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怒りとは鍋の噴きこぼれ

会社がちがう(といってもぼくはフリーランスだけど)友人とさいきん飲んだとき、友人が「時代に逆行するパワハラ上司が増えている」といって嘆いていた。同業他社からの転職組らしい。

さいきんも別の部署の部長が、成績の振るわない若手社員に対して「お前のやっていることは会社の利益を詐取しているのと同じだ。今から警察を呼んで捕まるか、ドツキ回されるか、どっちか選べ」と恫喝していたらしい。

「で、その子はどう答えたん?」

「『どっちもイヤです』って」

「そしたら部長は?」

「『詐取! 詐取!』って怒鳴りながらその子の机を蹴ってたんやと」

「『詐取』って言葉、さいきん覚えたんかな?」

「さいきん覚えたてで使いたかったんやろな。アホそうな部長やから。知らんけど」

「さしゅー」

「さしゅー」

「……で、ソイツはお咎めなし?」

「いうても数字はつくるから会社も放置してるっぽい」

「うわぁ……。そんなケースよくあるわなぁ」


怒りをコントロールできないひとは、じぶんのこころの火の番が下手だ

内面にある台所で、パスタかそばを煮た鍋が噴きこぼれそうになっている。でも火力の調節もしなければ息を空気を吹きかけることもしない。そして、こういうタイプに限って周囲の人間に自分の機嫌をとってもらいたがる。本人に代わって台所の管理をせよ、という。

あまり接点が無かったけれど、よく怒ることで有名だった役員の顔を思い出した。

「昔いた役員で、毎日まいにち、ちっさいことで怒ってたからかストレスで円形脱毛症になってた人いてな。それをみて、怒りって自分の身を焼く一種の自傷行為なんやと思ったわ」

「自分の身を焼くだけならええけど、うちの部長みたいに言葉の暴力とか手足出したり攻撃するのはヤバいやろ。今の時代」

「台所で火事を起こすようなもんやなぁ」

「そうなんやけど『自分はこういう性格なんですよね』で済まされてる」

「『俺って火事起こしがちなんですよね』で開き直ってる、と」

「そしてじっさいに許されてる」

「自分の鍋の大きさと火力をわかってないやつがパワー持ったらあかんな」

「ほんまやで。変な会社になってきたー」

負けん気の強い友人は、そんなふうに嘆き、苦そうに酒を飲みほしていた。


怒りと言えばストア派哲学なので、セネカの言葉を引く。

むしろ、君は短い人生を大事にして、自分自身と他の人々のために穏やかなものにしたらどうだ。むしろ、生きているあいだは自分を皆から愛される者に、立ち去る時には惜しまれる者にしたらどうか。なぜ君は、あの高所から君をあしらう者を引き下ろそうと欲するのか。なぜ君は、あの君に吠えかかる男を、卑しく惨めだが、上の者に辛辣でうるさい奴を自分の力でへこませてやろうとするのか。なぜ奴隷に、なぜ主人に、なぜ王に、なぜ自分の子分に怒るのか。少し待つがいい。ほら、死がやって来て、君たちを等し並にするだろう。

セネカ「怒りについて」

当世風にいうと怒りとはタイパが悪い、ということだと思う。短い人生の中で怒ることで周囲からの評価を下げ、四方八方に怒り狂っては時間を浪費している。

セネカは紀元前1年生まれなので、2千年前から怒りっぽい人がいて哲学者を嘆かせていたようだ。しょせん2千年程度では人類全体は賢くならない。現代に怒りっぽい人がいても仕方がない、と諦める判断もある。

ともかく、怒りの業火に焼かれるのは本人だけで十分なので、巻き添えを食らわないよう、怒れる人からは一定の距離を置くことが肝要だろう。まちがってもソイツの台所の管理を任されないように注意しなければならない。