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しちならべで止めている感情。


パワハラ問題が騒がすことで

気がついたことがある。

ちょっとややこしいので

想像力をはたらかせて下さい笑


人が1から10まで進む途中で

パワハラを許してないまでも

あるなぁ、まぁ仕方ない進むか。


止まってられないし気にしてると

何にも進まないからなって感覚で

私たちは、どんどん進んできた。


それが大人の世代のやり方である。

日本の国民性の闇の部分を

ひた隠しにしながら見ないふりで。


子供はパワハラに対して小さい頃から

正論を学んでくる。仮に年齢だとしよう。


1は10歳、そこから進んで

2は20歳、最後の10は100歳

だとすると、なんとなく10まで進む

人間が生まれ歩む人生のイメージ。


仮に、パワハラの解釈がいまの各自

各年齢で身につけた経緯で違うとする。


そうなると世代間ギャップを生む。

当然そうなるだろうことはわかる。


問題は上の世代が世の中の中心で

社会全体を動かしている場合

4(40代)や5(50代)の

経てきた意識でどうしても進む。


その中で都合の良いことだけを

取り込みつつ、いいことをやってる

ふりをしながら、保身が強くなる。


すぐに1や2の意識を素直に

取り入れて改善していく流れが

スムーズにできればいいのだが。


日本はこれができないまま進む。

4や5のこれまで培ってきた意識は

自分の中で正当化され、自信を持ち

経験値として揺るがない基礎をつくる。


そうなってしまうと、自分の立場を

正論が根幹から揺るがすことについて

認めたくなくなる傾向になっていく。


4や5が進んできたリズムは

元はといえば、6や7が築いてきた。

その6や7もほとんどは8や9

ずっと継承しながら先例を守る。


明文化こそされていないが

どこかでニュアンスとして続く

日本の迷文化がいつのまにか

私たちのDNAに刻まれてしまった。


そこに1や2が正しく学んだ意識を

反映させようと、組織に身を投じても

大きな流れに飲み込まれてしまう。


すでに同じ気持ちを持っていた

3(30代)などはその流れに

諦めて従うことで、食べていくために

乗ってしまっている人が多い。


当然、4や5もかつては、同じで。

こうやって大きな流れに日本人は

年齢とともにしくみの中に注ぎ込まれ

流れに逆らえなくなって同化していく。


心の奥には1や2の意識もあるのだ。

でも逆らうと自分の人生が危うくなる。

妙な持ちつ持たれつで自分の意識を

曲げてしまうことに結果なっていく。


すべては、自分の意思で決めたことだろ?

じゃあ、それでいいんじゃないか?

上の数字世代は、うまくやれよと促す。

これがずっと続いているのが日本では?


このしくみに飲み込まれていくのは

いわゆる上級国民のほうが多いはず。


せっかく入った学校、仕事、レール。

踏み外すことはそれまでを否定する。

それはできない、従うしかないとなる。


変えるにはどうするか?

ここを考え実行するしかない。

この大きく流れが変わる性格を

利用することもひとつの手だろう。


日本人はこっち、っていう流れを

示されて安全、安心、安定があるよ

って言われると?動きますよね。


あるいは日本人以外の人の角度から

誰かが新しく切り込んで正しい流れを

見せられると封を切ったように

ドバドバと人の流れが変わっていく。


心の奥に抱えた本当の気持ちや意識を

そこで解放して、ホンネが出てくる。

本当は自分もこうだと思っていたんだと。


昨日、たまたま見た田中角栄の番組

NHKの映像なんちゃらのドキュメント。


外国人記者に問い詰められるまで

スキャンダル的なものを知りながら

主要な日本のメディアは沈黙していた。


よくある忖度の感情支配の典型で。

外国人キッカケで一斉に報じる。

これはすぐにピンとくるはずです。


故ジャニー喜多川の性加害問題と

構図はまったくの、同じものです笑


やっぱりそうかと。知らなかっただけで

日本人はやっぱり、同じ意識をずっと

ハッキリと口にしないまでも継承してる。


その流れは変わることなく昭和から

平成、そして令和まで続いているのだと。


いまの私たちは正しかったことを

突きつけられて、それまでの経験や

常識で動かしてきたものが次々と

否定され始めている状況でしょ?


それでも上の数字世代が経験として

蓄積してきた考え方を自分からは

否定できないから、ずっと滞っている。


この停滞を打破すると一気に

せきを切ったように勢いが増して

急激に流れが早くなり、そこに

自分も私もという人間が乗っていき

流れが加速していくとようやく変わる。


この構図を利用するしかないのでは?

ということは、日本人だけでやると

どうしても今の構図からは抜け出せない。

これも客観的な事実だと思います。


多くの人は保身から脱却できずに

泥舟に乗ったまま沈みかけていても

わかっていても先に沈みそうな人を

助けもせず、蹴落としながら自分を守る。


外国人しかないでしょう、もう。

その意識を変えるキッカケをくれるのは。

自分たちでできるだろうか?


おそらく島国も関係しているだろう。

陸続きでないということは精神的に

閉鎖的な感覚を維持しやすかったから。


いつの時代も日本は鎖国状態なのだ。

どんなに通信技術が進んでも

空を飛び交う交通手段が発達しても

それによって人の往来があっても。


やはり、日本は日本のまま。

私たちはこれを自覚すべきですね。


そして変えられる可能性が自分たちの

意識の中に必ずあることも自覚すべき。


本気で変えたいのであれば

誰かが新しい流れをつくりかけた時

潰しにかかったり、否定したりせず

少し泳がせてみることも大事では?


すぐ否定し、これまでの流れに戻す。

コロナはいいチャンスだったが

日本は結局、昔の延長上の日本に

戻ってしまったではないか。


安心、安全を個人の責任にするから。

仕事も生活も見栄も何もかも。

だからみんなが同じ方向を向いて

自分を過去と現在を踏襲して守る。


変えたいんじゃないのか?本当は。

でも変えたら自分が危うくなったり

これまでを否定してすべて崩れる

そう考えてしまうからできないのでは?


まずは新しい流れをつくれる人を

ちゃんと探そう。そして否定せず

乗っかる人を可視化していくといい。


そうすれば、急激にではなくとも

少しずつ日本人の心は変わり始める。


すでに1や2の世代は自分を常に

広大なネット空間で曲げずに主張し

上の数字世代を押し始めている。


そこ躊躇せず突破してくるんだ・・・

っていう感覚を若い人を見ると

感じることあるでしょ?アレです笑


実際の人間の数字より、可視化された

主張の強い意思のある声は勢いがある。


その流れをうまくつくりだせるか。

日本は流れのつくり方ひとつで

まだまだ変わる可能性はあるはずだ。


ちょっと抽象的すぎましたが

なんとなくイメージできる感覚

伝わるとさいわいです笑













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