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私が若い時から言われ続けていた「これからは女性も男性と同じように」という言葉

私は中学・高校と女子校に通い、理系の大学を卒業し、販売系の会社に就職。あえて事務職は希望せず営業で、男性が多い職場で女性1人だけで働いたこともあります。そんな私の目線での、「女性も男性と同じように」のリアルを時系列で書きたいと思います。

中学・高校時代

中学校・高校で特に覚えていることは、生理痛でも体育の授業を休ませてもらえなかったことです。「これからは女性も男性と同じように働く時代だから、生理痛なんかで休んでいてはいけない。」と言われていました(ものすごく生理痛の重い人は特別に休んでいました)。高校時代、数学が好きだった私は、なんの躊躇もなく理系クラスを選択。6クラスあるうちの1クラスだけが理系でした。

大学時代

大学時代は、男女分け隔てなく楽しく過ごしていました。研究室の仲間たちとは今でも飲み仲間で、最近もリモート飲み会を楽しんだほどです。今振り返ると、男性も女性も関係ない雰囲気はここまででした。

社会人時代(新入社員時代)現場下積み

入社する時、「女性も活躍しています」と説明がありましたが実際に入社してみると私が希望した営業部門には女性社員2名だけでした(男性は200人くらい)。配属初日「女性だからって気を遣わずに、どんどん仕事を振ってください!」と上司に言ったのを覚えています。上司は他の男性社員と同じように呼び捨てで呼んでくれて、いろんなことに挑戦させてくれました。異動した後、「お前には相当気を遣っていた」と言われましたが(笑)、本当に良い上司に恵まれました。

社会人時代(入社2〜3年)仕事の基礎を学ぶ

現場での営業を2年ほど経験した後、私は本部に異動しました。本部で女性は私一人だけでした。やることは男性が作った書類をチェックすること。営業部門にはいるものの、中身は事務的な仕事でした。本部では女性は制服を着なくてはならず、男性のように外回りに出かけることもできませんでした。仕事内容に不満はありましたが、誰もやったことのない仕事だったので一からルールを決めたり、書類を作って上司に提案したりすることは楽しかったです。

社会人時代(入社4〜7年)キーワードは「女性目線」

この辺りからある一つのキーワードが盛んに言われるようになりました。それは「女性目線」。女性の視点を商品やサービスに活かす取り組みが、どの企業でも盛んに行われるようになりました。営業部門に女性1人だった私は、当然この取り組みに強制的に参加させられました。重要なことを決める会議に突然呼ばれて、「どう思う?」と聞かれ、「こう思います」と意見したことが基本全部通るという、恐ろしい現場でした・・・(笑)私も自分が思ったことをなるべく素直に言うようにしました。でも徐々に、「でもこれって私一人だけの意見だよな・・・これでいいのかな」と思うようになり、会議に呼ばれることをストレスに感じ始めます。男性たちが一生懸命考えたことを、私が「女性だから」という特権を使って好き勝手言うので、男性たちからは相当煙たがれている存在でした。ご機嫌取りに来る人がいたり、裏で熱い議論をかわしたり、今では良い思い出です。

会社の上層部の方々に「女性の意見も大事だな」と思ってもらえる良いきっかけになりましたし、女性の採用数もどんどん増えていきました。この頃、女性社員の制服はなくなり、私服通勤になりました。男性と一緒に現場に出かけ、色々なことを吸収しました。

社会人時代(入社8年〜11年)「女性目線」から「顧客目線」へ

色々な提案をすることが好きだった私は、企画部門に異動し、マーケティング業務の立ち上げの一員として仕事をすることになります。私の意見だけでいいのかなと、ストレスに感じていたことを解消する良いチャンスでした。アンケートやデータ分析をおこない、「お客様はこう感じている」と言うことを客観的に説明することができるようになりました。この頃、私は管理職に昇進しました。同期の男性で管理職はほんの一握りでしたので、早い方だと思います。自分の実力だけでなく、女性の管理職比率をあげる取り組みがあったり、上司や環境に恵まれた結果だと思います。

妊娠時代(入社12〜13年)

プロジェクトの立ち上げを担当していた頃、私は妊娠しました。結婚4年目にして念願の妊娠で本当に嬉しかったです。会社に報告すると、「戻ってくるまでやっておくよ」と快く受け入れてくれたことが嬉しかったです。いろいろなことに興味がある私は、せっかくの育児休業期間、子育て以外にも何かできることがないかと探していました。保育園に落ちて育休延長し、メルカリでの不用品販売やAdobeソフトのスクールに通ったり、編み物や手芸に勤しむ日々でした。

ここまでは「子供が保育園に入ったら、男性と同じように仕事するんだ」と思っていました。

育児時短勤務時代(半年)

運が悪いことに、育児休業中、「戻って来るまでやっておくよ」と言ってくれていた上司たちが全員別の部署に異動してしまい、休業の間にプロジェクトも自然消滅してしまったようでした。

配属を決める人事の方に次の言葉を言われたことで、私の中の「女性も男性と同じように」という考えが消えていきます。

「女性が育児しながら仕事するのは本当に大変だから」

同じ仕事に戻れないとしても、もともと営業部門で仕事していたので営業に戻るつもりでいましたが、復帰先は、今までと全く違う事務の仕事でした。戻りたい、と相談しましたが「無理だよ」と淡々と言われ腹が立ちました。なんであんたに無理って言われなきゃいけないんだ・・・。「無理」と言う言葉を簡単に言う人は嫌いです。。どこにも相談するあてもなく、これからどうしていこうか考えを巡らせる日々。淡々と作業をこなすだけの事務職でありながらも、管理職の給与が支払われていました。時短なのに、直属の上司よりももらっていました。今まで頑張ってきたから、もらっておけばいいんだよと友人に言われましたが腑に落ちなかったです。

配属初日に「こんなところで働いてないで辞めちゃえば?お金あるんでしょ?」と言われたのもショックでした。

今まで一緒に働いていた上司や仲間が私のところにきて、「えっ?なんでここにいるの?」「何やってんの?」「誰ですか?(笑)」「やめないでね」などと言われたことも辛かったです。心配してかけてくれた言葉なのでしょうけど・・・。

そんなことがあり「女性も男性と同じように」という言葉は私の中で完全消滅しました。

現在

退職した今、これから開業するべく準備をしています。週5日で働くつもりでいましたが、新型コロナウィルスによる外出自粛期間を経た今、もっとペースを落とさないといけないなと感じ、週3日で働くことに決めました。

「女性も男性と同じように」と中学時代からずっと言われ続けてきた言葉から解放され、スッキリした気分です。今のところ全く後悔はありません。

私は私らしく、住んでいる家を守りながら、生活に必要な最低限のお金を稼いで、楽しい毎日を送っていくつもりです。日々を大切に生きていきます!

長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます♪

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