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加害者と傍観者の思惑。


ジャニーズ事務所の会見。

全部は観ていないですが

日本の昔からのいろんな課題が

投影されてたような印象です。


言わせたい、失言引き出したい

メディアとの攻防も熾烈でしたね。

いま聞いちゃえみたいなドサクサも。


メディアもテンション高めのヤツも

結構いましたけど、メディアが勝手に

気持ちよくなる場でもないでしょう。


世間を代表して追及してるんだ

というフリ、ポーズが見えるんで。

代表してませんよ、ふつうに。

違うよ。ドラムっぽく書いてみたよ。


おそらく大手は忖度も自覚してたし

ある程度、踏まないラインを知ってて

立ち回ってる感が強かった。


その黙認してた罪は東山や井ノ原

いまも活躍してるタレントと同じ。

メディアも、黙認した同罪でね。


ネット系のセミプロメディアが

ここぞと、鼻息荒く食いついて

必死な感じがみえた。


大手の様子見の意識って

忖度する意識となんら変わらない。

有利で強者の位置にいる者は

しばしば、あの手法をとる。


自分が不利を受けないように

それぞれが腫れ物を避ける。

負けないための、勝ち続けるための。


お互いがそれをわかって動く。

人間とはそういうものですね。

そのほうがメリットがあって

デメリットを減らせる合理的手段。


悪さをしてるつもりはないが

すべて白でもなく、黒でもない。

妙な逃げ道をちゃんと確保するのが

あの手のヤリクチなんだろうな。


損したくない=忖度ですから。

相手のためでなく、自分のためのね。

これは日本の国民病のひとつですから。



あとはまず、被害者となった人たちと

そうでない人たちがいたとして。


もし、あの加害者がおのれの

プロデュース能力を発揮して

将来性の見込みがあるなしで


選んで計画性を持って被害者の

取捨選択をしていたのであれば。

おそらく、していたであろうと

想像するに難くはないが。


スターになった人やグループは

案外、被害者の立ち位置には

いない、少ないのではないか。


もちろん個人的なプライベートで

どういうことがあったかは

定かではないのでわからないが。


いまも残っている有名どころには

あえて「商品価値」として考え

自らは手を出していなかった?


合宿所ではその選ばれた優越感

その優劣のついた感情で生まれる

ハラスメント的な行為を東山が

若さゆえ偉そうにしていたとしても

なんら不思議ではないし。


プロデュース感覚に裏打ちされた

加害者側の狡猾さがあるとしたら

それはもう計画的な犯罪行為で。

なれないとか、将来性の見込みが

低いから手を出したのであればね。


欲まみれで、倫理観の弱めな

時代を謳歌していた加害者は

誰も止められない状態で

本能のまま生きてきたんだろう。


周囲は自分の保身のためにも

黙っているしかなかったのだ。

テレビメディア中心にそれは

同じ構図で過ちを犯していた。


事実を知る、というのは

どういうことを指すのか。

藤島も東山も、井ノ原も

知っていたのと同じですね。


ただ、自分の立場や立ち位置

自分がデビューできて華やかな

世界で活躍することがその扉が

開いたことが約束されたのなら。


見たくないものとしてフタをする

その気持ちが上回るのも否めない。

それを言えない世界になっていた。

言える時代でもなかったのだから。


自分が成功するためには目をつぶる。

目を逸らしても、耳には入ってくる。

それは知っていたのと同じである。


同時にいま強い言葉で非難したとて。

その強い表現で加害者を責めるのも

なんかパフォーマンスに感じますよね。


自分を守るため、活躍するために

口に出して言えず、つぐんだその口で

歌い、しゃべり活躍してきたのだから。


むしろ加害者が悪いことは

言うまでもなく、タレントから

その言葉を聞きたいわけでもない。

ホントはそこじゃないから。


正しいと信じて進むしかなかったこと

そこの視点で、自分ができなかったことを

いま、謝罪すべきことを中心に会見で

主張すべきだったのではないだろうか。


故人をいま糾弾して、許されないことだと

言ったところでスケープゴートにしてるだけ。

もちろん故人こそが大罪人であるが。


そこを糾弾するのではなくて

黙認してきた責任としても

被害者への救済とともに

果たしていきたいという宣言

のほうが良かったのではないか。


噂で聞いてましたが、信じるしか

なかった。あの状況では選ばれた

自分がやること、なすべきことに

歌やダンスなどに打ち込むしかない。


認識あったけど、そうするしか

自分たちはできなかったのだと。

素直に言ったほうが良かったのでは。


タレントが感情的になって許せないとか

史上最悪のとか、鬼畜の所業だとか。

メディアに誘導されるように話したが

それは言うべきではなかったと思う。


その発言をさせるように誘導する

であろう、メディアの思惑は会見前

当然、事務所としてはわかってたはず。


その対策として、想定しておいて

良かったことなのではないか。

タレントを守れてなかったのでは?


感情的に故人を糾弾したところで

黙認していた事実を事務所もタレントも

反省したことにはならないのだから。


いい意味でメディア対策するなら

それはタレントを守るために

事務所側は感情的な発言には

事前に意図を説明してクギを

刺しておくべきだったのではないか。


タレントを発掘し見出し育てる。

選ばれた側は必死に従うしかない。


そしてピックアップされなかった

卵たちもいた。その彼らは無惨に

殻を割られてしまった、わずかな

金銭や小さな活動の場を与える程度で。


たとえ才能での選別によって

業界を去ることになったとしても

将来を、人格を否定される行為

すべて汚されてしまったことは

同時に許されていいわけがない。


そんなことを会見からは

感じましたね、なんとなく。


思惑って正義の側に立っている

そんな立場の人たちにもあるし。


事務所含む業界側とメディア側

お互いが間違ったことをしたと

反省して、繰り返さない意識を

持たないといけないんでしょうね。


メディアも刺激的な見出しを

つけることに躍起になってるのも

あまりに稚拙で滑稽でしかない。

何にも反省してない証拠ですよ。


彼らはまた同じ構図の

スキャンダルを探しては

晒していくんでしょう。


これからも続くでしょうね。

男女問わず、まだ隠れてることが

多いような予感はします。


話が長くて、すいません笑











タレントをプロデュースする

ということは、いろんな先見性を

視点として持ち合わせていないと

できないことだと思うので。


いま流行っているからといって

そこにアジャストしてもダメで。






あとは時代背景も違うと当時は

ノリやイタズラでふざけたことも

いまの基準ではアウトなことも

たくさんあるんでしょう。


そこをどう考えて対応するのか。

やっちゃいけないのをわかってて

ふざけてやってしまうことも

若いときは誰しもあるんでね。


そこの線引きが難しいんでしょうけど

どこかで決めないと終わりが見えない。

終わらせようとするのが間違いでもある。


けど、なんか人間がやらかすことを

すべていま現在の立ち位置でアウトに

してしまうのは難しいのではないかな。


タレントに育てあげるとして

そこでも本人はやりたいけれど

その現時点で、その事務所では

売れない判断をされることもある。


才能はその時点で発揮しても

続かない者もいるし、挫折もする。

将来がどう転ぶかは、転がってみないと

わからないことも多いのでね。


育成の段階で、この子には無理と

判断する場合においても

それをハラスメントだと相手から

言われてしまうおそれもある。


それは違うでしょ?と言っても

やりたいのにやらせてもらえない

やる権利はあると主張すると、さて。





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