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緩衝的な私たちに。


かんしょうてき。

言葉遊びにも時代が宿る。


現代は見て楽しむ「観賞」的で、

AIでこんなん好きだろ?と「勧奨」的に

そして他人にやたらと「干渉」的に

横やり入れて、オトシメたがる。


そのことで私たちは、

「感傷」的になりやすくもなっている。

意図なく傷つけていることを

知ってしまう、知らされてしまう具合に。


間違うこともあるし、

間違うことでしか、

理解できないこともある。


正解ばかりを学習しても、

学べないこともあるのは

私たちも十分に気づいているはず。


しかし、失敗を許しませんね。

許さないというか、責め立てることで

ストレス解消しているというか。


失敗から学ぼうとする人をも

引きずり降ろそうと躍起になる。


その攻撃はいつか

自分に跳ね返ってくる。


しっぺ返しをくらう、と

書こうと思ったが

本来の意味は、即座に仕返しする

という意味のようで(笑)

間違って解釈してたなぁ~。


しかし、よく言うように

自分が他人にしたことは

いつかまわりまわって自分に

返ってくるんだよと、小さいころ

よく大人たちに言われたものだが。


それがどうだろう。

そう口酸っぱく言われて育った

大人たちときたら。


売り言葉に買い言葉のように

揚げ足取りを互いにしあう。


まさに、しっぺ返しをしながら

干渉し合い、人を阻み合う。


日本はやっぱり幼い国なのか。

感情的な暴走を止める大人がいない。

その大人自身が暴走している気がする。


許すことはそんなに難しいことに

なってしまったのか。


程度による、みたいな尺度もあるが

ハードルを上げすぎていることに

まったく気づけていない。


緩衝材が必要に思うが、

間違っているのだろうか。


感情が暴走し続ける社会は

どうなってしまうだろう。


雰囲気に流され過ぎて、

雰囲気を乱すことを排除する。

たしか、何度も経験してきたはず。


それでも人間は繰り返す。

私たちは大人として、

どう言い訳するのだろうか。


先人たちに何を学んだのだろう。

いつかあの世で、かつての子どものように

またこっぴどく、怒られるのだろうか。











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