あなたに影響を与えた出来事はありますか?_弱小吹奏楽部での一つの物語。

私は現在転職活動中の身である。
職を探す上で、自分が本当にやりたいことってなんだろうと自分を見つめ直すことは誰しもあるのではないだろうか。
そこで幼少期や思春期に起きた自分にとって一番大きな出来事は何か、またそれがどのような影響を与えたのか振り返ってみることにした。


私は小学1年生からピアノを習っていた。
レッスンの直前にしか練習しない不真面目な生徒だったが、楽器を触ることや好きな曲を好きなタイミングで自由に弾くのは好きだった。

中学校に上がると音楽が大好きな私は吹奏楽部に入部した。
楽器体験で最初は音が出るトランペットばかり練習していたが、正式に自分の担当楽器を決定する際、もう一通り楽器を吹いてみようと各パートを一周したところ、突然、今まで音も出なかったフルートの音が鳴った。
あの瞬間の驚きや興奮はもちろん、周囲にいた同期や先輩の驚いた顔は今でも忘れられない。
それが私とフルートの出会いだった。

数ヶ月後、先輩方のコンクール前の合奏を見学する機会があった。
課題曲Ⅱとハンガリー狂詩曲第二番。衝撃を受けた。
自分が奏でる音色とは明らかに違ったし、自分の心に訴えかける何か、うちから湧き上がる何かを感じた。熱中、憧れ、感動。
そこから吹奏楽の世界にのめり込むのに時間は掛からなかった。


私が憧れた当時3年生の先輩は引退し、世代が変わった。

特に部活のような上下関係がはっきりした集団で尚且つ中学生という多感な少年少女の集まりの中で、学年の一つ違いは仲良くなりにくいとは言うが、私もまさにそうだった。

当時の私は同学年の中では上手な方だと言われていた。
勿論比較対象が狭い範囲の中の話なので心から真に受けていた訳ではないが、多少自覚はあったしそれが自信にもなった。
しかし先輩はそれが気に食わなかったのだろう。かなり悪口を言われた。もはや陰口でもない。先輩14人全員がいる部屋に呼び出され、ほぼ集団リンチみたいなこともあった。(一人ずつではあるが私たちの代全員呼び出されていた。しかし言われる内容は様々だった。)理不尽だ。
これがどれだけ上手で練習熱心な人なら良かっただろう。
一部の先輩たちは本当に練習をしなかった。
フルートの先輩を含む仲良し5人組がいた。彼女たちはもっぱらももクロのコピーと恋バナと悪口に熱心だった。
1年先に楽器を始めただけで、私にリードしているのは努力の差ではなく時間の問題だった。音楽室に居座って傲慢な態度を取る彼女たちを私はとても尊敬はできなかった。

私は彼女たちを早く追い越して絶対に上手くなろう見返してやろうと努力した。
無論、それは好きで好きでたまらないことだったので苦に感じたことはなかったが。
家に帰っても有名な高校やオーケストラの演奏を聴き漁り、授業の合間に譜面を読み、授業中は先生の話を聞きながらペンをフルートに見立てて指遣いの練習をした。肺活量を増やすために筋トレだってした。部活に行くために学校に通っていた。
そこまでして先輩を追い越せたのかはわからないが、あの時の自分ほど何かに熱中している自分はいないと思う。

先輩最後のコンクールは過去最低の結果となった。
当然私は悔しかったけど、心のどこかでざまあみろと思っていた。
当たり前だ。
かつてのピアノレッスンの自分ではないが、昨日今日努力した人が直向きに努力してきた人に勝てる訳がなかった。チームワークだって長い年月を経てより強固になっていくものだろう。


そうして、自分たちの代になった。
実は私は1年生の頃から学年内の副リーダーを務めていた。
しかし部長や副部長にはなれなかった。それどころか与えられた役職は割と地味なものだった。選任する先輩たちには好かれていなかったしどこかで分かっていたような気がするが、”選ばれなかった”という事実が悔しかった。
今改めて振り返るとその理由は納得できる。中学生ながら皆の観察力に驚くが、私は自分のことに夢中になるあまり周りが全然見えていなかったし、いつの間にか「こうあるべきだ」と言う模範的ないい子ちゃんを演じていて、周りにもそれを押し付けていた。もしくは私は人前に立ち率先して引っ張っていくというよりかは、前に立つ人を気遣いフォローするような縁の下の力持ちの方が性に合っていた。
フォロワーだって立派な役である。

そうして自分の立ち位置を確立した私は一層練習に打ち込んだ。
代替わりした直後は先輩がいない開放感もあるし、コンクールまで時間があるため中だるみしやすい時期であった。
私が苦手だったももクロ先輩団のような派閥が私たちの代でも登場した。
派閥が真っ二つに分かれて、そばにいた子たちと話が合わなかったこともあり、昼休みは談笑せずひとり一番に練習場所に向かった。
広い校舎に自分の音だけが響く空間が心地よかったし、雑音が混ざらないから自分の音色と向き合うにはぴったりの時間だった。
口が疲れたり体力の限界を感じた時は、フルートにまつわるコラムを読んだり、当時放送されていた「吹奏楽の旅」の録画をメモ片手に見漁ったりした。
誰よりも努力したと思う。


コンクールの自由曲が決まった。
フルートのソリから始まるかっこいい曲。
ソロではなくパートで吹くソリだったのが少し不満だったけど、正直目立てるならなんだって良かった。
しかしそれから程なくして自由曲が変更になった。
切磋琢磨してきた幼馴染の同期二人が木管楽器のパートリーダーを担っていた。その二人や金管の同期のソロはあるのに、私のソロだけなかった。
譜面が配られ一通り確認した途端、ショックを受けた私の悔しそうな顔を見たのだろうか。顧問の先生が私に気まずそうな、少し申し訳なさそうな顔をしていたのを覚えている。
けれどソロが全てでないことは分かっている。縁の下の力持ちらしく、強く、軽やかに。一層練習に没頭した。


そんなこんなでいよいよコンクールを迎えた。
結果は目標だった県大会目前の支部予選を銀賞で敗退し、私の青春はあっけなく終わった。
原因は自分にもあった。
本番で緊張し過ぎて無駄に力んでしまい、盛大に音を外した。
しかもただでさえ目立つピッコロの、結構目立つパートで。
最早ネタかと疑うくらい完璧なオチだが、その時は大号泣した。

あんなに悔し泣きしたのは後にも先にもあの時が一番だと思う。
コンクール会場から学校に戻ってきて、後輩や同期と労い合った後、私は最後に恩師の元へ向かった。
どんなに練習に没頭していても、思春期の少女にとって、同じ熱量のモチベーションをもつ同志や、昼休みに共通の趣味の話で盛り上がる友人が同じコミュニティにいないことを孤独に感じていたのも事実だった。
そんな中、合奏の度に自分の知らない音楽の世界へ導いてくれる恩師の存在は救いだった。
嗚咽混じりに伝えた感謝の言葉はどれだけ届いたかは分からない。

「お前が一番悔しいだろう。
それだけ悔し泣きする理由を僕は理解できるよ。」

信じられなかった。
先生は合奏やMTGの時くらいしかしっかり関わることはなかったから、私の努力を知っていたことにとても驚いた。
心の底から嬉しかった。尊敬する人に努力を認めてもらえたような気がした。
そして、私の思いはフルートの音に乗って、観客より前、最前列で指揮棒を振っていた彼には間違いなく伝わっていた。

どんなに辛くても苦しくても、自分を信じて努力を続けていれば、たとえ結果がすぐには出なくとも、その過程を見てくれている人、評価してくれている人は必ずいるのだと知った瞬間だった。
それと同時に、私もこれだけの言葉を言える大人になりたいと思った。
これが約2年半かけて私の芯を形成した出来事となった。



あなたにも自分の核となる部分を築いた出来事や自分の価値観を変えるきっかけとなった出来事はありますか?
SNSを見れば自分より豊かな暮らしをして自分より輝いて見える人たちがたくさんいるかもしれない。
けれど大人になった今だからこそ、過去を振り返って自分を深く掘り下げてみると、SNS上の誰かよりもっと輝かしい自分がいるかもしれない。
その時の出来事も自分が感じた全てはリアルだ。
リアルにしかない体験だ。

この先、この出来事と並ぶくらい素敵な出来事に出会いたい。いや、創っていきたい。そんな私の決意表明。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?