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ゆめ ってなんだろ?


閉じた目に見える世界はその昔寝目いめと呼ばれていたらしいこと


見えるのと見るのは違う貴方から私は見える?それとも見てる?


ゼロイチが出来ないくせに何言うか夢の中でも叱られており


現実を飛び越え夢の中に住む"うつつを抜かす"の真意を知った


隙間風に乗れるのならばもしかして入り込めるかあの人の夢


描くもの?それとも見るもの?見えるもの?夢という名に踊らされる生






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朝晩少し暖かく感じられるようになってきた途端、10年以上も前に万葉集に出てくる夢について調べたことがあったなぁ〜とぼんやり思い出した。

春眠暁を〜でも、春はあけぼの〜でもなく、思い出すのが万葉集に出てくる夢…


万葉集の中には100首ほど夢の歌がある。(当時ちまちまと数えた。どんだけ暇やねん)


夢は、寝てる間に見るものだから"寝目・いめ"と言われていたようで、夢に対する考え方や捉え方も当たり前だけど今とは少し違ったりする。

昔は(たぶん平安頃までは確実にそうだったんじゃないかと)、起きている時に見ている世界と寝ている時に見る世界は併存していて、夢は架空や想像の"有り得ない世界"だとは考えられてはいなかった。

極端な言い方をすると、実体を伴わずに行動出来る"夢世界"があり、それが当たり前だと思われてたってこと。魂(心?)だけで動けるのが夢の世界ってことになるのかな?

"夢で逢う"や"夢でしか逢えずにつらい"と夢での逢瀬が詠まれたものが和歌にあるのも、この考え方のなせる技。

「夢にさえ出て来てくれない」と恋人の非情さを嘆く和歌まであるので、昔の人はお相手の夢にまで責任を負わされていたみたい…。お気の毒に…

好きな人が夢で逢いに来てくれるようにと、寝る時に袖や衣を返して願掛けをする歌もあったりする。前に「パジャマを裏返しに着て寝ると好きな人の夢が見られる」というような記事を見かけたことがあるので、一部でこのオマジナイが流行った時期があったのかもしれない。

今でいう夢占いに似た"夢見"や"夢占"なんていう言葉も出てくる。今の夢占いとは違って、かなり神聖なものと考えられていたようで、神様と交信する的な?巫女的な?そんな香りがちょっと漂ってる。

夢のことを考えていると、"見る”と"見える”の違いも結構面白そうではある。



脳の構造とか人間の思考とか色んなものが研究されて、今では夢をこんな風に捉える人も少ないだろうけど、実体の必要としないもう一つの違う世界が当たり前のように存在するのだとしたら、それこそちょっと夢がある。

今のバーチャルなんちゃらと大して違わないのか?と思ってみたりもする。


夢はいいよねぇ〜って方も、夢ばっか見てられるか!って方も、暖かくなったと油断してると急に冷え込んだりするので、三月半ばまだまだ体調にはお気をつけを…


  
 (自作の一首目をもう少しなんとかしたい…




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