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修行のように文化を浴びる

ある人が言った「修行の様に本や漫画や映画を見た時期があった」と。その人は私から見れば、今でも超多忙の中、何かしら見たり読んだり聴いたりしている。

 
 私も10代後半から20代後半までは、それこそ「修行」の様に色んなものを読んだり見たりしていた。特に小説や漫画はその頃読んだものが一番多いし、私の人生観や価値観に大きな影響を与えた。「何者か」になりたかった私は、才能のある人の作品に触れることで、少しでも「何者か」に近づけると思っていたからだ。私は非凡な人の感性を盗むべくして修行に勤しんだのだ。幸いなことに、修行は楽しかった。働きもせず、日がな一日漫画を読んだり小説を読んだり、映画を観たり。今思えばひきこもりだったからこそできたのだ。


 「ひきこもり」というと暗い、マイナスなイメージしかないが、おそらく多くの引きこもりの少年少女は、私と同じようなことをしているか、ゲームやパソコンに興じているのだと思う。私が子供のころ、漫画を読むとバカになると言われていた。今はなんだろう、YouTubeとかゲーム、インターネットだろうか?


 たしかにそれらは私たち大人からしたら、大体がくだらないものである。しかしテレビ番組だってそうだ。ほとんどがくだらない。それなのに、漫画を読んだらバカになると言い、テレビばっかり見て!と怒っていた親世代は今、テレビばかり見て、テレビの情報に右往左往している。


 修行のようにコンテンツを貪った私が何者にもなれていないように、今のひきこもりの子供達も何者にもなれないのかもしれない。それでもいい。しかし、その中から新しいクリエイティブな物を作り上げる人間が出てくると思っている。そして、それは多量のインプットを経た後のアウトプットからしか生まれないと信じている。


 平安の昔から「最近の若いものは・・」的なことは言われているが、私は、最近あえて新しい物を積極的に読んだり見たりするようにしている。おかげで、出費のほとんどコンテンツ代である。そして、他人が面白かったというものをなるべく見るようにしている。しかも若い人のおすすめである。なにも若者ぶっているわけではない。自分が絶対手を出さないような物、普通のおばさんの生活をしていたら出会えない面白いものがこの世にはたくさんあふれているのだ。例えばinstagramで映画のレコメンドをあげている人がたくさんいる。悪の権化の様に言われるSNSでもたまには役に立つのだ。


 ギリアムは良かったとか、キューブリックを超える監督は出てこないとか、過去の感性だけでは、よき表現者とはなれない。過去のものは世の中で価値がすでに固定化されている。そして歳をとると、自分が若いころのものが最上であると勘違いしがちだ。それに若い人でも何かを表現したいと思っている人は、古くても良い物を新しい価値で評価している。温故知新という言葉はたった4文字で真理をついている。「古きを温め、新しきを知る」古くても良いものは良いし、新しくてもつまらないものはつまらない。その逆もまたしかり。その目を養うのが、「修行」なのだろうと思う。どんな世界でもそうなのだが、たくさんの物を見て、たまに傑作に当たったり、ハズレを引いたりしないと、良いも悪いも判断できない。ジャケ買い、大いに結構!私も今だにやる。

 ちなみに生まれて初めてレンタルした映画(当時VHS)は「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」である。なんの情報もなくジャケットの雰囲気だけで借りたが、十代の気分に妙にリンクした切ない映画で、忘れられない1本となった。


 齢48にして、現在人生何度目かの修行中である。仕事をしながらなので、昔の様にどっぷり浸かることはできないが、常に何かを感じられる環境に身を置いている。最近、とても有名なのに全然読んだことのない漫画家の良い作品に出会った。これも他人のおすすめである。
 時間を忘れて漫画や小説を読んでいると思い出す。「暗いところで本を読んでいると、目が悪くなるよ」と誰かに叱られた日のことを。

※以前、マンガやアニメはサブカルチャーとかカウンターカルチャーと言われてましたが、今は立派な「文化」だと思っています。

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