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じぶんさがし その5


夢をもつということ


大きくなったらなにいなりたいの?

子供の頃よくこんな事聞かれた覚えがある。

自分はなんと答えたのだろう。

きっとお花屋さん、とかケーキ屋さんとか、
そんな感じだったのではないかと思う。

小学校の頃に「将来の夢」と題した作文を書かされた。

多分多くの人が一度は書いていると思う。

その頃の夢をまだ覚えているだろうか。

自分は子供の頃から犬猫などの動物好きで、可愛がるのはもちろんだけど、怪我をした野良猫や事故に遭った犬などを動物病院に運び込んだことが何度かある。

その時に動物のお医者さんってすごいなーと感心し自分もそうなれたら多くの動物を助けてあげられるのに、と憧れを抱いた記憶がある。

自分の子供の頃の夢は動物のお医者さんだった。

その夢はとても曖昧で漠然としたものだ。

夢の中の自分はスーパードクターだった。

成長するにつれ、獣医師になるためには難しい大学に行かなければならないことや、解剖や手術などの実践が必要なことなどが分かってくると、次第にその夢は萎んでいってしまった。

まだ中学生くらいの時に何となく自分には無理そうだと決めつけてしまったように思う。

それからの自分は、何者になりたいのか、どうやって生きればいいのかよく分からないまま大人になってしまった。


オリンピック選手やサッカー選手などのアスリートは、子供の頃から実際に練習などをしていて明確な目標を持つということが自然だったのだろう。

有名選手になると必ずと言っていいほど小学校の作文が出てきて、Jリーグ日本代表になって世界で活躍する!とかオリンピック選手になって金メダルを取る!とかが文章にでてくる。

明確な目的を持って未来を見ていたから、そこに至る道筋がはっきり見えていたのかなと思う。

正直うらやましいなと思った。

だからといって他の夢を否定している訳ではない。

パン屋さんになりたくてパン屋さんになることだって、立派な夢だ。


ただ自分の夢はなぜ叶えられなかったのだろうと思う。

多分その夢に対する情熱や突き進む意志の強さみたいなものが自分には欠けていたのだ。

何一つやりもしないうちから諦めてしまった。

夢なんかなくても生きていけると開き直った。


「将来の夢」とググってみると、何を達成したいのかという明確なゴールを持つこととあった。

そうか、自分には「絶対達成したいと思うような何か」がなかったからなのか、と腑に落ちた。

「夢=達成したいゴール」であるならば、今これから夢を持ってもいいと言うことだ。

夢は子供だけが見るものではない。

いつでも、どこからでも、何歳であっても、夢見ることができるのだ。

自分には夢などないとがっかりすることはない。

まだ巡り会っていないだけかも知れない。

夢を探そうと思うのならまず歩き始めることだ。

うつむいて歩くのではなく、青い空を見上げてやってみたいことを想像しながら歩こう。

眠っている好奇心を起こして自分の好きを探してみよう。

それが楽しくてワクワクする様なことなら、その想像の延長に夢がある。


何度だって夢を見たっていいのだから。



今日も読んでくださった方ありがとうございました。


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