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【第二号】刊行に寄せて【サクラビト】
- 本誌について -
サークル・オベリニカが刊行するオンライン文芸雑誌『桜賀創藝 -Ōka Sōgei-』
メンバーからの寄稿作品を集積し、各号のテーマ・フレーズが物語を形作る。
創造性と個々の深い精神性が織りなす作品世界が読者を深部に誘い込むだろう。
さあどうぞ。愉快な言語表現の旅へ。
- 本文|炉紀谷 游 -
桜を愛でる。桜を待つ。桜を訪ねる。桜を詠む。桜を呑む。あるいは、桜を惜しむ。
儚いからこそ愛おしい。桜が咲いて散るように。
数多ある人の生も、その一瞬の輝きが何よりも美しくなる。
だから、春は皆、桜人<サクラビト>になるのだ。
サークル・オベリニカの原点。桜の下に、物語が集う。
桜賀創藝は、サークル・オベリニカのメンバーが綴る物語の一片を集積したものです。
様々なテーマが、作者の想像を掻き立て、その集合体が作品群として完成する。文芸雑誌の体裁を取っているのは、それぞれの作品がゆるやかにつながることを期待しているからです。
第二号となった本号のテーマは【サクラビト】。桜人が示すのは、桜を取り巻く人々の情念。ひいては、物語世界における桜が示す象徴的な概念。
桜を眺めたことのある人ならば、その花の異質さに気づかないことはないでしょう。いえ、花というのはもとより、儚いものであり、故に美しいものです。
しかし、桜のそれは非常に刹那的であり、それでいて、その花弁の集まりが世界を鮮やかなものにしています。
ですから私たちは、桜に対して強い思念をぶつけることができる。本号タイトルにおいても、様々な形の桜が現れました。
全く、人間とは仕方なく勝手なものだな。勝手に願いやら魂やらを届ける寄る辺にしおる。体を残して空に登ろうとしおる。本当に困ったものだ。
桜は死の象徴でありましょう。しかし、一方で桜には生命の強い憤りのようなものも感じられます。生死の境が桜にあるのかもしれません。
「ところで、このサクラは何日で枯れるんだい?」
店主は困惑の表情を浮かべた。
「とんでもございません。当店のサクラは雨風に強く決して枯れませんし、雷に打たれても傷一つ付かない頑丈な作りですよ」
そう店主は自慢げに言ってから、続けて
「お買い求められますか?」
と僕に聞いた。僕の心は決まっていた。何故サクラにこんなにも魅力を感じるのか。今やっと理解した。
儚いからこそ愛おしい。桜が咲いて散るように。
数多ある人の生も、その一瞬の輝きが何よりも美しくなる。
このようなテーマの説明がなされているのには、やはり私たちの強い想いが桜に込められているのかもしれません。
ところで、桜賀創藝を刊行している弊団体には、イメージ・フレーズなるものがあります。これは、考案当初から今にかけて明確な意味を持たない、イメージに過ぎない文言です。
しかし、だからこそ、このフレーズには様々な情念が集まります。サクラビトもまた、このイメージ・フレーズをもとに生まれたものです。
雨上がりの葉桜に 夜明けのラムプが生っている
さて、最後に。
桜賀創藝が第二号を迎えたことを記念して、私たちはどうして物語を綴るのかについて考えてみましょう。
ことばを綴る者にして、しかし痛烈で、かつ恐ろしく事実を突きつけた坂嶋のことばを借りるならば、小説とはこのように語ることができるでしょう。
もとより取るに足らぬからこそ「小説」である。
人生の教科書であり、思想の結晶であると同時に空想の産物でもある。
ゆえに必要以上にありがたがるものでもない。
必ずしも、私たちが作品世界に仮託するのは、信じるべき真理や紛れもない事実というわけではないでしょう。物語の多くは空想に包まれています。
しかし、その根幹には世界の創造主たる者の思念、あるいは力強い思想が秘められているというものです。故に、語りのなかに見える、生きるべき道に私たちはすがっているのでしょう。
これを手にとる皆様にも、どうか良きめぐり合わせがありますように。
第二号刊行に寄せて、拙作の一片をもって、挨拶に代えさせていただきます。
メタフォリカルな世界に隠された真理は、今もなお比喩に埋もれたまま、表に出る気配がありません。
されど、これを手にとるあなたが救われることを祈っています。
あなたが私と同じなら。きっと、人のことが好きだから。
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