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桜があれに見えたあの日から~密着:桜ドキュメンタリー2018の教え

桜。
1週間で咲き乱れて散り果てる儚い人生。
あまりにもかっこよすぎる生き様を見過ごすことができなかったわたしは、
こんなかっこいい人生を全うする桜を「花見」だけで終わらせてよいのか?いや、この生き様はドキュメンタリーにせねばならないと謎の使命感に駆られ、
咲いてから散るまでの桜の姿をなんとか写真にしておさめてみたいと思った。

2018年の春、
いくら酔っ払っていても、誤って一度帰宅しても、
寝ぼけてしまったためにタクシーで凄く変な場所で降ろされても、
駅前の定位置にて10日間撮影し続けた。
(帰宅時間が狂気に満ちあふれているのはスルーしてください)

▼桜ドキュメンタリー

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咲いてから散るまでの桜をみて、
そりゃあ古人も歌詠みたくなるわな~となるほどには風流な桜ドキュメンタリーが完成した。
満足する一方で違和が残った。
このドキュメンタリー制作を通して、世紀の大発見をしてしまったのだ。
満開の桜が何か別のものにみえた。

骸骨だ。

骸骨の集合体のように見えてしまい、グロテスクにみえた。
美しいピンク色にすらもはや狂気を感じ
あの日から、わたしには満開の桜が骸骨にみえるようになった。
美しさの裏にある秘めたる狂気は、
植物から発されるものとは思えなかった。
1週間の命のために、残りの51週間の準備がある。
51週間という途方も無い時間が、亡霊のようになって何かを訴えようとしたのかもしれない。
そんなことを考えた。

去年の今頃、わたしたちの生活は変わり始め
お花見も自粛せざるを得なかった。
わたしは、誰もいないのに桜だけが咲き乱れる公園の映像をテレビでみて、
「せっかくここぞとばかりに桜が咲いているのに、誰にもみてもらえずかわいそう」
なんてことを考えてしまった。
しかしその後、なんて自分勝手なことを思ってしまったのだろうと反省した。

数学者、岡潔さん作の「春宵十話」という本にこんな言葉がある。

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」

桜はただ桜のように咲けばよいだけの話であり、
わたしにとって骸骨のようにみえることも、
外出自粛で人々にみてもらえないことも、
桜の預かり知らぬ話なのである。

嗚呼、桜さん
あなたがたは毎年わたしに教えを説いてくれるのですね。
わたしたち人間のために咲いてるのでない、
桜は我が身のために咲いているのだ。

わたしも桜のように、
どんなに時間がかかっても
花より団子で、誰かにみてもらえずとも
我が身のために花を咲かせられる生き物でありたい。

桜ドキュメンタリーを制作してから
春がくると毎年こんなことをふと思う。


3年前のあの「桜ドキュメンタリー制作せねば!」という謎の使命感は
なにかのお告げだったのかもしれない。

今年もまた桜に逢えると思うと、
やっぱりいくつになっても春がくるのは楽しみなのだ。

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