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WOMAN Life Style & Career Interview|中嶋佳乃子さん<前編>

女性の自分らしい生き方を応援するための、ライフスタイルとキャリアをテーマにしたインタビューブログ。
今回は、夢であった「数学教師」と「いきいきと働くママ」を実現されている中嶋佳乃子さんにお話しを伺いました。
仕事が楽しすぎて、結婚したけど子どもは当分先でいいかなと考えていた中嶋さん。仕事を優先した結果、パートナーとの関係もギスギスしてきてしまったそう。
今は、家族の時間も大切にされながら、「数学」と「女性活躍」をテーマにした仕事でいきいきと活躍されています。
中嶋さんはどのように自分らしい生き方を見つけていったのでしょうか?妊娠されるまでの話を前編で、両立期の話を後編で紹介します。

中嶋さんの紹介

Q出身地
鳥取県鳥取市
Q幼少期のエピソード
小2から始めた公文式の算数を高校の数学教師だった祖父から徹底的に仕込まれたことが自分のルーツ。
Q学生時代に熱中したこと
部活動。体操部でバック転やバック宙やってました。大学の教室以上に部室に入り浸ってました。

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思っていたのとは違った学生生活と就職活動

ーー中嶋さんは理学部を専攻されていたんですね。どんな理由で理学部を選んだんですか?

私は数学が大好きで「子どもたちに算数や数学の楽しさを広めたい」という夢を持っていました。そのため、「数学教師」になることが夢を叶える方法だと考え、大学も理学部を専攻しました。ただ、理学部で突き詰める数学と私が好きな数学は違うことが分かったり、大学卒業しただけの自分が子どもたちに教えられることってあるのだろうかという迷いも出てきたんです。

大学4年生の時に教育採用試験を受けるかどうかも、直前まで迷っていたんですけど、結局受けませんでした。

ーー「数学教師」という夢をあきらめたということですか?

いえ、「数学教師」をあきらめたわけではなく、社会人経験を積んでもっと社会や数学のことを勉強してからの方が、子どもたちに算数や数学の楽しさを広めることができると考えたんです。

そのため、教育系の企業に就職活動を開始しました。ただ、教員採用試験を受けるかどうか迷ってるうちに、就活スタート時期に出遅れたこともあり、エントリーできる企業がほとんどありませんでした。ご縁あって株式会社ベネッセコーポレーションに内定をいただくことができ、そのまま入社することに決めました。

仕事が楽しくて仕方がなかった新入社員時代

ーーベネッセではどんな仕事をされていたんですか?

入社時は、模擬試験を制作担当する部署に配属され、数学編集を担当しました。大学で学んだ数学の知識も活かすことができ、希望していた部署への配属だったので、とてもうれしかったです。

具体的な仕事は、執筆者が作成した問題から、今回の試験ではどの問題を出すかを選んだり、採点用の基準を作ることがメインでした。自分が携わった試験の問題を50万人の高校生が受けてくれるということが特にモチベーションになっていました。また、試験が実際にモノになる過程も面白く感じましたし、学校現場の先生たちと数学教育についてディスカッションすることも楽しかったです。

2年、3年と仕事を積み重ねていくことができ、部署全体の仕事内容も把握し、自分自身がやれることも増え、1人で責任をもって仕事が出来るようになっていくのにやりがいを感じていました。周りの先輩の姿も見て、6年か7年の経験を積んで、数学編集チームのリーダーになるというキャリアイメージもありました。

想定外の異動でキャリア迷子に

ーー仕事が楽しくて仕方がない時期に異動をされているんですね。

入社4年目に自分が思ってもみない部署へ異動をすることになったんです。自分の強みと思っていた数学の教科知識を活かすことができない、事業戦略に関する部署への異動でした。「私はこの部署で、どのような成果を出すことを求められているのだろう。」と悩み、3ヶ月くらい泣いて過ごしていました。前の部署で経験を積み、数学編集チームのリーダーになるというキャリアイメージも遠のき、いわゆるキャリア迷子になってしまいました。

事業戦略に関する部署に配属になりましたが、事業部全体の事業計画や予算計画を作成するにはスキルや経験が不足していました。当時の私ができることは会議に出て議事録を取ったり、会議のセッティングをしたりするなどの事務局業務が中心でした。数学を取られたら自分はちっぽけな存在に思えて、自己肯定感が低い日々を過ごしました。

ーーキャリア迷子になったとき、どんな風に持ち直したんですか?

相談をしないタイプなので、3ヶ月間ずっと1人でもんもんとぐるぐる考えていました。ある時、考えているだけじゃ仕方がないと思えるようになりました。何もできないと思っていたんですが、今置かれている環境でも自分の得意な仕事と思えるものができてきたのも、気持ちに折り合いがついた理由かなと思います。

事務局業務が多かったですが、人とのコミュニケーションをとることが好きだったので、年次が上の先輩との臆せず話すことができました。さらに、コミュニケーションをとる中で、PowerPointを使った資料を代行で作成することにニーズがあることが分かりました。自分の中でも資料を作り込むことが好きだし、得意なことだったので、そういう仕事の比重を少しずつ増やしていくことができました。

ーー仕事に慣れた頃にまた異動があったんですね。

事業戦略に関する部署が発展的に解消され、今度は新規事業立上げの部署に異動になりました。またしても、思いもよらない異動だったのですが、前回の異動の経験もあったので、得意な仕事を引き寄せるようになっていたし、悩んでいても仕方がないということも知っていたので、今回は2週間くらいで気持ちを切り換えることができました。

小中学生向けのテストを新しく作るプロジェクトの立ち上げメンバーとして、算数のテストを作ることができました。テストを作ってきた経験やスキルを活かすこともでき、どんどん仕事が楽しいと感じることが多くなりました。

結婚と離婚、そしてキャリアチェンジ

ーー結婚と離婚のお話しを伺ってもいいですか?

28歳の時に結婚をしましたが、仕事が楽しすぎて子どもは当分先でいいかなと考えていました。今までにない規模の大きなプロジェクトに参画できることになり、モチベーションが高まっていました。100万人の子どもたちにリーチができる大きな規模だったこと、今まで経験した事務局業務と算数や数学に関わる仕事のどちらも活かせるポジションだったのが、うれしかったです。

パートナーとも、仕事をがんばりたい時期であることや子どももしばらく先に考えたいこと、何日も出張で家を空けることは理解を得ていたと思っていたんですが、本心は違ったかもしれません。仕事を優先した生活でだんだんとパートナーとの関係がうまくいかなくなってきました。パートナーの転勤をきっかけに、離婚を話し合うようになりました。転勤の話がなければ、違う結論になった可能性もありますが、お互いの生活や仕事のことを話し合い、離婚を選択しました。

この時期は離婚という大きなライフイベントがありましたが、仕事の面で自己肯定感を高く維持できていました。規模の大きなプロジェクトも数年継続でき、年々やれることも増え、成果も出ており、自分自身の成長も感じられていました。

ーーキャリアを順調に歩まれているように思いますが、転職を考えたのはどうしてですか?

8年ほど同じテーマのプロジェクトを仕事にしていて、今の仕事をいつまで続けるんだろうということと、自分の成長に天井感を感じたんです。同期も異動をしながら着実に成長したりスキルアップして昇格していたり、新しいことにチャレンジしている姿も見て、自分の成長が止まっているような気がしました。さらに言えば、その時の上司やプロジェクトメンバーとの信頼関係や仕事環境がよかったこともあり、もし40代になってから上司が変わる・異動するなど新しい環境に身を置くことを想像したら、変化に対応できるのかどうかと不安になりました。この時初めて転職を考えました。

もう一度夢にチャレンジした途端に妊娠発覚

ーー転職は実際に行動をしたのですか?

ちょうどよいタイミングで私が住む地域で小学校の理数専門の教員を採用しはじめるという話を耳にして、夢であった教師を目指そうと決心しました。教員採用試験を受けたり、青年海外協力隊で海外の子どもたちに算数を教えてるプロジェクトに応募したりしました。どちらも合格できて、どちらの道に進もうかと考えていましたが、合格した半月後に妊娠が分かりました。

ーー夢を叶えようと思った途端の妊娠はどんな気持ちになりましたか?

37歳での妊娠であったことや、これまでの社会人経験を積み重ねてきたこともあり、冷静に考えて判断することができました。具体的には今、教員になったとしても、すぐに産休に入る必要があるため、周囲に迷惑をかけてしまうし、素直に子どもを授かったことがうれしく、感謝しました。子どものことを最優先に考えて、このタイミングでのキャリアチェンジはせず、結婚して、今の職場で働き続けることを選択しました。

ーー育休復帰後も順調な両立生活のスタートができたと思っていたら、、、暗黒の両立生活が始まってしまった中嶋さんのお話しは<後編>もお楽しみください。

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インタビュアー自己紹介

池上朋子
育休スクラをはじめ女性のキャリアを応援するサービスのマネージャーをしています。2018年に結婚を機に浜松に移住し、NOKIOOに入社しました。2019年4月産休取得、2020年1月半育休半復帰、2020年5月フルタイムで復帰してます。1歳の息子を育てながら、子育てと仕事の両立生活を楽しんでいます。とにかく息子がかわいい。
Twitter|https://twitter.com/tomoko_ikegami

中嶋さんが卒業した今もサードプレイスとして刺激し合える仲間を見つけられた『育休スクラ』が気になる方はこちらをご覧ください。