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#0306 誰の視点で物事を捉えるのか

私の推し、松村北斗は文学青年だと思う。
本以外に楽しめるコンテンツが溢れるこの世の中で、彼は本をこよなく愛し、読書が趣味のようだ。その背景には周囲と上手く馴染めず、周囲と自分の間に境界線を作るために読書に没頭していた、なんて話もあったりする。

ただ、彼を見ていると、彼の感性を支える上で文学の存在はとても大きいように感じる。音楽への表現は歌詞の深い理解に支えられ、俳優としての演技力は人物像の深い理解に支えられているのではないかと思う。

だからこそ、彼を形作っている彼の感性に触れてみたいし、覗いてみたいという気持ちになる。

そんな気持ちで一冊の本を手に取ってみた。


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西川美和 著『永い言い訳』

映画化もされたこの物語。大学時代、映画館でアルバイトをしていた時、上映されていたのは知っていたものの、物語までは知らなかった。

映画の展開はわからないが、書籍での物語の展開は独特なものだった。通常の小説だと主人公あるいは第三者の視点から話が進んでいくパターンが多い。
だが、この物語は主人公はもちろん、主人公と関わる複数の人の視点から、一つの出来事が語られる。そしてその出来事によって変化する主人公の様子も複数の人の視点から語られていく。
ある同じ物事を見ても、どのように感じるかは人それぞれ。他者にはどう見えているのか、本人はどう感じてるのか、答え合わせをしながら物語を確かめていくような展開だった。
小説という感情が交錯する世界において、複数の人の視点から感じ取ったものを確認し、物語が進んでいくのは、物語に深みが出たように感じた。


ストーリーは下記の通り。

作家の衣笠幸夫は、妻の夏子が友人とともに旅行に出かけるのを見送ったその日に、彼女が事故死したことを知らされる。もっとも、彼女のいぬ間に不倫行為に没入していた幸夫にとっては、さして悲しい出来事ではないのが実情だった。それでもマスコミの手前悲劇のキャラクターを演じていた彼のもとに、夏子の友人の夫、陽一が電話を寄越してくる。トラック運転手である陽一はふたりの子供を抱え、妻を失った事実に打ちひしがれて同じ境遇の幸夫と思いを分かち合おうとしたのだ。執筆に情熱を注ぎ込めない幸夫は陽一のアパートを訪ね、中学受験を控えた長男真平と、その妹である保育園通いの灯のことを知る。家事の素人である陽一は母親役を兼ねられない、と見てとった幸夫は子供たちの世話を買って出た。

器用に対応をこなし、子供たちの信頼を得てゆく幸夫。家事に没頭するなか、幸夫はこれまでにない暮らしの充実感を味わっていた。だがある日、妻の遺したメッセージから彼女が幸夫をもう愛していなかった、と幸夫は知り、絶望感に襲われる。おりしも灯の誕生パーティーにあって、陽一父子の助けになろうとした学芸員・鏑木も加わった団欒の席上、幸夫は疎外感から暴言を吐き陽一の部屋を飛び出した。決別ののち、自堕落な生活を送っていた幸夫のもとに、真平からの報せが届く。幸夫が去ってから父子の家庭は荒れ、真平との口論のすえ彼を殴ったまま仕事に向かった陽一は事故を起こしてしまったのだ。幸夫は警察に向かい、陽一の無事を見届けてひとまずは胸を撫でおろすが、冷静になった頭でもう陽一たち家族に介入してはならぬことを悟るのだった。


人はどういう時に他者からの愛を感じるのか。

人それぞれあるとは思うが、愛を感じる瞬間の一つに「誰かに必要とされる」というものがある。自分を必要としてくれる存在がいるか、自分が誰かに依存してもらえる存在であるか、持ちつ持たれつの関係を築ける相手がいるか。単に好きという感情だけでなく、そういった精神的な結びつきの有無が愛情の深さを人に印象付けるのではないかと思う。
人は一人では生きていけないから、「愛する」という動詞の裏にある愛した先にあるものこそ、相手との関係性なのではないかと思った。

松村北斗は、人間の根源的な欲求の交錯が垣間見えるが故にこの物語が好きなのかな、なんて思ったり。


と同時に。ふと思い出したことがあった。

SixTONESの5th Single『マスカラ』の発売の際に「SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル」の企画でやっていた「マスカラ劇場」の松村北斗の作品。

カップルがチャットでのやり取りの中で、文章の最後に「僕」「私」とつける“二人だけの”という特別。

もちろんこれはカップルのお互いを想う関係性の特別感を演出するものではあったと思うが、「僕」「私」を明文化することで、視点を強調したかったのではないかと思った。

マスカラ劇場はSixTONES6人がそれぞれに物語を作り、繋いでいくもので、それまで「僕」の視点で物語が進んでいた。そこに「僕」「私」を明文化することによって、主人公の「僕」だけではなく、恋人である「私」はどういう気持ちでその文章を打ったんだろう?と視点を切り替えさせる仕掛けが彼のマスカラ劇場の中にはあったのかもしれない、とふと思ったのだ。

真相はわからない。でも文学青年の彼だからこそ、物語を紡ぐために生み出せた引き出しだったことは間違いない。

対峙する人の気持ちや考えを想像する、そんな能力に長けていることは日々のインタビューから感じてはいたが、その想像力を豊かにしている要素の一つが読書なのだろうと思った。


松村北斗の脳内、覗いてみたい。




おけい

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