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「忙しい」という感情表現と4つの反応

すっかりnoteの更新が滞ってしまった。しまった!

3月上旬から複数のインタビュー取材(対面とWeb会議)など、慣れていない仕事で忙しかった。今、3月末になってようやく落ち着きを見せ、書きかけの記事に着手している。我ながら不器用なものだと恥じ入る。

「忙しい」は状況説明にならない

そういえば、サラリーマン時代にも、職場で不用意に「忙しいんですよねー」と言ってしまい、上司から激詰めされた記憶がある。

  • 「忙しい」は仕事が終わっていない理由にならん。

  • 「忙しい」と唱えている限り、お前はずっと忙しいまま。

  • 不愉快だから二度と口にするな。

シンプルに意訳すると、そんな感じ。

ほんとうにごもっともです。忙しいとは、「心を亡くす」という字で構成されている。じつは、忙しいとは状況説明ではなくて感情表現なのだ。

「今、あたしゃ仕事が立て込んでて心ここにあらずやねん! わかって!」

部下からこう言われても、上司の方からすれば、何が障害の原因なのか、どんなリソースが足りないのかわからない。フォローのしようがない。

「忙しい」の先に表れる反応

「忙しい」の使われ方のせいで、絶望的に成り立たない上司部下の会話が、日本中のあらゆるオフィスで日々繰り広げられている、とお察しする。

デスクに座りながら、ややのけ反った姿勢で部下をなじる上司。一方、口を尖らせて「忙しかったんだから仕方ないじゃないっすか」と悪びれない部下という構図。

つい「忙しい」と言いたい部下の人は気をつけた方がいいし、上司は「忙しい」と言いたくなる相手の心に思いを馳せる歩み寄りも大切だと思う。

さて、「忙しい」「心ここにあらず」の状態から、さらに仕事が立て込んだ場合。人にはどのように反応が起こるのか。独断でパターン分けすると次の4つの型だと思っている。

①逃走型

人間には「逃走・闘争本能」がある。ストレスを感じたとき、逃げるか闘うか、取るスタンスがちがってくる。

逃走型の人は、忙しさが一定の水準を超えると、コップから水があふれるように、おたおたと足腰が震える。職場内で泣き出す人はそうそういないけれど、目が泳いだり潤んだり、動揺の様子が見られる。歩き方がもつれて倒れそうになる人もいる。デスクに突っ伏してしまう人もいる。

このパターンでは、本人のこころが平穏に戻ることを待つのが得策である。

②闘争型

闘争型の人は、ストレスがかかると周囲に当たり散らす。不機嫌を察してほしいのか、身の回りの物を乱暴に扱いだす。威嚇するかの如く、パソコンのエンターキーを「ターンッ」と弾く。ちょうどシュレッダーしていてゴミがいっぱいになると、おもむろにシュレッダーにローキックかましだす。

たぶんこういう人は、競馬場で自分の買った馬券が外れたら、半分にちぎって宙に投げ捨てて、紙吹雪を舞わせるタイプである。

一度くらいの紙吹雪なら大目に見ても良いけれど、癖になると紙吹雪を舞わせることに喜びを覚えだす厄介な人もいる。上司の人は、2回目から真顔で注意してあげてほしい。職場は競馬場ではない。

③硬直型

ある一定の閾値を超えて仕事を振られると、硬直するタイプの人もいる。「あれ? 石化してる?」とさえ訝ってしまう。

こういう人の頭の中では、複数のタスクの糸が軋み合っている。脳に損傷が起こっている。アクセルを踏んでも前輪と後輪が逆方向に向かってしまう。

こういうときは急がば回れで、絡み合う糸同士をほどくように、タスクを整理することが得策なのだけれど、まじめな人ほど糸を力づくでブチ切ろうとする傾向が強い。いよいよ脳にダメージが生じ、身動きが取れなくなる。

硬直型のタイプの部下に対して、上司の方は、いっしょに問題を整理してあげることをおすすめする。糸を逆方向に引っぱっても軋んで痛いだけ。冷静になって、第三者が糸をほぐしてあげる、そんなケアが求められる。

④適応型

①、②、③を経験した後に、「けっきょく自分がやるしかない」と、過剰適応しだす。「休日出勤、ナンボのもんじゃい」という勇ましい態度。黙々と資料作成し、月曜日に打つメールを土日の間で準備して下書き保存する。

会社組織にとって、一時的な負荷を請け負ってくれる頼もしい仕事人。仕事を完遂させる責任感がある。一方で、このタイプは本来のキャパオーバーな状況を吸収してしまっているので、慢性的な業務過多を隠してしまう。

若いころは体力で何とかなっても、40を過ぎると体力で「忙しさ」をカバーできなくなる。ずっと適応型で評価されてきた人間が、体力的にも精神的にも我慢の限界を迎え、風船のように破裂したときこそ組織の危機である。

また、管理監督者による時間外勤務の黙認はNG行為なので、時間外勤務手当をしっかり支払う必要があることは、言うまでもない。

ちなみに言うと全部、自分で経験したパターン

これらは他人の揶揄や嘲笑ではない。かくいう自分で経験したパターンである。モレなくダブりなく、忙しいときの反応、振る舞いを並べてみた。

今ふりかえっても、恥ずかくて舌噛んで死にたくなる態度を取った場面がいくつもある。けれど、自分で経験した思い出は、同じような状況に陥っている人への深い共感となり、地続きになる橋を架けてくれる。

だから、能力が低く、脆弱な生物にも利点があるのだ、とわりかしポジティブに捉えている。

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