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オタクである自分を認められたあの日まで #3

#3 居場所が欲しかった


小学生・中学生・高校生。
7〜18歳。

この時代というのは不思議なものである。なんとなく周囲に流されて、言われたままに、雰囲気の中で生きてきたのにも関わらず、徐々に自我や社会性が芽生える。そしてその先に人間関係が生まれる。その人間関係の中で、個性のぶつかり合いや強い絆が生まれる。
「多感な時期」と呼ばれたり、「反抗期」と呼ばれたり。人が成長する上で、重要な時期であり、人格形成に大きく関与する。


私は子どもの頃、少し変わっていた。
そもそも前回のエピソード(#2 入り口はイケメンの存在だった)でそれに気付いている人も多いと思うが、一言で言うのであれば、「大人びたマセガキ」だった。周囲とちょっと違い、浮いていたように自分でも思う。友達がキャラクターの消しゴム集めに夢中になっている時に、山下智久のプロマイドを集めているなんて、嫌われるに決まっている(決して山下智久が悪いわけではない)。今考えれば納得がいく。

中学生の時、同じような理由から、周囲と馴染むことができず、つらい想いをする日々が続いていた。当時はネットいじめが流行り出した時期で、まぁ、それなりにいろいろあった。

そんな時に出会ったのが、ヴィジュアル系バンドの世界だった。
友達がヴィジュアル系バンドが好きで、その友達に導かれるようにヴィジュアル系バンドの世界に足を踏み入れた。当時の私にとって、周囲の誰もが知らない未知の世界を知っているその友達こそ、唯一無二の存在のように感じられ、憧れていたのだ。その友達みたいになりたい、と思っていた。誰も知らない自分だけの世界を持っている人になりたい、と。だから中学生になって、徐々に周囲が興味を持ち始めたジャニーズの世界から離れ、ヴィジュアル系バンドの世界に飛び込んだ。


当時、2007年頃のヴィジュアル系バンドは、the Gazetteやアリス九號.、ナイトメアやシドなど、私にとっても原点であるLUNA SEA世代のヴィジュアル系バンドに憧れて、バンドを始めた人たちが多かった。

たくさんのバンドがさかんに活動をしている中で、私が好きだったのは、彩冷えるというバンド。
最初に惹かれたのは音楽性だった。これまで自分にとってイケメンであるか否かが好きになる基準だった私にとって、音楽を好きになるというのは、今振り返っても画期的なことだったと思う。独特の世界観を持ちながらも、かわいらしいメロディーの曲やアップテンポな曲、そしてTHEヴィジュアル系といった曲まで、彼らが奏でる幅広いメロディーたち。そしてそのメロディーに乗る物語を紡ぐような、それでいてメッセージ性を持つ繊細な歌詞に共感していた。その音楽に触れるだけで、知らない世界に連れて行ってくれる感覚があった。

ヴィジュアル系バンドにハマったのは14歳。
所謂、厨二病に近いものがあったと思う。学校という限られたコミュニティがすべて、という世界で生きながら、そこに居場所がなく、息がしにくかった。だから別の居場所が欲しかった。
同時に自分がうまく馴染めない学校の世界で生きる友達とは違う自分で在りたい、という承認欲求がどこかにあった。


ヴィジュアル系バンドの世界、バンギャの世界というのは後にも先にもここにしかない世界観だった。私の人生はこの後も他界隈の推しを見つけ、その世界に飛び込んでいくのだが、ここは独特な世界だった。
“共感性”という言葉がぴったりだ。育ちや日常生活のスタイルが全く異なる。でも心に何かしらの傷を抱え、生きづらさを感じながらも、ヴィジュアル系バンドが奏でる音楽を支えになんとか前を向いて生きようとしている。その音楽やバンドが無ければ、生きられない。本当に心から切実にそう思っているという共通点を持つ人たちがそこにはいた。お互いに多くの言葉を交わさずとも、通じ合える何かが、そこには存在していた。

私にとって、その世界にいることは居心地が良かった。言葉に表すことのできない、表してしまったらすべてが崩れてしまうような、そんなマイナスな感情を、言葉にしなくても共通点として持っていること。それは誰もその傷に触れない安心感があった。

一方で、そのコミュニティの中でも、どの界隈にでもあるカースト争いはあった。推しとなるバンドメンバーとの距離が近い世界であるが故に、本当に熾烈な争いだったと思う。
何かしらのものを抱えながら、自分の居場所を求めているということは「誰かに認められたい」という承認欲求も人一倍強かったように思う。だからこそ、自分が好きなメンバーから認知やファンサなどを求めて、特別扱いされる度合いに伴うカースト争いが存在したのだ。
徐々に音楽や推しへの愛情よりも、周囲のファンから認められるためには、推しと自分の特別な関係を作り出さないと、カーストの中で生き残れない、という思考になる。そして自分しか聞き出せない推しからの情報を、仲の良いファン仲間に共有することで、自分のカーストを維持することが推し活のメインの活動となっていったのを覚えている。
嫉妬、妬み、嫉み、裏切り…。その世界の見えない奥底で蔓延っている黒い感情に気付くと、徐々にそこでも生きづらくなっていった。
今振り返ると、「人が集まる」という社会や組織の根本を学ばせてもらったように思う。


結果として、私は約4年でこのヴィジュアル系バンドの世界から卒業することになる。
その卒業は推していた彩冷えるが空中分解のような形で解散し、活動休止になってしまったから。

最初は推していたボーカルがソロ活動を始めたので、その現場に通っていた。だが、やっぱり彩冷えるのメンバーが5人全員揃っていて、その5人を応援するためにそれぞれのメンバーのファンたちが集まっているあの世界が楽しかったと気付いてしまった。

他のヴィジュアル系バンドを探そうとも思ったが、また新たな世界で1からメンバーともファンとも関係性を築くことに自信がなかった。

そのくらい、彩冷えるが創り出す、彩冷えるのバンギャたちが創り出す世界は、私を特別な存在にしてくれる大切な居場所だった。
「唯一無二になりたい」と思う少女の小さくて歪んだ承認欲求を満たしてくれる大切な世界だったのだ。



ps.彩冷えるは今復活しています!また素敵な音楽を奏でてくれていて、時が経っても私の生活を彩ってくれる大切な存在です。




おけい

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