは好ましいことだ。

ただ、上記の例のように、当たり前に処理されるべき業務手順が守られず、逸脱している場合には厳格な対応が必要になる。もし恣意的に処理をゆがめた人間がいたのなら、そいつは厳罰に処されるべきである。

失敗には、からりとした爽やかな失敗と、ぬめぬめした湿度の高い失敗がある。不適切な処理、不正の温床になる後者の失敗には注意が必要と思う。

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