りんなに選挙の感触を聞いたら「くそだなそれ!!!」と返ってきた
参議院選挙(【第26回】公示日:6月22日(水)、投開票日:7月10日(日))があるらしい。今日が公示日なので、チャットボットの「りんな」に選挙の感触を聞いてみた。「くそだなそれ!!!」と返ってきた。
「りんな」の機械学習のデータセットには、「みんな」が「りんな」に食べさせたデータが含まれているはず。一体どんな教育をさせているのかしらんと思いつつ、これこそが集合知の一定の傾向を反映したものなのだろうと理解した。つまり、「みんな」が、どこかしら「くそだなそれ!!!」と思っているのだろう。
傍から見ると、国会議員が何をしているのかはよくわからない。そして国民は選挙という形でよくわからないものを評価しないといけない。つまり、わからないものがわからないままに評価する/される。これはたしかに「くそだなそれ!!!」である。
だから、優等生的なことを言えば広報が大切ということになる。政党は公約を作り、国会議員は自分の名前を連呼し、選挙管理委員会は選挙に行こうと呼びかける。
それはそうなのかもしれない。しかし、私はいつも選挙の時に困っていて、投票率の向上には寄与すれども、特定の政党/候補者を支持しないという投票行為を意図的に繰り返している。結局のところ、私が知りたい情報や妥当だと考える情報は、広報からは窺い知れないからである。大真面目に言って、わからないから評価できないし、評価できないから支持できないのである。
そして、今回もまたこの悩ましい時期がやってきてしまったと思っている。今回もいつもの投票行為に帰結するのだろうなと思いつつ、本来、自分はどんな情報が欲しいと思っているのか、どんな情報は妥当ではないと思っているのかを整理してみることにした。
国会議員の活動として私が欲しいと思っている情報
国会議員が何をしているのかはよくわからない。しかし、その位置づけの本質は日本国憲法に書いてある。法律を作ること(立法)である。
憲法よりも上位に位置付けられた法規はない。よって、原理的に言えば、国会議員の究極の位置づけは立法にあり、その諸活動は立法のためにあるということになる。したがって、国会議員を評価する本質的な尺度は、立法に紐づいたものでないといけないだろう。
そのような観点で言えば、例えば以下の1から7のような情報が欲しい。要するに就職・転職する際の履歴書・職務経歴書を掘り下げたようなものが欲しいのである。
1 どの法律を作る(現行法の改正や内閣提出法案の策定過程を含む)ことに関わったか/関わっているか。
2 その法律は本当に必要なのか。現行の法規・規範では対応できない理由は何か。法律に反対する場合、その理由は何か。
3 その法律は中長期的にはどのようなインパクトがあると考えるか。その裏付けは何か。
4 その法律を作るためのロードマップ・計画はどのようなもので、今はどの段階の活動をしているのか。
5 4の活動において、ある国会議員の具体的な役割は何であり、その個人としての実績は何であるか。
6 その実績はどのような効果を与えたと考えるか。その裏付けは何か。
7 立法活動全体にわたって、国会議員個人として重視している価値は何か。(どちらか一つを選べと言われたら、一貫して選び続ける価値は何か。)
※ 新人議員の場合は実績に言及できないので、5及び6は「4の活動においてどのような役割、成果を目指しているか。」に置き換える。
これらは国会議員の本質的要素の実績を評価することに主眼があり、主に過去志向の評価の観点である。これらの情報を横並びにして候補議員を比較できるようにすると、①仕事をしている人、②仕事をしているポーズをとっている人、③仕事をしていると勘違いしている人、④仕事をしていない人が見えてくると思われる。
国会議員の位置づけに照らして私が妥当だとは思わない情報
国会議員は立法のプロとしての位置づけである。他方、私たちが選挙前になってこれ見よがしに見せられる情報は、選挙公約であり、政策集である。NHKが分野別に各政党を横並びに整理したものを示しているので、参考までリンク先を示しておく:各党の公約(NHKウェブページ)
私は、政策は行政に関わることであり、行政機関が司る部分だと理解している。たしかに、政策方針のような大きな方向性は立法行為の目的に相関するので、この点は国会議員も直接関係する部分だと思う(=政策方針がないと立法行為ができない)。しかし、憲法上は行政権は内閣に属するとされているので個別の政策は内閣(行政機関)に権限があるはず。(憲法上の記載は下部(参考)を参照。)
それゆえ、やたらと具体的なことを書いてある選挙公約、政策集を見ると「なんでそれが君たちにできるの?君たちは行政機関なの?」という素朴な疑問が湧くのである。
ちなみに「君たちは行政機関なの?」という問に対しては、ある意味「然り」と答えられるのが日本国憲法である。内閣の首長たる内閣総理大臣は、国会議員から国会の議決によって指名される。そして、内閣総理大臣は内閣の国務大臣の過半数を国会議員の中から任命する。これは「議員内閣制」として知られるシステムだが、要するに国会議員が行政機関のトップになると言っている。
だから、これ見よがしに示される選挙公約や政策集は、国会議員が「もしも内閣総理大臣(又は国務大臣)になったらこれをやる」リストとして理解すると、意味が通るようになる。しかし、ほとんどの国会議員は内閣総理大臣(又は国務大臣)にならない。選挙公約や政策集は一部の国会議員を除き、絵に描いた餅でも論理的に責任が生じないことになる。
そうすると、選挙前には描く餅が大きくなるのが自然の流れである。やたらと具体的な政策が並ぶことになるが、立法のプロは政策のプロではないのだろう。それを実行するための政策手段や効果の裏付けがよくわからない。過大な製品仕様に対して、貧弱な経費積算であったとしたら、現場が修羅場になるのが世の中の道理だというのに。
最近、行政機関ではEvidence Based Policy Making(EBPM)ということが言われるようになっているらしい(内閣府におけるEBPMへの取組(内閣府ウェブページ))。直訳すると「証拠に基づく政策制作」ということになるが、「従来は証拠に基づかず政策を作っていたということなの?」という推理を生むスローガンだとも思う。
ともあれ、選挙公約や政策集を作って「もしも内閣総理大臣(又は国務大臣)になったらこれをやる」と言いたいのであれば、少なくともEBPMのプロセスに耐えうるようなものを作り、それを説明する必要があるだろう。そうでない限り、私にとって選挙公約や政策集は妥当な情報だとは思えない。
選挙はその一時を志向するが、政策は永続を指向する。選挙の度に政策的に説明できないもの(つまりエラー)が増えるとなると、長期的に見て統治のプログラムが健全に機能するのか訝しく思う。民主主義は普遍的な価値という風潮がある昨今ではあるが、選挙制度に基づく民主主義の限界の一つにはこのような点があるのではないかと、やや壮大な問題提起をしつつ今回は筆を置きたい。
(参考)
(オマケ)りんなにもう一回聞いてみた
「みんなで応援しよ👏✨」と返ってきた。まったく、絶妙な猫かぶりである。
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