スクリーンショット_2018-09-14_19

1月4日 俺だけの金曜日。

僕は母子家庭で育った。
中高大と私立に入れてもらった。片親で中々出来る事ではない。
母親は「父親がいないせいで出来ない」という事を物凄く嫌った結果、
何もかもを僕に捧げてくれた。

何故か地元に残りたくないと思い、唯一受かった私立の大学に行きたいと言った。
彼女は基本的に「それがあなたのためになるなら。」と言ってくれる。
引っ越し先を探しに一緒に東京に来た時、一度だけ「お願いだから茨城に残って。」と涙を流していた。

結局私立に行った。正直ありがたいなんて思いもしなかった。
当たり前だと思ってた。

東京に住み始める日、二リットルのお茶と冷凍食品を置いて
「頑張りなさい。」と一言残し、母親は茨城に帰っていった。
部屋に一人取り残され、親と過ごす時間は意外にも十八年間しかない事にとても驚いた。

大学四年生の時に実家が無くなった。彼女が何よりも大切にしていた家だ。
僕は大学を辞めると言ったのだが、「最後まで行きなさい」と言われ、
俺はそれを背負えないと思って大喧嘩した。

実家が無くなったので、今年の四月から母親と東京で住む事になった。
また一緒に暮らせる事がとても嬉しかった。
が、しかし就職をせずお笑いをやろう計画が破綻した。
結果僕は銀行で働き始め、母親と生活した。
でも僕は繰り返し同じ事が行われる毎日にとても大きな不安を感じていた。
会社で働き始めてからの悩みのほとんどが、「社内」における自分の悩みで、自分の事や自分の生き方について考える事が無くなったからだ。
思考停止に近かった。
「お笑いをやれないのは、彼女のせいなのではないか。」と僕は悩みに悩んだ。そんな事はないと何度も結論付けても、
「もし母親がいなかったら?」という質問が頭に浮かぶと、気が狂いそうだった。
好き勝手出来ない事を母親のせいにして、彼女を憎みたくない。
どっかで辞めてやろうと決意していた。

とある日、母親は東京の生活が慣れないので、茨城に帰ると言い出した。
僕は「いいね!」と言った。願ったり叶ったりだ。

唯一の誤算は、「ここぞ」という気持ちが先行しすぎて母親の引っ越し先が決まる前に、会社を辞めてしまったという事だ。

会社を辞めた日、ベランダでタバコを吸いながらビールを飲んだ。
体中に全能感が溢れた。
「ただいま〜」と帰ってくる母親の顔を見て、絶望的な気持ちになった。
それから僕は毎日スーツで家を飛び出て、公園やガスト、友人宅で一日を過ごしては帰宅する、リストラサラリーマン生活を半月の間過ごした。

「今日会社どうだった?」この一言が怖くて、会社を辞めてから一度もご飯を一緒に食べなかった。
友達の家から夜中に帰ってきて、冷蔵庫を開けると僕が好きな豚の角煮があった。温めることもせず、指でつまんで食べた。
今思い返してもあれが一番効いた。

また一人暮らしが始まった。母親とはちょいちょい連絡を取った。
虚偽の新卒生活を報告するのに毎回疲れを覚えた。
僕は未だにご飯を一緒に食べなかったあの日々を後悔している。
だから僕は実家にめちゃくちゃ帰る事にした。
売れた後絶対後悔するから。

僕の親父は噓つきで普通じゃない死に方をした。
それから「嘘はつくな」という教育を受けた。
その結果、僕は母親に嘘を一度も付いた事がなかった。
逆に本当の事を言えば大抵の事が許されると思っていた。
良くない事をする時も、後で本当の事を言って怒られた時のダメージと天秤にかけた上でそれを行った。

人に嘘を付いた瞬間、今まで積み重ねてきたものが一気に崩れるような気がして怖かった。
「僕のこの部分を知ったら、母親・友人は、僕の事を嫌いになるかもしれない。」と思うと、嘘を付いた瞬間その関係性が偽りのものとなってしまうと考えていた。
母親に生まれて初めてついた嘘が「仕事をしている」だなんて、僕自身びっくりだ。

だが「ありのままの姿見せるのよ」だなんてとてもおこがましいものだとも、気がついた。
僕は嘘が嫌いなのではなく、罪悪感に耐性がないだけだ。
だから僕は母親に嘘を付く。
とても彼女が遠くに行ってしまった気がした。
でもいつかテレビで僕を見て、笑いながら許して欲しい。


おしまい。


ここまでが、俺が売れてから金スマで流れるVTRの内容だ。
映像が終わると「う〜〜ん。」と何かを考えさせられた風の二流タレントや、目に涙を浮かべたベッキーの表情がカメラで抜かれるのだが、スマップは解散するし、ベッキーはエッチだしで、計画がおじゃんだ。
まあAスタジオとかで、やればいいか。


正月。
いきなり前の実家に帰ってしまって、実家が売却された事を痛感した。
新しい実家に帰ると(そんな日本語あったんだ)、前の実家より圧倒的に部屋は狭いのだが、間取りが全く同じで
「ガンプラか!」
と思わずツッコンでしまった。
母親は何とも形容しがたい表情を浮かべていたので、失敗したと思った。

仕事の事を色々と突っ込まれた。
僕はシステム部に配属された初日に辞めたので、「システム部」の事が全く分からない。
だが母親の世代はカタカナに苦手意識があるので、
「どんな仕事をしているの?」と聞かれたら
「パソコン。」と答えてしまえばいい。
それ以上踏み込んできたら、「エクセル」「パワーポイント」「PDF」等々適当な拡張子を並び立てておけば、母親から見た俺は立派なプログラマーなのさ。

「好き勝手出来ない事を母親のせいにして、彼女を憎みたくなかった。」
だから俺は今ライブにも出ず、好き勝手コンビニ店員をさせってもらってる。何だこれは。滑りたくない。

適当に二泊三日過ごしたけど、実家はやっぱりいい。
「お雑煮に入れる、お餅何個食べる?」とか聞かれて、俺の回答より一つ多くお餅を入れられたりすると、
「ふざけんなババア!長生きしろよ!」って毒蝮よろしくだ。

だけどやっぱり、嘘は辛い。
前みたいに素直に会話が出来ない。
いつか言いたい。だから売れたい〜〜〜〜〜。

明日から早番。





この記事が参加している募集

落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。