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オタクである自分を認められたあの日まで #6

#6 夢を叶える人になりたかった

K-POPを好きになり、BIGBANGに魅了された私。魅了された期間は結構長かったように思う。きっとトータルすると、8年近く私の生活の中心だった。その8年を過ごす中で、彼らの存在によって徐々に変化が起こり始める。


G-DRAGONという存在を教祖のように崇めていた私だったが、だんだんその崇拝心の影に隠していた自分自身の欲求に気づき始めていた。それは前回の#4 自己表現がしたかったにも書いた通り、自己表現をして、自分らしい姿で誰かに認められたいというものである。でも私が望む、自己表現とは何か。自分らしい姿とは何か。それが全くわからなかった。そしてどうすれば、自分が望むものが見つかるのかもわからなかった。もちろん、どうすればなれるのかもわからなっかった。そもそもそんな欲求、ほんの一握りの選ばれし者、天性のものをもつ者にしか叶えられないことも。

漠然としたものしか描けない自分にはそんなこと望むことすらできない、と思った私の思考は徐々に変化し始める。

今度はほんの一握りの選ばれし者たちのサポートをする道を歩みたい、そう思うようになった。
どういう形でそれが実現できるのかはわからない、でも、少しだけ具体化された、自分の目標に向け、私は一歩踏み出す。まずはBIGBANGをサポートする方々に目を向けた。幸い、当時大学2年生になった私は、オタク熱が爆発し、ある程度の韓国語ができた。そのため、マネージャー、プロデューサー、スタイリスト、メイク、振付師、ダンサー、トレーナー等、ありとあらゆるスタッフのSNSを見つけては読み漁っていた。「BIGBANGの活動を支えるためにどんな仕事があるのか?どんな役割が必要なのか?」ただそれを知りたい一心だった。
そんな時に目に留まったのが、BIGBANGの公演や音楽活動をサポートするバックダンサーたちだった。BIGBANGのダンサーはBIGBANGが所属する事務所YG ENTERTAINMENTの専属ダンサーとして集められており、男性・女性それぞれダンスチームが結成されている。正直、当時はダンサーの知名度はそこまでではなかったが、現在ではYG ENTERTAINMENTがダンススタジオをスタートしたこともあり、アーティストを超えるのでは?と思うほどの人気を博している。
ダンサーたちはダンスのレベルがとても高いことはもちろん、一人一人個性があり、ファッションセンスもすごく良く、BIGBANGに負けない存在感の持ち主ばかりだった。その中で、私の目を引く存在がいた。あれはD-LITEの武道館でのソロコンサートの時だったと思う。男性4人、女性4人、計8人のバックダンサーの中で、キラキラと輝いている人がいた。踊っていることがとにかく楽しそうで、そこにいる誰よりも、コンサートを楽しんでいることが全身から伝わってくる人だった。一体誰なのか、どんな人なのか、公演中、気になって仕方がなかった。そして私の探究心でフォローしている人たちの中から、その人を見つけた。そして自然と応援するようになっていた。


その人を応援するようになって知ったこと。

それはその人が夢を叶えた人だということだった。

BIGBANGのコンサートを見て、後ろで踊るダンサーに魅了され、「自分もBIGBANGのダンサーになりたい。あのダンスチームに入りたい。」と思った。その時、それが目標であり、夢になったという。そこからその夢を叶えるために、BIGBANGのコンサートDVDを擦り切れるほど何度も何度も見て、ダンスチームに入るためにはどんなダンスを踊れないといけないのか、どんなダンススキルが必要なのか、そのダンス数きるを身に付けるためにはどうすればいいのか、日々それを研究し、練習を重ね、自分のものにしていったという。そしてオーディションを受け、合格し、見事ダンスチームに入ったのである。

文字にすると簡単に思えるが、これは決して簡単なことではなかったと思う。いくら強い信念があったとしても、本当に自分にできるのか?このやり方でちゃんと夢に辿り着けるのか?不安なこともいっぱい、挫折もいっぱいあったのではないかと思う。でもそれを乗り越え、どんな時も自分を奮い立たせ、夢を叶えたのだ。それがどれだけすごいことか。

しかも夢を叶えてからも、決して楽な道のりではないのだ。あれだけのBIGアーティストのパフォーマンスの一部となり、同じゴールを目指して、一つのものを作り上げること、走り続けることは決して楽ではない。要求されるもののレベルや質が高いこと、それを実現することの難易度は半端なものではない。深夜まで続く練習、寝る暇もない程の過酷なスケジュール、プライベートを犠牲にしてでもダンサーという役割に徹する日々、これらを乗り越えて、初めてステージに立てるのだ。こんなことが普通の人間にできるのか?と思うレベルだった。

私はその人のことを知れば知るほど、尊敬すると同時に、成し遂げることのすごさが嫌というほどわかった。なぜなら、自分には到底できないことだからだ。私は何かやりたい、やってみたいと思うことがあったとしても、その裏側で生じる不安や挫折に飲み込まれ、諦めてしまった経験がいくつかあったのだ。小さいことも、大きいことも。だから憧れていた。そして何よりとても尊敬していた。その人のように信念を成し遂げる力を持つ人を。

目標や夢というものは、人それぞれに大きさや重みはあれど、どうしてもやりたいこと、どんなことをかなぐり捨てても実現したいここと、だと私は思っている。自分の手の届く範囲で設定をする人もいれば、自分がまだ見たことのない世界で設定する人もいる。

冒頭に話したほんの一握りの選ばれし者たちのサポートをする道を歩みたいという夢は私にとって、自分がまだ見たことのない世界で、無邪気に設定したものだった。

しかし、その見たことのない世界で設定する夢を叶えることに必要なスキル、マインド、行動力を目の当たりにして、私の心は折れてしまった。自分にはそれだけの強い意志がないかもしれない、と。
この事実に直面した当時、私はちょうど就職活動を迎えていた。選ばれし者たちのサポートをする、という自分の夢を叶えたいと思っていた私は、迷わずエンターテインメント業界を受けていた。元々狭き門だ、と聞いていた業界だったが、もちろん受かることはなかった。この事実を受けて、私はどうにかしてでも自分の夢を叶えたいという強い想いをもてなかったのだ。自分の夢を叶えるためにすべてのものをかなぐり捨ててでも、というリスクをとれなかった。リスクをとるだけの勇気と覚悟を持てなかった。ダメだった。夢を叶える人にはなれなかった。

結局私は自分が抱いていた淡い夢を諦め、周囲の期待にそれなりに応えられ、自分のやりたいことともそこそこマッチしている道を選んだ。「ほんの一握りの選ばれし者たちのサポートをする」という夢を叶える道ではなく、「誰かをサポートする」という同じ雰囲気のある、夢を叶える道の遠くに、平行に通っている道を選んだ。いつかその道が交わる日が来るのではないかと自分に信じ込ませて。

結果として、今振り返れば、その道を選んだことは全く後悔していない。自分にとって宝物であり、財産になっている。ただ当時は正直どこかで自分を誤魔化していたところが少しあったと思う。


この経験以降、夢を叶える力を持つ人と、その力が弱い人の違いはどこにあるのか?ということが、私の中で解き明かしたい謎となった。

そしてそれもまたこの先の未来で、推しに教えてもらう日がやってくるのだった。




おけい

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