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コロナで得てしまった不信に対する信頼。


現代のコロナ以降において

あらわになったのは

バイ菌に対する不信感。

この影響がいかに大きいか。


本来持っている免役機能など

ある程度バイ菌にさらされても

人間に備わる抵抗力や免役機能を

信頼しなくなってしまった。


改めて野ざらしにすることへの

恐怖や不信感が芽生えてきた。

知ってしまったがゆえの。


医学やデータで解明すればするほど

アレもコレも怖いから防ぎたい。


ビジネスもその流れに乗っかり

ドロブネをさらに快適にと促す。


そうやっていくうちに

不信に対しての信頼を得た。

とでも言うべきか。



わかりやすく言えば

鼻毛が人体への過剰な侵入を

守ってくれているのに


鼻毛を嫌ってキレイにしすぎて

本来持っている機能を不全にする。

ないがしろにしてしまう。


そういうことと同じことを

コロナ以降やっている。

守るために毛があるのだ。


しかし不信感や恐怖感が上回り

さらに日本人特有の同調圧力が

加わって、より強固なものにした。


これに対しての実感も薄れて

守ることに慣れ、不自由を愛す。


快適であれば狭い空間でも

その中でやりくりする快感に

溺れていく日本人ならでは。


外国がいくらマスクを外して

本来の自然な免役ガード基準に

戻したとしても信用していない。


ゼロコロナ、ゼロバイ菌心理が

勝ってしまう恐怖感が上回る。


さらに自然な免役や抵抗力で

カバーできていた頃と比較して

薬など人工物の信頼するカバーを

羽織り何があっても脱がない。


外国の現状に対しても

ヨソはヨソ、ウチはウチ。

この一点張りを続けて

自分単独では脱ごうとはしない。


誰かにいいんだよと

お墨付きをもらうまでは

たとえ不自由であっても

自然な機能より薬を信頼する。


これではいつまでも私たちは

前に進めないのではないのか。


一部のもうマスクは不要だと

高らかにする声にも周囲を伺い

周りが動かないと動けない。


その周囲も同じように周囲を

気にして動かないのだから

自分たちで自分たちを

縛りつけているようなものだ。



問題はこの催眠をいかにして

解くのかということだ。


国は強制ではないと

いつものように濁して逃げる。

これでは進まないのは当たり前。


でも拡大したら責任を追及され

いまの立場から追いやられる。


いつまで経っても

言えないものは言えない

というスタンスを崩さない。


誰のための政治だろうか。

保身のための政治家に

ゴーサインなど出せるはずもない。


行政も同じ。手下にすぎない。

もう民間で強烈なリーダーを

立てて、ついていくよう促す。


大きな波を起こして

しばらく信頼してガマンする。

そうすると風向きは

変わり始める。


そうしないとこの国は

いつまでも有効な手段に

着手できず後手を踏み続け

ホントの機能不全を起こす。


いつまで待つのだろうか?

とても賢いとは思えないが笑



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