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曇り温もり時々恋 処により…

〜珈琲とか恋とか冷めるとか ver.31文字以上〜


どのぐらいの年月を掛ければ、こうなるのか。
テーブルは、由緒ある寺の床のように黒光りしていた。
祖父母の家にもなさそうなレトロ感のある窓硝子からは、「もうすぐ夕焼けがはじまります」という合図が、テーブルに複雑な影を落としている。

ケイは、影をぼんやり眺めながら、昨日のことを思い出していた。



ーーーーー

「明日、夕方ヒマ?」
そう聞いてきたのは、マコトの方だった。

客も来ないし、今日はもう閉めようとマスターが言い出し、閉店準備をしている最中。

表周りの片づけを終わってケイが店内に戻ると、マコトはテーブルの上の花瓶を集めていた。
トレーの上に乗った陶器の小さな花瓶たちが、時々擦れて硬く澄んだ音を出す。その音に紛れ込ませるかのように、横を擦り抜ける瞬間、ケイにだけ聞こえるようにマコトが呟いた予定確認。何気なく振り向いたこちらの顔を見もせずに。

ケイは、胸が少しざわついた。



ーーーーー

「同じの下さい。」

咄嗟の声に反応して顔を上げたケイは、テーブルの反対側に体を滑り込ませようとしているマコトと目が合った。

「待った?」
ケイは、軽く首を左右に振る。
ケイの前に置かれたグラスの氷は、すっかり角が取れて丸くなっていたけれど、マコトはそれには触れなかった。
間合いを埋めるように、マコトが水を口に運び、ケイは夕焼けに染まり始めた硝子窓をぼんやり眺めた。
「大丈夫?」
続いて聞こえてきたマコトの声には、ケイは軽く頷いた。

「そっか。なんか漫画なんかでよく見るほら、幽体離脱?口からほわんって魂みたいな、お化けみたいなのが出てるやつ。目が上向いて白目になってる人。ああいう感じに見えてたから、最近。ちょっと心配した。」

少しおどけて言うマコトに合わせて、ケイは首をすくませる。

「ホント、大丈夫?何かあったんじゃない?」
マコトの声のトーンが、少しだけ落ちた。

「大丈夫。」
ケイは反射的に答える。

大丈夫か?と言う問いは、大丈夫だと言わせるための質問であり、ある種の誘導尋問だと何かで見た気がする。この説の正しさを、ケイは今、自ら実証してしまったことに気づく。

今日、ここへ呼び出したのは、マコトの方だ。マコトの言う「何か」が何をさすのか。それが分かるまでは、何も言うまい。いや、もしケイの思う「何か」とマコトのそれが同じだとしても、それをマコトの口からは聞きたくはない。
もちろん、自分からも言いたくはないし、そもそも、マコトに言えるほど、ケイの中で何も固まっていない。

この感じは、マコトの言う幽体離脱が一番ピッタリくる気もする。
でも、魂は抜けてない。いっそ魂が抜けて、もぬけの殻になった方が楽かもしれないとさえ思う。

「言いたいことがあるんなら、言えばいいのに。我慢するからモヤモヤするんだよ」

ケイには、言いたいことなどない。
無理に言葉にすれば、何もかもが弾け飛んでしまう怖さがあるだけで。

若い男性の店員が珈琲を運んできて、すぅっとマコトの前に置いた。コトリともカチャリとも言わさずに。

シュガーポットを引き寄せて、マコトはスプーン三杯分の砂糖とソーサーの上に乗せられてきたミルクを躊躇せず全投入し、カップの中身ぐるぐるかき回し始めた。

マコトはコーヒーが苦手だった。
案の定、しかめっ面をしながら、小声で「苦っ!」とつぶやいた後、「オレンジジュースにすれば良かった。」と、ケイに目くばせしてみせた。

「これ、いい?」

ケイのカップの横に残っている手付かずのミルクを指さして、マコトが尋ねた。

小さなミルクを二つ入れたところで、珈琲が珈琲であることに変わりはない。自分が苦手なものぐらいいい加減覚えられないものかと、ケイはいつもマコトを見て思っている。

「そんな顔するのなら、初めっから頼むなって思ってる?」

マコトが珈琲を搔き回しながら言った。

「無理して飲まなくても…」
「昨日は飲めなくても、今日は飲めるようになってるかもしれないし。そんな自分の可能性を潰すようなことはシマセン。」
そう言いながら、マコトは珈琲をひたすら掻き回し続けた。
スプーンを回す回数で珈琲の味が変化することを信じて疑わない、もしくは、魔神が出現するのをひたすら願って同じ動作を繰り返す子どものようにも見える。


「ケイって、いっつもキョロキョロ周りを見渡してるよね。次に何をしたらいいか、何処へ、誰のところへ行ったらいいかって。」
ようやくスプーンを置いたマコトが、ぽつりと呟いた。

「そうかな。」

「そう。自分では分かってないだけ。それが当たり前になってるから。だからいつもいいように使われちゃうんだよ。周りなんて気にしなくて良いんだよ、放っておけば。有難味がなくなるだけなんだから。空気なんて、必要以上に読んだり吸ったりしなくていいんだよ。」

そんなに風に見えてるんだ…

今まで考えたこともなかったし、人からこんな風に言われたのは初めてだ。

「そういうのが、知らない間にストレスになるんだって。気をつけないと。今、辞められたら困るよ。」

マコトは、バイト先の人間関係で何かあったと思っているようだ。

今日誘った理由は、これか。

少しの安堵と大きな寂しさが、ケイを包んだ。

マコトは、その後も仕入れ先の配達員に所詮バイトだと舐められている感じがするとか、最近めっきり来なくなったおばあさんは元気なんだろうか…など、延々とバイト先の話をしていた。


「…………ちがう?」

言葉の切れ端が、ケイの耳に引っかかっる。
視線を上げると、チェシャ猫のような口をしたマコトがいた。

「?」
「少しなら休んでもいいんじゃない?って、言ったの。なんなら、店長に言っとくよ。」

ケイは、目の前のチェシャ猫に小さく「うん」と頷く。

「イツキが出れば、なんとかなるだろうから。」
「うん。大丈夫」
ケイは即答していた。

「そ?イツキもそこそこ使えるし。大丈夫だよ。」

イツキは、マコトの同居人で、最近カフェが忙しい時に来るようになった超短期バイト。カフェ経験があるのか、仕事は卒無くこなし、特に問題もなく助っ人の役割をこなしていた。

イツキが入れば、店側も困らないだろうけど。
できれば、まだイツキには何も悟られたくない。

また、珈琲をぐるぐる掻き回し始めたマコトの華奢な白い指先を見ながら、ケイはこのまま何事もなく、何もせず、それが一番良いのかもしれないと思い始めている。


「マスター、何考えてんのって話だよね。」

ケイがぼんやりとマコトの指先を眺めている間に、話はバイト先のマスターの話に変わっていた。

ケイは、珈琲カップを両手で抱えている。マコトが来る前から。
そして、今も。


最初は、手を添えるのも躊躇うほどだったカップも、気が付いたらすっかり冷たくなって、今は反対に、ケイの体温を吸収していってる感じすらする。


熱を奪ったのは自分の掌なのか。
そうだとしたら、掌がもっと温かくなっていてもいいはず。
熱はどこへ消えたんだろう。
消えたのか、消えるのか。
消したのか、消されたのか。

取り戻せるなら
時が戻ればいいのに

そんな風に思っているのは、自分だけなのかもしれない。

冷えてゆく静か静かに冷えてゆく両手でくるんだ珈琲カップ


マコトのカップは、ミルクが足された分茶色くなっただけで、相変わらずそこにあった。

マコトは、カップの中の茶色の液体に恨めしそうな視線だけ送ると、グラスの水を口に運んでから、さらっと言った。

「出る?」
「うん…」
ケイは、どちらとも取れる言い方で、残りの珈琲を飲み干す。
白いカップの内側には、数本の輪が描かれていた。


「冷たくなっちゃった」
「そんなにゆっくり飲んでれば、冷めるよ」
マコトは、当たり前だと言うように笑いながら言った。
「今はタンブラーもあるじゃん。あったかいままが良い人は、ああいうの使うんじゃない?こういうお店では無理だけど。」
そう言いながら、マコトがテーブルの端に置かれた伝票に手を伸ばした。

「あっ」
ケイから小さく息が漏れて、慌てて伸ばした手がテーブルの端でマコトの手に触れそうになる。

「ここは、いいよ。こっちが誘ったんだから。」
伝票を手にしたマコトが立ち上がった。

「ごちそうさま」
ケイは、わざと大袈裟に頭を下げる。

今、顔を上げたくない。

慌てて手を引いたことを、マコトが特に気に留めていないのが救い。
細い細い息を静かに吐く。

すっかり冷めたマコトの珈琲は、ほぼ運ばれてきた量のまま、まだカップの中にあった。
それに目をやるケイに気づいたマコトが、軽く笑いながら言った。


「また、珈琲は頼むよ。美味しいと思う日が来るかもしれないし。可能性は捨てたくないからね。」

抱え込むその手に熱をうつしとり立ち去るキミと 残る珈琲


珈琲が、飲めるようになったら、マコトはきっと冷めないうちに飲み干すんだろう。
そして、ちゃんと保温しながら、温かいままでも長く楽しめる人になるんだろう。

自分には、無理かもしれない。

と、ケイは思った。


珈琲が冷めたら冷たくなるように突然終わる恋なんてのは







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珈琲とか恋とか冷めるとか を切っ掛けに、以前、主人公クラスの性別を断定しない話を書いてみたいと書き始めて断念したものを下地に。

課題山積み・・・・




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