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#1 日々 家事について。
今日家事をしていて思ったこと。
家事とは、自分自身を大事にすること、
労わることに直結することなのだと今更気が付いた。
母親になると、また夫のためだとか、子供のためだとかで、
少しわかりにくくなってしまうかもしれない。
でも私は独り身で、よりそのこと(家事=自分を労わるということ)がわかりやすかった。
なんたって、家の中のことをやって明らかに助かるのは、私だけなのだ。
洗い物を溜める。
もちろん不衛生だが、もし数日経ったって、長い間放置しない限り、外に影響は及ぼさない。
部屋が散らかる。
ゴミ屋敷にならない限り、住んでいない人は知ったこっちゃない。
きちんと食事をとる。
社会的には私が何を食べようか、どうだっていい。
家事=しなくてはならないこと。できて当たり前のこと。
という意識が強すぎて、根本的なやる意味を全く考えられていなかった。
部屋が汚いのは、人として良くない。
料理くらいきちんと作れるのが大人の女性だ。
掃除はするのが当たり前だ。
もちろんいつでも部屋がきれいで、バランスの取れた食事をしていて、家事をスピーディにこなして、仕事もして、ということが理想なのはわかっていた。
健康面においても、精神面においても、何においてもそうした方がいいことは嫌というほどわかっていた。
頭では理解していた。
そういった理想がうまくできなくて、嫌で嫌で仕方がなくて、私は家事が嫌いだった。
「それをやるのが当たり前」のことについて、やる意味が見いだせなかった。
なぜ冒頭のことに気が付いたかというと、今日、割と真剣に洗い物をしていたからだと思う。
私は家事が嫌いなので、いつも音楽を流しながら家事を進めていた。
そしたらいつの間にか終わっているからだ。
ある程度、気分良くできるから。
でも今日は、無音のなかで洗い物をしていた。
洗っているなかで、感覚的に、仕事をしているときと同じようだと思った。
そして、家事をしているときにそんな感覚になったことがなかったことに気づいた。
「私は、仕事より真剣に家事をしたことがあったか?」
仕事は、おろそかにしていると、お客様が困る。一緒に働いている人が困る。だからミスのないように気を付ける。段取りを抜かさないように気を付ける。なにか間違ったとしても、すぐに訂正する。フォローする。
でも家事は?
困るのは自分だけ。適当でも困るのは自分だけ。やらなくても自分だけ。不快なのは自分だけ。
だから適当でいいと思ってた。
でも裏を返せば、助かるのは自分だけ。ちゃんとやって喜ぶのは自分だけ。快適に過ごせるのは自分だけ。
自分だけのために、とる行動。
そう考えると、独り身の私にとっては、「それをしてあげられるのは私だけじゃん」となるわけだ。
もちろん誰かに頼んでもいい。
お仕事として依頼してもいい。
でもその頼む、も、依頼する、も、自分のための行動なのであって。
とにかく、自分より他人を優先しがち、を今回の件で少し自覚できたわけだ。
というか、他の人にする気づかいを、自分には全くしていなかったという気づきを得られたわけだ。
私の家事嫌いはなかなか治らないと思うが、
今回のことを何度も思い出すようにして、真剣に家事に取り組んでみようと思う。
自分を大事にしてみようと思う。
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日記のようなものを書いてみました。
お茶の葉でした。
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