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徹底解説!!「うざいおじさんの種類とそうなってしまった経緯」についての考察

「加減」を諦めてしまったおじさん

同い年(二十九歳)の相方から聞いたのだが「もうおじさんだからね~」みたいなことを会社で後輩に言うとウケるらしく、彼はもう結構ヤバイおじさんの路線を一直線にひた走っているように思える。二十代後半から三十代前半の人達が言う「おじさん自虐」ってマジでキツい。今は世間一般的に「おじさん」ではないからなんとか笑えるが、年齢が進み肉体が老いても「自虐的な発言ができる精神」自体は変わらないのでそのうち痛い目を見ることになると思う。

自分の美意識(笑いの取り方という意味でも)に対して白旗を振っている様を見せ、他人に喜んでもらうって諸々諦め過ぎである。(※ちなみに相方は芸人(基本的には笑いの取り方にこだわる職業)なのにも関わらず、こうゆうことを真っ直ぐ平気で言える(かつ美意識はある)珍しいタイプの人だから、僕は彼のことが好きなのである)

形式上尊敬しなければいけない人(=死にたくなる程つまらないことを言っても笑いが取れてしまう人)が無責任に発表する「個人的に諦めたこと」を言われる後輩の気持ちを考えて欲しい。自らの首元にナイフを突き付けている上司に「これで笑わないと死にます」と脅されているようなものだ。
下ネタを異性に言うおっさん(死んだ方がいい(社会的にも実生活でも))とかもそれに近いものがあって、例え彼女達が上手に下品なやり取りをかわしたとしても、それはこれまで積み上げてきた美意識(男でも同じ)を無責任にへし折っていることに変わりはない。
僕はこのような時に毎回「彼の弱さに屈服して己の美意識を汚すか」or「彼をここで殺してしまおうか(精神的に)」の二択でものすごく悩む。大体後者を選んできたので、俺には「先輩」があまりいないのかもしれない。

端的にまとめると、大人とは「加減ができる人」のことだと思うのだけど「加減」って取り組んでいることの中での押し引きのことだから、対象との駆け引きに結構神経を使う。考えることに疲れた人達が「もう減オンリーで!!」「取り組まなくていいや!」となってしまい、上記で挙げたような「おじさん」が誕生してしまうのである。

以下では、僕個人が思う「面倒なおじさん」「ヤバいおじさんにならないためには」を書いていこうと思う。自戒を込めて。

「老害」を意識しすぎているおじさん

・「老害」とはなにか

基本的に「老害(この言葉嫌い)」と呼ばれてしまう人達は、完成しきっているケースが多い。それは「完璧である」ということではなく、当人達の中で揺るぎのない価値観が形成されていて、かつこれ以上変化する気がないという意味である。
これの逆張りを「形」だけでやっているおじさんを結構見る。単純に「新しいものを受け入れる」「否定しない」である。

・「否定の放棄」

これは年齢問わずみんなに思うことなんだけど、バラエティー番組とかでも「偏見」「妬み・嫉妬」みたいな視点が5~6年前までかなり流行っていた。
「イケてない」「ネガティブな感情」こそおもしろい的な。が数年前から目まぐるしいスピードでその空気感が一転して「否定しない」「傷つけない」が主流となっていった気がする。
その流れに「形」から入った人達がどうなったかというと「NOを放棄する」という極端な思考を持ってしまったのである。「加減」を辞めたのである。
発言するかどうかは別として「自分はなにを嫌だと感じるのか」というのは「なにが好きか」ということと同じくらい重要なので、そこを見失ってはいけないと思う。

・「食わず嫌い」って別に老害ではない

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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。