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夢のなかのチェーホフ

 昨夜は「レイモンド・カーヴァー傑作選CARVER'S DOZEN」の「使い走り」という短編を読んだ。文字数は1万5千字くらい。

 内容は、ロシア人の有名な小説家であり劇作家のチェーホフが病に倒れてから最期を迎えるあたりまでのことが書かれている。前半から中盤あたりまでは病の進行状況に対してのチェーホフ自身の生き方や周りの状況が淡々と丁寧に書かれている。終盤にかけてはチェーホフが最期を迎えて静けさが一度訪れた後、そこからすごい勢いで物語の最後に向かって進んで行く。勢いによって緊張させられた余韻を残しつつ、読後「使い走り」という題名を思い出してぼくは唸ってしまった。生前カーヴァーが書いた最後の短編らしく、病に伏していた晩年のカーヴァーがこの短編に思いを重ねていたのかと解説にあった。

 これで、いま読んでいる本の短編は終わり。あとは収録されたエッセイと詩が2編あるだけだ。長い物語を読むのは苦手だが、2万字くらいの短編なら先を急がずに読むことができる。しばらくは翻訳本の短編を中心に読んでみようと思う。

 ぼくは彼女と久しぶりに会って話をしていた。正確には話を聞いていた。

「今の彼は、私の親と相性が良いのよ。あなたは、私の親とほとんど会わなかったわよね。彼は違うの。彼と一緒に居る親をみると、ほんとうに楽しそうなのよ。やっばり相性ってあるのね」

 ぼくはそれに対して何も言わない。そんなものかなと思う程度だ。それよりも、彼女の隣で過ごしていることが嬉しかったのだろう。傷ついた哀しさがそこにあったとしても、その人の隣にいることの方が嬉しいということは、あるような気がする。

 目が覚めてから、この夢のことをあらためて考えてみる。夢なのだから答えはない。ないのだけれけど、ぼくの中から生まれた一つの場面だ。夢をみれるくらいには、何かが回復している。今夜も短い物語を読もう。

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