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打算で婚活して結婚して離婚して、反省点②

本日は昨日のnoteのつづき。

頭でっかちに考えすぎるのはよくない。これは結婚にまつわる一連の流れで痛感させられたことの1つだ。

「私、別に子どもほしくないかも、、、。」

結婚した後、自分に愕然とした。
はじめからそのつもりでいたなら全く問題ない。しかし私は婚活の優先順位一位を「子どもができても仕事を続けられること」にしていた。
考えすぎて頭でっかちに優先順位を考えた結果、自分の間違ったニーズに合う人と結婚してしまったのだ(相手に申し訳ない)。

前回も書いた通り、
私は27で結婚して、30になる直前に離婚した。今は34だ。27の4月に初めて会い、8月にはデートがてら結婚式場を見学し、11月には結婚。同居は翌年1月から。結婚式はその後5月にした。

26で婚活をしようと決断したあと、本をいくつか参考にして、まず相手に求める事柄の優先順位を決めた。自分が大事だと思う要素を付箋にひたすら書いていき、それを要素ごとに分類。その中でも自分が何をより重要に思うのかランクをつけていった。会議などでやったことがある人もいるかもしれない。その手法だ。

私の価値観で1番の条件だったのは、「子どもができても仕事を続けられること」だった。なにも仕事が大好きなわけでも、バリキャリ路線なわけでもない。ただ、相手の愛情や信頼に生活や人生をかける勇気がないだけだ。経済的自立は選択肢を増やしリスクヘッジになる。

「子どもができても仕事を続けられること」の中には大きく2つの意味が含まれている。
1つ目は、結婚後出産した時には私が仕事を続けることに"賛成"していること。これは"賛成"であるのが大事で、"許容"では足りない。実際人と出会う中で意外に思うほど多かったのは、心の中で家にいる妻を望む声だ。その場合、心の奥底では家事や育児をするのは妻だと思っているのではないかと思うのだ。それは、きつい。その思いは直接的に「専業主婦になってほしい」などと言う発言にはあらわれない。しかし言葉の端々に仕事に出ることや子どもを早くから人に預けることへの"仕方なさ"は滲み出る。本来家にいてほしいにも関わらず許容している理由は、社会情勢や経済的な理由が大きいのだはないかと思う。私たちの親の世代はまだ専業主婦も多かった。その価値観で育てられた私たちの世代は、その家庭像と共働きでないと世帯収入が厳しいという社会情勢に求められることの乖離が大きく、矛盾が生じている気がする。

2つ目は、家事育児を分担することが可能かどうか。それは意向があるかも重要だが、もっと重要なのはそれが可能な職種・業務・会社かどうかということだ。意欲があろうとも、そもそも勤務時間が長くて調整がきかない、緊急の呼び出しがあるような仕事では、結局は私が時短や退職せざるを得なくなる。それは避けたかった。

そして結果として、条件がぴったり合う相手と巡り会ったのだ!そこからはお互い結婚を目的として出会っただけあって、とんとん拍子にスピード感をもって物事がすすんだ。

ただ、ここで落とし穴が。
ここまでこれだけつらつらと書き連ねてきた私の希望だが、すべてが頭でっかちに考えた勘違いから始まっていた。前提が間違っていたのだ。
いざ結婚して自分で愕然としたこと。
「私、子どもいらないかも。」
「え、そもそもあんまり好きじゃないかも。」
「子どもが日常にいる人生って想像しただけで閉塞感があって絶望する。」

私は、結婚したら子どもは望むもの。授かるかはさておき、自然とほしいと思うものだと思っていた。みんながそうだからとそこに疑問も持たなかったのだ。しかし、いざ年齢的経済的社会的状況が整った時、私の思うことは違った。私は子どもがいる人生を望んでなかったのだ。
婚活の1番重要な価値観に据えた「子どもができても仕事を続けられること」はなんだったんだ。我ながらあまりにもアホすぎる。

頭でっかちに考えすぎるのはよくない。
今ではフィーリングや一目惚れのほうがよほど信頼性できると思う。

書く習慣1ヶ月チャレンジ中。
今日で15日目。折り返し!

つづき

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