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音楽よもやま話-第14回 YUI-過ぎてきた日々全部で 今のあたしなんだよ

どこかにあるはずの未来の鍵を握りしめ…

2007年2月某日深夜、インフルエンザを発症していた僕は寝込んでいた。このまま死ぬんじゃないかと思うほどに連夜続いた高熱も、発症三日目ともなれば随分と下がっており、関節痛も和らいでいた。それはだいぶマシという程度のモノだけれど。それよりも僕を心底悩ませていたのは、恐ろしいほどの退屈な時間だった。睡魔の方が飽きてしまうくらい、彼とは夢の中で遊び倒し、起きている間に暇つぶしに読んでいたマンガ「花より男子」も全巻読み終わってしまっていた。録画しておいた松潤のTBS実写ドラマ2期も放送分まではしっかりチェック済みでもあった。僕の地域ではフジテレビの月9ドラマは月曜9時に放送してくれないけれど、TBSの金曜ドラマはちゃんとした時間に放送してくれていた。だから金曜の放送も体調さえ良ければリアルタイムで見ることが出来るだろう。なにも、別に学校で話題であげられるような友達がいるわけではないのだけれど。

その時の僕はインフル罹患者でなくとも学校に行きたくない時期が続いていた。誰だって学校に行きたくない理由なんていくらでも上げることが出来たでしょ? 学校中に広まった僕のくだらない失恋話をいつまでもクラスメイトにいじられ続けることは、地味に辛いことだった。前年末に、新しく入り直した運動部の部活にも未だ慣れていなくて、練習に向かう身体は重かった。いつのまにか友達と呼べる人間はもうほとんど残されていなかった。そして、そういうプライベートなことは、親にも誰にも相談できないようなことなんだ。分かるでしょ? 大丈夫な、そんなわけないでしょうにねぇ。帰りのホームルームが終われば、部活をサボって帰宅しよう。そうしよう。ポケットの中の合鍵をチャラチャラさせながら言い訳を考える毎日だった。

さて、下の階からテレビを見る家族団らんの笑い声が聞こえてくる。だからって降りて混ざるわけにはいかない。ウチにはネットも引かれていないからパソコンは無用の長物である。僕はケータイだって持っていない。さっきも言ったけど、漫画もあらかた読みつくしたし、小説は現国の授業で触れる分でじゅうぶんだ。てなわけで僕は枕元のFMラジオをつけるしかなかった。そういえば、この時間帯はたしか「SCHOOL OF LOCK!」をやっていたはずだ。そうしてチューナーを合わせるためにつまみを回す…。おいおい。ラジオのつまみを回すだなんて随分昔の出来事みたいじゃないか…


丁度やましげ校長とやしろ教頭がYUIの新作アルバム(CAN'T BUY MY LOVE)のテーマについて紹介しているところだった。

やがて流れ始めるメロディ。そこに重なる優しい歌声。それはブロンズ弦をフェルト布みたいに柔らかい指で弾いたような…。少しだけ諦観に彩られたエッジを時々見せるハスキーボイスと、甘い幼さを蹴とばすような堅い決意に満ちたミドルトーン…。彼女の歌声は、高熱によって幾分変性してしまった僕の脳細胞どうしのすき間に心地よく流れて、僕は満たされた気分になる。恋したんだろう、たぶん。

こうして出逢ってしまった。


天使の琴声を聴いた時に

この文章を書きながらぶっちゃけてしまえば正直な話、10年ぶりくらいに聴いた曲だっていくつもある。というかそういうのがほとんどだ。そんな10年の間に僕の人生には笑い飛ばせないようなことがいくつか起きた。昨日まではトラブルなんてのはどこか遠くの方にいて、度々連絡を取り合っていただけのようなものなのに。このぶんだと明日も泊まらせくれるよな、とトラブルが僕の寝床で勝手にマンガを読みながらウィンクしてくるような(「マジ、やってらんないよな」とトラブルは同情してくる)、頭を抱えたくもなるような毎日が続いたこともあった。

それでだ。改めて聞いてみると、あの頃見た風景が強烈な閃光を伴って目の前に蘇るみたいだ。曲と、ジップロックで真空パックされたあの頃がイヤフォンコードで真結びにされて無理矢理に繋がっているんじゃないかってくらい、それらは強く結びついている。


真夏のあまりの暑さで校舎から伸びている電線がたゆむんだよ、その垂れ下がった曲線を見上げながら聞いた。首筋を流れる汗の軌道と不快感を覚えている。1000円もしないイヤホンをつけて坂道を自転車で下りながら聞いた。まるっきり交通違反だけれど。口を閉じていなければ、細かい羽虫が、クジラに取り込まれるオキアミのごとく侵入してくる。煩わしいったらありゃしないよな。
学習塾の駐車場で授業開始ギリギリまで車の助手席でイヤホンをしながら聞いた。鬱屈とした雰囲気なのは反抗期の自己中心的なわだかまりのせいであり、運転席と助手席の間には見えない壁があった。

僕はケータイを持っていなかったから、絵文字の種類もそんなに分からないし、メッセージを指先で送るということがどういうことなのか、高校生になるまでイマイチよく分かっていなかった。そして高校生になる頃にはすでにもうau LISMOのcmソングはflumpoolやGalileo Galilei、ねごとをタイアップ・アーティストに据えていた。まぁ高校生になってもケータイは結局買ってもらえず、親のケータイを使っていたけどな。高校生の96%は自分のケータイを持っているのだ、だから自分も持って然るべきだと涙ながらに親に懇願した記憶があるが、まぁその話は今はどうでもいいだろう。僕の世代ならなんとなく分かってくれるだろう。

僕が今抱えるひどく複雑な悩みと、思春期の悩みが軽くオーバーラップして、微妙な共鳴を成している気がする。でも、ひと呼吸入れてもう一度繰り返して聞いていくうち、「そうかこの曲たちはあの頃の自分の逃げ道だったんだな」と大事なことを思い出した。色んなことから逃げ、逃げ込んだ街角で聴いては自分をなんとか奮い立たせてきた。やるしかないんだよ、ほんとにって。自分の良き理解者であり代弁者だったんだよな。”天使の琴声”を聴いたその時に、雲のすき間から光の梯子がスルスルと降りてくるみたいに陽だまりの場所を示してくれた。それはきっと今でも陽だまりの場所を示してくれる気はしているんだ。

人生ではじめて買ったCD

2008年になると、2007年の鬱屈した状況はどういうわけか一変していた。逃げるようにGEOに赴き、せっせと自分のための音楽を借り漁っているうちに時間は過ぎていき、2008年になっていた。今もって振り返ってみれば、2008年は僕の人生における一つのターニングポイントだったと言える。いやいやながら続けていた運動部での部活動も、中体連という目の前に用意された舞台が終わっちまえば、サヨナラを告げられる。通学カバンの底で絡まるイヤフォンのようにこじれた人間関係も、進級するとすっかり解消されていた。僕は学校と塾の授業さえ聞いていれば、県内の進学校にまずまずの成績で合格できそうなくらいにはそれなりには優秀だった。14歳の立志式という古めかしい行事も前年に終えたことだし、義務教育最終学年にもなると、僕はずいぶんと見た目以上に背伸びした気持ちでいた。それでいてつま先がちっとも疲れないのはどうしてなんだろう。

MDの時代はとうの昔に終わっていて、前年の誕生日に買って貰った1000曲も収録できるという4ギガバイトの第2世代のiPod nanoは、僕にとってちょっとした武器であった。夏にはもう第4世代が発売されるという。

3月になってチャットモンチーの「ヒラヒラヒラク秘密ノ扉」とYUIの「Namidairo」のマキシングルを借りたその手で、YUIの3rdアルバムの予約シートに筆を走らせる。4月の発売日になると、駆け足で入店した。レジ打ちのバイトくんの眼前に、4000円近くの大金をニヤケ面をしながらCDに出せるくらいには、お小遣いも自信も貯めてきたのさ。

僕が人生ではじめて買ったCD、「I LOVED YESTERDAY
赤いフェンダーのテレキャスを支えながら、マトリョーシカみたいになったダンボール箱の真ん中でうずくまるYUIが写ったCDジャケット。これはDVD付きの初回生産限定盤のジャケット。このプラスチックケースが大切に梱包するCDはいわば未来への鍵だった。僕は鍵を握りしめ、自転車を漕いだ。片手運転はもちろん交通違反だけれど。早く家に帰って歌詞カードと睨めっこしながらじっくり46分向き合いたいのだ、と。

それは、ギフト

正直なところ、数年ぶりに聴いた曲だってあるんだよ。あんなに大好きだったのにどうして聴かなくなったんだろうと少し不思議に思う。あの頃、自分を指し示す等身大スケールの言葉を探し出すことはつゆ叶わず、だけどこれらの曲たちがその名も無き言葉たちの代わりになった。それでも、どうして聴かなくなったのかと問われればそれはたぶん、時間が手放させたんだろう。これらの曲たちが指し示すのは、あの時代そのものになってしまったのだ。あの時代に取り残された、少しだけ背伸びした僕らの姿だ。

永遠に続くかと思われた、メールの件名に連なるRe:Re:Re:Re…。次の文面を考えながら。海沿いへ向けて風を切って進んでいくチャリンコ、車輪の廻る音、ギアをチェンジするカチッという音、ビューッという疾走音、それらすべてを内包して響く歌。真夏の、融解したビターチョコレートみたいなアスファルトの上に、アイスクリームの滴と、伸ばした前髪から滴り落ちる汗が一緒くたになって奇妙な図形を描く。バランスを崩さないように慎重に漕ぎながら、荷台に乗っけた大切なものに声をかけてみたり。それは全くの交通違反だけれど。授業が始まるまで、互いのiPodとWalkmanを交換しながら、相手のことを少しだけ知れた気がしたり。夢想家みたいに無責任な願望を詩にしたためたり。星の夜、堤防を歩きながら悩みを打ち明け合ったり。早く迎えが来ないかなと、学習塾のエントランスの屋根の下で空から落ちてくる銀色の雨を眺めていたり。そんな時、僕はよくYUIを聴いていた。


サブスクリプションの音楽配信アプリを開き、ワイヤレスイヤホンでアルバム曲を改めて聴いていると、あの頃過ごしたシーンが、セピア色のレイヤーのかかったフィルム映像が巻き取られるみたいに次々と目の前を通り過ぎていく。音楽と、フィルム缶に収められたあの頃の日常が、何か見えない糸で繋がっているみたいに、それらは優しく結ばれている。


でも目を凝らして見てみれば実のところ、それは綺麗なリボンの蝶結びになっていて、ゆっくりと解いてみれば、図らずも笑顔になってしまうような思い出を包んでいてくれたことくらい、わかっているんだ。

そのくらい、ほんとのところ僕らは分かってんだ。


最後に

YUIの曲を聴いて思うに、僕らはなんだかんだ、ちゃんと悩み、ちゃんと笑い、ちゃっかり逃亡し、しっかり立ち向かい、愛したことも憎んだことも丸ごと抱きかかえ、昨日今日明日へと続いていく毎日を過ごしてたんだな。

過ぎてきた日々全部で 今のあたしなんだよ
カンタンに 行かないから 生きていける
LIFE/YUI

白けてしまうのを承知で、ありきたりな常套句を言わせてもらうと、そりゃもう青春だったんだなあと思い返せる。


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