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息子よ、たとえ今の自分を愛せなくても

先日、息子が誕生日を迎え4歳になった。

陣痛が始まった時点ですでに10分間隔を切っていて、産院に転がり込むように駆け込んでから1時間であっという間に産まれた息子。

産声をあげてすぐお腹に乗せてもらった時の体温は、今でも昨日のことのように思い出せる。

息子を初めて抱いた時からずっと願い続けていること。

幸せになってほしい。

自分のことを大切にして生きてほしい。


子育てという日々に全てを奪われたと思っていたのに、息子から与えられたものは計り知れない。

産後で自由の利かない体は行動範囲を否応なく狭め、場所などお構いなしに泣き出す赤ん坊はどこへ連れて行くにも緊張が絶えなかった。

静かでお気に入りだったカフェはたとえ時間ができても足が向かなくなったし、電車で好きな音楽を聴きながらうとうとできた日々なんてもう遠い過去だ。

でも、様変わりした日々に戸惑っていたはずなのに、不思議と息子の横にいると自分のことが好きになれる瞬間が増える気がした。

たとえば、凍えるような冬の日でも外で一生懸命霜柱を探したこと。足を止めて散りかけの桜をいつまでも見つめていたこと。

どんなに気持ちが塞がっていても毎日散歩に出かけた空はいつも高く青く澄んでいたこと。

明日も変わらず同じような日であれと願うこと。


息子に与えられたものがあれば今までのどんな私よりも強く生きられる気がした。

ねえママ、と指さした世界は一人なら見落としてしまうほど些細で、でも見落とすには惜しすぎるほど鮮やかで、そしていつも優しく語りかけた。

取り巻く全ての人への感謝、生きることへの執着、弱い者を守る心、かけがえのない存在という意味。

どうして今まで気づけなかったのだろう。

仕事をしてお金を得て求めるものの対価を払い、誰にも迷惑をかけず一人で生きていけると生意気にも思っていた私。

そんな私に贈られたのは、どんな人も決して一人では生きられないという当たり前の、しかし優しい諭しだった。



息子はこれからいろいろなことがあるだろう。

想像力の欠けた言葉に不用意に傷つき、明日が来なければいいのにと願いながら眠りにつく日。

想い人に心が届かず、誰からも愛されないのではとぎゅっと目を瞑り布団を頭から被る夜。

願いは全て叶うわけではないことを知り、才能という言葉に惑わされる。

目の前の誰かを心の底から羨ましく思い、心の中で勝手に引き合いに出した誰かよりマシだと思った自分を責める。

ズタズタに傷ついても、もう立ち上がれないと思っても、明日は必ずやってくる。

それでも生きれいればきっと自分を好きになれる瞬間が訪れる。

こんな自分なんてと嘆く日もいつかは必要だっと思える日が来る。

だから、あなたはあなたを諦めてはいけない。

大好きな自分を探し続けるんだ。



どんな日が来ても顔を上げられることを願って。

息子よ、お誕生日おめでとう。

ママはあなたさえいれば幸せよ、なんて言うと困らせてしまう日がきっと来ると思うから。

それまでにママも自分の人生を精一杯愛してみるよ。

大きくのびのびとママの元から飛び出して行けるように。その時は心の底からちゃんといってらっしゃいが言えるように。

息子よ、あなたもいつか愛せる自分をきっと探す。

どんな自分も笑って受け入れられるその日が必ず来るから。

その日までめげず、涙が出てもしっかり拭いて、頑張るんだよ。

来年の誕生日もあなたの愛と生きる世界をゆっくり噛み締められますように。



おばた


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