キッチン

吉本ばななさんのキッチンを読んで

大学で授業の合間に本をよんでいた、別に仲がいいわけでもない他学科の学生に「読書なんて相当余裕があるんだね」と言われた。
僕からすれば、別に余裕なんてない、ただ音楽を聴いてるだけじゃラジオを聞いてるだけじゃ自分の気が休まらず、ほかにも何か気が休まるものがないかという打開策の一つとしての読書であり、余裕を見せつけるために読書をしているわけではない。
本を読んでいると今いる自分の世界じゃないところから離れた世界に幽体離脱して飛んでいくような、とにかくとても気持ちが良い。まぁつまりはただの現実逃避として本を読んでいる。

でもこの本は僕に多くの現実を突きつけてきた。吉本ばななさんのキッチンは2章立てのキッチンという物語とムーンライトシャドウという短編で構成されている。どの話も身近な人の「死」から始まる。
僕にとってここで取り上げられている家族の死や恋人の死は未だ経験していない。
できることならしたくない。でも恋人はわからないが、家族の死は遅かれ早かれ経験するのだと思う。普通に過ごしていてそんな野暮なことをわざわざ常々考えるような人は少ないと思う、僕もそのうちの一人、できるだけ長生きしてほしいし、逆に一人息子である僕が先になんていう親不孝なことだけは絶対にしないと数年前に誓っている。
この本を読んでいて何度か親の葬式を想像してしまった、ぐっとこみ上げる何とも言えない悲しさを現実の「生」によって引き戻し平静を取り戻して読み進める。

読んでいて思い出すこともあった、前にも少し書いた僕が小学生の時に訪れた祖父のそれや最近あったこと。
あの時、バイトを17時からじゃなくて、18時からにすれば病院帰りのおじさんに会えたのに、僕は物心つく前にあったことがあるだけ、向こうも別に覚えていないだろうし、今日じゃなくても。なんて思ったら次の知らせは彼の訃だった。
二度と会えないという現実の重さは計り知れない、そのことを成人してから初めて感じた。

もう二度と会えないという悲しさ、どうしようもないという気持ち、登場人物たちは逃げるわけでもなくただただその悲しみに流され、ときに逃げて、生きているもの同士寄り添い合い、夕飯を食べて、話をして、生活をして、趣味仕事に打ち込み、自分の人生を生きようとする。

この時、死から覚えた悲しみを忘れるわけではなくその悲しみと一緒に生きていく。
キッチンを読み終わった今、僕はいつか来るそんな日を前にこんなことをこの本から学んだ。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?