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行動者1と応援者9の世界。


ワタクスはわりと調べずに

自分で思ったこと、出てきたことを

書くのが好きなんですけどね。


1週間更新が空いてしまいまっ。

書きたくなかったわけでもないが

うまくまとまらなかった。


脳内でいろいろと言葉は浮かぶ

それをまとめるのは難しい。

さも天才のように書きますが笑

誰しもあると思いますけどね。


アレもコレも論点があるけど

書きたい表現が浮かんだら

思うままに書きたい、素直に。


でも、どうも一つの文章や

記事の内容として、表現を

つなげるには強引すぎたり

論点定まってなかったりする。


挙げ句、最近特にそうで

文章がすごく長くなるという笑

(今回も若干、長めかな・・・)


自分の頭の中では書いてることが

もちろんわかってるんですけどね。


それが文章になって相手に伝わるかは

また別の話ですからね。ホントに。


誰がどう読んでるかを

気にして書いてないし

そうなるといろんな威力が

弱まると思ってるので。


誰も想定せず、好きな解釈で

読んでもらえたらと思ってます。


このスタイルが感情が一番乗るから

感情文章が好きでやめられない。


最近では、チャットGPTですか?

やったことないですし、これからも

やるつもりはない予定ですが。


ワタクスのこれまでの文章を

学習させたらうまいことまとめて

もっといい文章出せるのか?笑


自分から断片的に降りてきた

視点から膨らませて書いている。

被ったりもしてるし、以前書いたのと

当然見方も変わったりもする。


でもそれが人間っぽい感じで好き。

基本的にズルくないですけど

たまにズルいなと自分でも思うが笑

人間、当たり前の自然な心の動き。


チャットGPTで文章書くとなると

自分の喜びがなくなってしまう。

そんな予感がしますね。

個性も死ぬでしょうしイイコトナス。


世の中無くても良かったんじゃないか

ってこと、たくさんありますからね。

便利になりすぎてしんどい人も多い。


勉強してまで書きたくないし

書いたところで誰が書いても

変わりないなら、書く意味がない。


これからはもっと感情の文章との

境界線が、わかりづらくなる。

おそろしい。誰も信じられない笑


広末の私信も感情ですよ、はい。

間違ってる文章だとか表現だとか

幼稚だとかいろいろと言うけど。

ある意味、突っつくのも野暮でね。


おそらくもっと恥ずかしい文章を

ちまたの人も書いてたはずで笑

それを晒されないのは相手の優しさ。

ここぶっ壊れたら終わりな堤防です。


広末には魔性を目指せと書いたが

いろいろとバレない時代であれば

イメージもつくりやすかったのに


いろんなものが発明され、進化して

窮屈な時代になっても止まらない。

昔とは同じようにいかない流れすら

誰も止められなくなってきている。


責めたい側は、オトシメたい気持ち

やるせないストレスのハケグチ。


ただ、広末は沈まないでしょう笑

広末ポジションを確立してるから。

他の誰も真似できないポジションを。


ただね、頑張る人は頑張れる環境を

獲得したり取り戻したりしていくけど


ほとんどの人は役割決められてて

他人を応援する、評価するだけで

満足せざるをえない環境にいる。


そういう待ちの姿勢の人口を

増やしすぎたんでしょうね。


一部の行動者に対して

大勢の応援者、支持者、待機者

っていうポジションに甘んじる。

そういう状況がより強くなった。


誹謗中傷が止まらないのは

自分の役割が案外、何もないから。

やることないから目につく。

目につくと、やけに気に障る。


実はコントロールされていて

行動者を増やしすぎないように

制限をしないと全体を

管理できなくなるからで。


でもね、ツール自体はどんどん

進歩していって誰でも行動者に

なれる環境が整っていくんです。

どんな立場でもツールは同じ環境。


それでも大きな枠としては変わらず

定数が決まっているイメージで


選ばれた行動者と、その行動を

そうだそうだ、と同調してみたり

茶化したり、反論してみたり

笑いを誘って構ってほしがってみたり。

応援者という地位でジダンダフム。


行動者と同じツールは得られるけど

行動者の立場にはないみたいな

社会的な立ち位置を与えて評価する。


カリスマについていく番手以降の

ポジション争いみたいなのもあろう。

そりゃ不満もストレスも溜まるて。


シンプルに言うと、行動者の地位を

もっと広くする、管理しようとせず

全体で動かしていく感覚を生ませる。


行動者1で応援者9の割合が

変わってくると社会も変わる。


フレキシブルに行動者と応援者が

入れ替わることもあっていいし


互いに補い合って行動者にも

応援者にもなれる立ち位置を

あえてつくる流れになっていくと


常に誰かが足を引っ張り合う社会は

少しだけ緩和されていくのでは。


そんな簡単にできることではないが

行動者を増やすことをやっていき

互いに認めあっていくと、自然と

誰かを羨ましがったり、非難したり

してる暇がなくなると思うのでね。


一番は、応援者に自由に

行動者となれる場をあえて与える、

つくることですよ。

それですべて変わり始めると思う。


ものすごい抽象的に書いてるけど

これをチャットGPTなら

どう伝えてくれるのでしょう笑


誹謗中傷をなくすには

いまの行動者の場を広げるだけ。

それを認めたくない立場の

人たちは自分からやることは

ないでしょうから。


やるとしたら応援者が数の論理で

流れをつくるしかないですね。

その中に裏切り者も当然いる笑


でもそうであっても

このまま応援者で終わる

よりはマシですよ笑


応援者が主体的にまとまれば

この構図は必ず動くと思うが

まとまろうとしないで強引に

行動者を名乗って出ていくほうが

場は次第に加速するのかもね。


ちょっとわかりづらいな〜笑




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