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オタクである自分を認められたあの日まで #10

#10  私がオタクで在り続けたい理由

この連載エッセイを通して、約25年間の私のオタク人生を振り返ってきた。自分の人生の変化、成長と共にその時々で私を支えてくれた推したちの存在。そして推しと自分の関係性。改めて振り返ることで、紆余曲折あったけど、どれも現在の自分を作る上で欠かせない存在だったと改めて感じている。

ただただ夢を見せてくれる王子様だったはずの推しが、成長と共に芽生えた「周囲と違う自分で在りたい」というちっぽけな承認欲求を満たしてくれ、居場所を与えてくれるようになった。「誰かに認められること」の安心感を教えてくれた。その結果、いつの間にか推しを推すことに自分の存在意義を見出すようになっていた。その後「周囲と違う自分で在りたい」「唯一無二になりたい」という漠然とした欲求のさらに深いところに、「自分らしさで認められたい」という欲求があったことに気付かせてくれた。しかし、それを実現できるのはほんの一握りの選ばれし者にしかできないという現実も突きつけてくれた。自分はそうはなれないから、せめてもの、と選ばれし者たちのサポートをする道を歩みたいという想いが芽生えたが、それも簡単なことではなかった。そして私にはその夢を叶えるために生じるリスクをとるだけの勇気と覚悟を持てず、夢を叶える力がなく、諦めたのだった。夢を叶える力はない。だけど夢を叶えようと努力する人の魅力を伝えることはできる。推しの夢の実現に向かって、どういう形かはわからないが、伴走することはできる。そう思い、推しの内面にフォーカスを当てた結果、それまで天性の才能で輝く世界にいると思っていた推したちが想像の何倍も何十倍も何百倍も、苦悩と挫折を乗り越え、努力をし続けたその先に今私が見ている輝く姿があるということを知った。やりたいと心に決めたこと、好きなことを貫き、夢を叶えている人であっても、これだけの葛藤をしている。壁にぶつかった時には、なぜそうなったのか?どうすれば良いのか?と自分の思考を深めて、その結果出た考えを実践し、成果を残す。そしてその経験を自分の哲学として心の拠り所にしながら、一歩ずつ着実に積み重ね、成長し、変化してきた姿を私たちは見せてもらっているのだと気づいた。
この事実に気付いた時、私も自分の思考を深め、自分の哲学を心の拠り所しながら生きていきたいと思った。そのためには自分の足で経験を積まなければいけないと。


私は今もう一度、自分の夢を叶えることにチャレンジしたいと思っている。その夢は好きを極めたプロになりたい、というものだ。これまで出会った推したちと同じようにプロとして生きていきたい。ちゃんと自分の歩きたい道を歩いて、自分の哲学を導き出しながら、なりたい姿を目指したいと思う。

いろんな推しを推してきて、いろんな世界を見せてもらった。たくさんの人と出会った。推しの在り方も十人十色、見ている世界も十人十色。そんな中で今の私が推したいと思ったのは自分の哲学を持ち、好きを貫いて仕事にしている人たちだった。かつて自分が目指していたその姿。自分にはなれっこないと思っていた姿。今だって、できっこないをやらなくちゃ状態であることに変わりはない。でも自分が憧れる推したちもたくさんの苦悩を抱え、挫折を経験しながら、自分なりにそれを消化し、糧にしている。天から授かった才能はもちろんあれど、それだけではない。努力と葛藤があるから新しいスキルを身に付け、成長し、新たな活躍の場を得ることができている。決して運と才能だけではない。そんな推しの姿を近くで見ることで、自分もただ推しに憧れているだけではなく、推しみたいに努力を重ねて、推しが生きているプロの世界、好きを貫き、極めた世界を見てみたい。疑似体験するのではなく、ちゃんと自分もそこに行きたい。役割や中身は違えど、同じ体験をしたい。夢を諦めた経験があるけれど、もう一度挑戦したいと思い、いろんなリスクと不安をかなぐり捨てて、決意を固めた。自分の夢を叶えるために一歩踏み出すことにした。うまくいかないかもしれない、自分にはできないかもしれない、でもやってみなけりゃわからない。何か壁にぶつかった時は推しみたいに自分なりの哲学を見つけて、乗り越えていってみたいのだ。


私がこのエッセイを書き始めるとき、「私にはオタクで在り続けたい理由がある」と話した。

その理由は「その人にしかないものを持ち、それを生かして認められている人に憧れているから」

推しは私が生きていく中で、いつの間にかロールモデルと化していたのだ。知らず知らずのうちに。もちろんこれまで書いてきた通り、最初からそうだったわけではない。成長するにつれ、その時々に抱く憧れやなりたい姿こそが推しだったのだ。ある年齢から、無意識のうちに自分が推しにそういった一面を求めていたことに私は気付いた。だから私はオタクで在り続けたいのだ。
オタクで在り続けることによって出会える自分の心の琴線に触れる推しの存在が、自分のなりたい姿の一つの指標なのである。


それまでずっと、大人になってもオタクをやめられない自分にどこか引け目を感じていた。ライフステージが進む周囲の大人と自分を比べ、オタクであること=現実を見ることのできない未熟な人間のように感じることもたくさんあった。現実の世界に満足できていない可哀想な人間のように言われることもあった。だからこそ心のどこかで「オタクはいつかやめないといけない」と自分に言い聞かせていた。でもこの自分の真の欲求の裏返しに気付いたあの日、私はオタクである自分を認められたのだった。私がオタクであることには理由がある。それは自分が自分らしく在り続けるためには欠かせない大切なものなのだと、心の底から思えた。私がオタクであることは自分で自分を理解するためには欠かせないのだ。

今私が推している推しは3人いる。これからの未来、またもしかしたら推しが変わるかもしれない。でも今の私が心の底から尊敬し、応援しているこの3人には何かを依存したり、縋ったりするのではなく、悩んだ時、迷った時に立ち戻れる存在として大切にしたい。生き様に触れることでパワーをもらい、自分の歩むべき道の道標になるのだから。


推しを推すことでしか自分の存在意義を見出せなかった自分とは、これで完全におさらば。推しと並行した世界線で自分の足で立って、歩んでいきたい。そしていつか推しのように、“好き”を極めた人間になりたい。その一歩を、今踏み出すのである。


いつか必ずそちら側に行くよ。
私の尊敬する推したちがいる、誇り高きプロの世界へ。




おけい

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