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読んだ本

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自分が読んだ本についての、感想、コメント、連想を、気ままに書いています。
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2021年11月の記事一覧

#165:山下賢二著『ガケ書房の頃』

 山下賢二著『ガケ書房の頃』(夏葉社, 2016年)を読んだ。本書は最近、『ガケ書房の頃 完全版 そしてホホホ座へ』(ちくま文庫, 2021年)として再刊されたのを書店で見かけた。「完全版」とあるからには、加筆されているのだろうか? 私が今回読んだのは、数年前に購入したまま未読だった原本の方。いわゆる腰巻き帯の、「京都、本屋さん、青春。」というコピーが、本書を見事に言い表している。  読み始めて気づくのは、文章の読みやすさ。上手いというのではない。わかりやすいというのでもな

#164:松下姫歌著『ネガティヴ・イメージの心理臨床 心の現代的問題へのゼロベース・アプローチ』

 松下姫歌著『ネガティヴ・イメージの心理臨床 心の現代的問題へのゼロベース・アプローチ』(創元社, 2021年)を読んだ。新聞広告で見かけて、基本的な問題意識が私のものに重なるものがあるのかもと思い、読んでみようと思った次第。仕事柄(広い意味で業界が同じ)、著者の名前は以前から見かけることはあったが、その文章を読むのは今回がはじめて。  著者が拠って立つのはユング心理学の考え方で、ユングが考える意味での自我と自己の関係において、自己に関わる自我の働きが確立していくプロセスを

#163:伊藤亜紗著『どもる体』

 伊藤亜紗著『どもる体』(医学書院, 2018年)を読んだ。本書は「シリーズ ケアをひらく」の1冊。本シリーズにラインナップされている本としては、過去に國分功一郎著『中動態の世界 意志と責任の考古学』(2017年)、岡田美智男著『弱いロボット』(2012年)を読んでいるが、いずれも私にとっては非常に刺激的な本だった。本書もまた、そう。  著者の著作を読むのは、単著としては、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書, 2015年)、『記憶する体』(春秋社, 20

#162:早坂吝著『探偵AIのリアル・ディープラーニング』

 早坂吝著『探偵AIのリアル・ディープラーニング』(新潮文庫, 2018年)を読んだ。新潮文庫の中の「新潮文庫nex」というシリーズの1冊という位置づけ。カバーのイラストや装丁、造本も、本家の新潮文庫とは一線を画している。「ライトノベル以上、一般の文芸書未満」という感じのコンセプトという印象。  著者の作品は、過去に『○○○○○○○○殺人事件』(講談社文庫, 2017年)を読んだことがあるのみ。「題名当てミステリ」(?)として一部で話題になった作品で、まあ、よくもぬけぬけと

#161:小林章夫著『イギリス紳士のユーモア』

 小林章夫著『イギリス紳士のユーモア』(講談社現代新書, 1990年)を読んだ。中古書店の店頭で見かけて手に入れたもの。タイトルに惹かれて手に取ったのだが、タイトルと内容の間に多少のギャップを感じないでもなかった。  というのは、タイトルからすると、「ユーモア」の方がメインだろうと思ってしまうのだが、実際に読むと「イギリス紳士」の方の記述が大半を占めている。よく読むと、「イギリス紳士」の歴史的な変遷とあり方そのものに「ユーモア」の要素が内包されているという書き方だと読めなく

#160:ニコラス・トールネケ著『メタファー 心理療法に「ことばの科学」を取り入れる』

 ニコラス・トールネケ著『メタファー 心理療法に「ことばの科学」を取り入れる』(星和書店, 2021年)を読んだ。新聞広告で見かけて、タイトルに惹かれて購入したのだが、読んでみると、私が期待したのとはちょっと違った本だった。そもそも私が無知だったこと、そして購入するにあたって、十分に中身を確かめようとしなかったのが間違いだったのだが・・・。  読み始めてわかったのだが、著者は行動療法系の臨床家であった。私自身は心理力動系の立場であり、基本的な考え方と臨床実践の姿勢に隔たりが

#159:荻本快・北山修編著『コロナと精神分析的臨床 「会うこと」の喪失と回復』

 荻本快・北山修編著『コロナと精神分析的臨床 「会うこと」の喪失と回復』(木立の文庫, 2021年)を読んだ。本書は2020年8月に開催されたオンラインでのシンポジウムが元になっているとのこと。  本書には、対面での面接の継続が困難な状況に追い込まれていく過程の中で、事態が始まって数ヶ月という早い段階での、精神分析的な心理臨床を実践している臨床家たちの取り組みと、自らの取り組みをめぐる考えや思いが、語られ、あるいは綴られている。時期的に、速報的なレポートという性格が濃厚であ

#158:司馬遼太郎著『この国のかたち 一』

 司馬遼太郎著『この国のかたち 一』(文春文庫, 1993年)を読んだ。元になった単行本は1990年刊行とのこと。あとがきと表紙カバーの情報を総合すると、1986年から1987年にかけて「文藝春秋」の巻頭随想欄に連載されたエッセイをまとめたものということになるようだ。著者が書いたものを、小説も含めて、私はほとんど読んだことがない。今回がおそらくはじめてではないかと思う。  読んでみて、著者はこういう文章を書く人なのかと知ったと同時に、自分は何と歴史を知らないことかと恥入った

#157:村井俊哉著『はじめての精神医学』

 村井俊哉著『はじめての精神医学』(ちくまプリマー新書, 2021年)を読んだ。著者の本は、以前に『統合失調症』(岩波新書, 2019年)を読んだことがある。一般向けにわかりやすく書かれた好著だった記憶がある。本書も大変わかりやすく書かれており、本新書のシリーズがメインターゲットとしている若い読者からも歓迎されるのではないだろうか。  本書の重心は、分量としては本書全体の約4分の1ではあるが、第2部「精神医学とはそもそも何なのか」にあると思われる。精神医学を、対人援助の方法

#156:池田喬著『ハイデガー『存在と時間』を解き明かす』

 池田喬著『ハイデガー『存在と時間』を解き明かす』(NHKブックス, 2021年)を読んだ。このブログで何度か触れているが、私はハイデガーには積極的な関心はないし、良い印象も持っていない。学生の頃に、木田元著『ハイデガーの思想』(岩波新書, 1993年)を読んだときにも、ハイデガーに対する関心はあまり高まらなかった。しかし、『存在と時間』は気になるし、いつまでも素通りし続けるわけにはいかないと、常々思ってはいる。そんなところに本書を新聞広告で見かけて、手に取ってみようと思った

#155:マイクル・バリント著『治療論からみた退行 基底欠損の精神分析』

 マイクル・バリント著『治療論から見た退行 基底欠損の精神分析』(金剛出版, 1978年)を読んだ。今回は再読。一度目は20代後半だったと思うので、20数年ぶりということになる。今回は通常の読み方とは違って、知人との月1回の読書会で5ヶ月かけて読み終えた。  「基底欠損」とは、basic fault の訳語である。本書のテーマとなっているのは、標準的な分析技法が必ずしも有効に作用しない、神経症水準よりも深い水準のパーソナリティの課題を抱えたクライエントに対する精神分析のあり