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制作における「肉って気分じゃないんだよな」問題

夕食は何を作ろうか悩んで、家族に聞くも「別に何でも良いよ」しか返ってこず、頑張ってハンバーグを作って食卓に出したら「肉って気分じゃないんだよなぁ」という言葉が返ってきた。

そんなエピソードが職場で話されていて、その場の人達はおおむね「許せないよね」と作り手に共感していた。

でも、制作の現場では割とよくあり、それなのに作り手への共感は乏しい。ハンバーグ問題に憤慨していた人でさえ、制作の依頼者になると平気でやる。

作った後で変えるのは大変なんですよ

書くのもアホらしいくらい当然のことを書く。実は、作った後で変えるのは大変なんですよ。

和風ハンバーグが完成した後で「和風おろしの味付けはそのままでいいから魚料理に変えて」とリクエストしたら、材料は無駄になるし、基本的にはイチから作り直しになる。

でも、デザインでの「明るい色に変えて」や、映像制作での「BGMはもっと明るいので」を制作の後半で悪びれもなく言ってくる人はいる。1か所を差し替えるだけじゃなく、周辺のバランスとかタイミングとか調整しとんねん。

一般化すると積み木のイメージに近いだろうか。土台を丸から三角に変えるだけだとしても、上に積んだ後ではいったん解体しないと差し替えられない。

それなりの想像力を持っているか、一度でも自分で作ってみたことがあれば言わずとも分かる。でも、想像力や経験も人それぞれで、節の冒頭に書いた「当然のこと」も人によって違うのだ。

作り続けると欲しいものが言えるようになる説

「お客さんは自分の欲しいものを知らない」というヘンリー・フォードの言葉を借りるのは大怪我かもしれない。自炊に世界初レシピの開発なんて求めないし、ちょっとしたWebバナーや動画制作に斬新でイノベーティブな表現なんて求めない。

それでも確実に言えるのは、作り続けると対象を意識して日々を過ごし、要求に応える表現の引き出しが肥えるということだ。

仮説として、作り続けることを通して、欲しいものが言語化できるんじゃないか。対照的に、作らない側の人は、出されたものに対して後出しで「気分じゃない」としか言えないんじゃないか。

それでは作り手が不憫すぎる。時間にせよ技能にせよ、自分だけでは出来ないから作ることをお願いしているのだ。もっと作る人が報われてほしい。何か策はないのか。

プロトタイピングは銀の弾丸となるのか?

プロトタイピングによって解決できる望みはある。簡単に言えば、手間をかけずに完成形をイメージしてもらうためのモノ(プロトタイプ)を用意して評価すること。

例えば、レシピサイトに載っているハンバーグの写真を見せながら「これ作ろうと思う」と見せれば、気分じゃないかどうか作る前に分かる可能性が高い。

上手くいくケースもあったけれど、制作の現場ではまったく機能しないこともあった。プロトタイプを作ること自体は作り手の役割だけど、それがうまく機能するためにはお互いの思いやりや心意気が要るという話をする。

プロトタイピングが機能しない事例

① 忙しくて観る暇がなかった

私が経験したうち、一番ひどいのがこの「忙しくて見る暇がなかった」ケース。こういう人は制作を依頼するべきでないし、もし依頼するなら成果物に意見しちゃいけないと思う。

「正しいものを正しく作る」に分解すると、前半の確認を放棄したのだ。正しく作られたとすれば、何であれ美味しく食え!以上!

② まだ仮版だと思ってました

途中のレビューで言わなかったことを、完成間近になって怒涛の指摘をしてくる人がいた。目に余るので場を設けてヒアリングしたところ「まだ仮版だと思ってちゃんと観ていなかった」と話した。

作り込みではプロトタイプは本物に劣るため、評価する側も負担が増える。実機よりも仕様書を読んで振る舞いを想像する方が大変だし、絵コンテを見て仕上がりの動画を想像するのは大変。

想像力を総動員して完成形をイメージする気概がなければ、プロトタイピングは上手くいかない。関係者が思いやりを持って歩み寄って初めて成せる。

共感の原動力として、積み木が無に帰すような虚しい原体験がある。何らかの分野でそれを味わったことがあるなら、想像力を水平展開してほしい。

そして、仮版こそ本気出してチェックしてほしい。プロトタイピングに関する思想を地道に啓蒙することも必要である。

③ 未対応なのか方向性が違うのか判断が付かない

正直、こんな人がディレクションしても上手くいかないと思う。…と言っていたらいつまでも平行線のため建設的に考える。

分からないからとスルーするのではなく、しつこく聞いてでも勘所を掴もうと喰い付いてほしい。

作り手としては土台の段階で「それは対応する予定」と言うのは嫌じゃないし、「それは対応しない予定」だったものでも序盤なら考慮する余地もある。基本的にはお互い幸せになる。

④ こんな中途半端なもの偉い人に見せられない

大きな組織あるあるとして、承認者が何重にもいて、上に上げるために作り込みを求めるケースがある。

私が思うに、予算とるため決裁あげる時点で、誰に何を頼んで何が仕上がるか説明しているだろうし、そこで通ったなら偉い人が細かいとこ見なくていいと思う。

 未完成でも上げる担当者の気概と、それをレビューする承認者の気概を求めたい。突き詰めれば①のケースと同じで、偉い人だろうとプロトタイピングに参加する気概がなければ意見すんなと思う。

もしくは、予算と納期に糸目をつけないならば許す。

駄目出しすることがディレクションではない

出来上がったものにいっぱい駄目出しすることがディレクションだと思っている人は割といる。吐いて捨てるほどいる。駄目だしすることで「自分は仕事した」とでも思っているんだろう。

私もやってしまいそうになることがあるので、自戒を込めて言うと、それは無能がやることだ。

着手の段階で自分が食べたいものを的確に表現する。分からない場合はお試しパターンの振り方も盛り込む。誰に頼んでどう作るかをコントロールする。信頼と敬意を持って、正しく作られたものは美味しく食べる。

仕事でも生活でも、作る人も食べる人も、お互いに気持ちよくできればいいなと願う。

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