ショートショート『景色は持ち運べないと彼女は言った』
SS『景色は持ち運べないと彼女は言った』本文
科学の普及に反比例するように魔法は廃れていったが、今なお魔法使いの集う秘密結社は世界中に点在していた。
イギリス第七支部もそのひとつ。古き良きレンガ造りの町並みの一角に、人知れず魔法使いたちは集まっていた。
「アン局長。失礼します」
そんな支部の外れにある、今は使われていない古い研究室。私がその扉を開くと、たちまち風が吹き抜けた。ほのかに甘い草花の香りが運ばれ、廊下のほこりっぽさを一掃し、眩く暖かな光が出迎えてくれる。
私は明るさに目を細めながら足を踏み入れた。やがてすぐに目も慣れて、研究室の奥、狭いバルコニーに座っている女性を視認する。
「おりょりょ? フレンダじゃなーい。どったの?」
正装である黒一色のワンピースを身に纏っていたアン局長は、相変わらず雲のようにつかみ所のない調子で言った。彼女の足下をウロウロしていた黒猫のジャックも、やがてアン局長の体をよじ登り頭の上に落ち着く。
「ちょ~っち待っててね。あと十分十五分ぐらいで区切りつくからさ。なにか急用?」
「……いえ、取り立てて用事があるわけではないんですが」
第七支部の支部長から『その話』を聞いて、私は内心慌てながらアン局長へ会いに来た。でも、なにをどう切り出すべきかまでは考えていなかった。
頭の中を整理しようと目を向けたのは、バルコニーとそこから望める景色だ。
長い時間をかけて誘引し完成させたのだろうガーデンアーチは、ため息が漏れるほどに美しい。涼しげな屋根となって時に花の香りを、時に木漏れ日をバルコニーへ落とす。
快適に過ごすためだろう、どこから持ち運んできたのかもわからない簡素なテーブルとイスまで置いている。仕事場でもあり憩いの場でもある、アン局長お気に入りの特等席だ。
そこから一望できる景色は、レンガ造りの町並みだ。何百年と変わらず人の営みを支えてきた家屋は凜々しくも温かい。私のよく知るコンクリートの町並みと違い、生きているかのように錯覚する。
彼女には自分の地位によって宛がわれた局長室があるのに、そこで仕事や研究をしない。決まってこの古い研究室のバルコニーで一日を過ごす。
まるで秘密基地だ、と思った。もっともこの組織この施設そのものが、秘密結社であり秘密基地のようなものなのだけど。
「ふむ。フレンダにしては珍しい。急用ではない……が、慌てていると見た」
ジャックが老人のような声で言った。相変わらず洞察力が凄まじい。或いは動物的な勘だろうか。
ともあれ、見透かされていると思うと取り繕う気も失せてしまった。
私は素直な気持ちのままに言葉を紡ぐ。
「支部長から伺いました。アン局長……【本部】行きを断ったそうですね」
魔法使いの秘密結社。その本部は、本部の人間以外は所在地を知らないし知らされてもいない。諸々の通達も足がつかないよう、魔法による一方通行と徹底されている。
それほど本部の存在は魔法使いにとって神聖なのだ。選び抜かれた者だけが踏み入ることを許された聖域といってもいい。
同時に、本部に身を置いて研究や研鑽を重ねられることは最高の誉れでもある。誰もが憧れる到達点だ。かくいう私だってそう。
けれどそんな夢が叶う魔法使いなんてごく僅かだ。ユーロミリオンズで一等を当てる方が簡単に思えてしまうほどに。
なのにアン局長は、本部への招集を断った。それも即答で。支部長は失神するかと思ったそうだが、私だってひたすら愕然とした。
「なぜなのか聞いてもいいですか?」
「そんなの、ここが好きだからに決まってんじゃ~ん♪」
正直、なにを言ってるのかよくわからなかった。
きっとアン局長のことだから、支部長に対してもそんな風に笑顔で断ったんだろう。そりゃ失神もやむなしだ。
同時に私は憤りすら感じていた。魔法使いなら誰もが憧れる高みを、アン局長はにべもなく拒絶した。至れるかどうかもわからないような人間にとって、彼女の選択は侮辱に近い。本人がそれに無自覚だから、尚のこと悔しい。
「ここが好きという理由だけですか? 本当に? そんなにもここは、あなたにとっての特別ですか?」
「逆に聞くけど、他に理由って必要かな? ジャックはどう思う?」
「どうもこうも、我には最初から興味も選択権もない話。ひとつ望むとすれば、天井が高く登れる場所があるとありがたい」
「にゃんこは高いところが好きだからね~。次のお給料でキャットタワー買ったげるね♪」
アン局長はヘラヘラと笑っている。私の中でイヤな感情が渦を巻く。
才能がある。認めてもらえている。だからこその本部行き。だがそれを差し置いてでも優先することがある。自分の気持ちに対してどこまでも素直に。
羨ましくて、悔しくて、哀しい。
憧れた目標の先輩はいつでも、いつまでも、遙かな高みで輝く存在であってほしかった。
――なのに。
「納得できません。私には、この場所が好きだからという理由だけで本部行きを断るだなんて……理解に苦しみます」
これではまるで、私は憧れに裏切られたみたいじゃないか。
でも、唇を噛んで俯く私にアン局長は言った。
「そうは言ってもさぁ……。この景色は持ち運べないでしょ?」
またこの人は、おかしなことを言って煙に巻こうとする。
心の中で毒づき、私は顔を上げる。
――風が吹き抜けた。柔らかく、包み込むように。
ガーデンアーチの草花が微かに揺れた。涼しげな葉音に乗って香りが届く。
木漏れ日が揺れる。簡易テーブルの上で光の粒が踊る。
その向こうには一層明るい日差しと、広がるレンガの町並み。
そして画の中心には、私の憧れた魔法使いがいる。
憧れた人の晴れやかな笑顔が、私の目に映った。
「いくら科学技術が発展しようと、魔法の真髄を究めようとさ。この景色と場所はまるっと持ち運べないよね?」
そう、彼女は言った。まっすぐ、揺るがない瞳を私に向けて。
やっぱりよくわからない。先輩の言うことが、私には詩か屁理屈にしか聞こえなかった。
……だけど今、私は目の前の風景に見とれている。
「だからわたしは、ここに残りたいのさ」
アン局長の理屈は全然理解できない。
けれど、この景色がずっと眺めていたいほどに美しいことだけは、少しだけ理解できた気がした。
「てなわけだから、わたしの代わりに本部で魔法を究めてきなよ……フレンダ」
――アン局長の眼差しで、私の中の何かがようやく溶けた。
ああ、もう、諦めよう。
……いや、真摯に受け止めよう。
アン局長が蹴った代わりに推薦してくれたことで、私は本部行きの切符を手にする幸運に恵まれていた。
きっとそれは、この景色の中核にいる彼女なりの、励ましであり期待でもあるのだと。
素直に受け止めることにした。
だから。
「いつかまた、この景色を見に帰ってきてもいいですか?」
「もちろんだよっ。夢を叶えて、帰っておいで。楽しみにしてる」
アン局長は笑って答えてくれた。
「この景色は、君がいてくれてはじめて、完成するんだからさ」
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本文:落合祐輔
イラスト:くじょう様(Twitter:https://twitter.com/kujyoo11)
あとがき
ポートフォリオ代わりの投稿第四弾!
ショートショート『景色は持ち運べないと彼女は言った』。いかがだったでしょうか?
お読みいただき、ありがとうございます!
こちらは、前々回の『朝日』、前回の『三人旅』同様、既にサービスの終了してしまった小説投稿サイト『L-boom』というサービス上の、「イラストレーターさんのイラストを着想元にSSを作る」という企画の中で作ったショートショートです。
イラストを描かれたのは、『朝日』『三人旅』と同じくイラストレーター・くじょうさん。
ステキなイラストの掲載許諾をありがとうございます!
(Twittew:https://twitter.com/kujyoo11)
イラストをひと目見て、魔女が題材となるお話になるのはすぐ決まりました。
描かれている女性がこちらを見ている――つまりカメラのこちら側にもう一人誰かいる。その二人と黒猫、三人の掛け合い劇にしよう! と決めてからは、わりとすんなり全容が見えてきたのを覚えています。
同時に特徴的だったのは、バルコニーの様子ですね。
日の差し込む美しいガーデンアーチ。イラストから、そよぐ風と運ばれてくる花の香りが伝わってくるようで、そういった五感を刺激する描写も大切にしてみました。
ただ、魔女や秘密結社周りの設定は、ぶっちゃけしっかり考えていません! なのでちょっとザルではあります(秘密結社の施設のくせにバルコニーから丸見えやん!とか)。
まぁ、雰囲気重視なショートショートだからということで。
ご容赦をば……!
ちなみに、アン局長のどこかつかみ所のない飄々としたキャラ感は、お顔(特に目)が少しとろんとしているように見えたところから「ああきっとこういう人なのかな」と思って掘り下げてみました。
どうやらこういうキャラ、僕は大変好みみたいです。書いていて楽しいんですよね、時々「なに言ってるかよくわからない」感じが。
そんなこんなで。
再三にわたり、こんなステキなイラストからお話を膨らませる機会をいただけたこと、とても楽しく、また勉強にもなりました!
改めてくじょうさん、ありがとうございます!
お読みいただいた読者様にも、楽しんでもらえていれば幸いです。
ではまた!
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