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かつてのオザケン現象にみる「異質なもの」の捉え方

小沢健二さんが95年に出演した番組「ニュースステーション」をYoutubeでたまたま目にした。ゲストである小沢健二さんとインタビュアーの久米宏さん、小宮悦子さんのやり取り、番組での小沢さんの取り上げられ方を見ていて、「異質なもの」に遭遇した時の人の反応、対象の捉え方を思った。

番組冒頭、小沢さんは「オザケン」「渋谷系」として紹介される。
小沢さんご本人は「渋谷系と言われてもわからない」と話す。これに対し、久米さんは「勝手に世の中が渋谷系とか言ってるだけなのか」と応じる。

学歴や家族構成などから小沢さんという対象にアプローチしていく久米さん。「東大を出てミュージシャンになっちゃった理由」を尋ねられて、小沢さんは「矛盾しないんで。そのまま」と答える。

人は「理解の型」のようなものを持っていて、「自分が知らないもの」「よくわからないもの」「新しいもの」「得体のしれないもの」「異質なもの」に遭遇した時、どうしても自らが持つ「型」に対象を当て嵌めようとする。

「渋谷系」という分類やレッテル貼り、学歴など由来にアプローチするのも、そうした「型」に当て嵌めて論理的、理性的に対象を理解しようとする行為のひとつに見える。久米さんの捉え方はこちらだ。

対照的に、小宮さんの捉え方は直感的、感性的だ。
ラジオから流れてきた小沢さんの曲を初めて聴いたとき、寝ていた小宮さんはガバっと起きたと言う。「ガバっと起きたのはサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』以来」と話す。

そして、CDを買いにお店に走った小宮さん。曲名がわからないので、お店で歌ってCDを手に入れたという。

このとき番組では『今夜はブギー・バック (小沢健二 featuring スチャダラパー)』がバックに流れ、それを楽しそうに聴く小沢さんと小宮さん。

対して、この曲が生まれた経緯に驚き、ラップとスチャダラパーという名前に戸惑う久米さん。

理性的に言うと、どこがいいんですか?」と久米さんに聞かれた小宮さんは「高校の頃、ユーミンを聴いたときとちょっと感じが似ている。(中略)新しい表現者が出てきた感じがしている」と答える。

久米さんにはキャスタ―、インタビュアーという番組進行上の役割があり、当時のオザケンブーム、“多くのオジサンたちにはわからないがやたら若者の間で流行っているもの”をなんとか理解しよう、わかりやすく視聴者に伝えよう、という姿勢が番組制作者側にもあっただろう。

だから一概には言えないけれど、原稿にはない久米さんご自身の言葉と思われるものからも久米さんが論理的、理性的な方のように見える。そして、そもそも久米さん、小宮さんのどちらが良い、悪いというような話でもない。

ただ、特に変化の激しい今のような時代は直感、感性で対象を捉え、素早く行動する小宮さんのような対応が求められていると思う。頭で理解する前に身体で感じることがより大切になっているだろう(もちろん、だからと言って理性や論理を全否定するものではない)。

いつの時代もどんな分野でも「異質なもの」を生み出す小沢さんのような人がいて、それを直感的に受け容れる小宮さんのような人がいて、その数が多ければひとつの現象となる。

番組当時、久米さんは51歳、小宮さんは37歳、小沢さんは27歳。
24年の歳月を経た今、小沢さんは久米さんと同じ51歳になっている。

近年、小沢さんは再び音楽活動を再開したようだ。
音楽シーンから長く離れていた時間やその間の活動は空白や違和感で語られることもあるかもしれないが、それはあくまで他者によるものであって、小沢さんご本人にとってはきっとそんなことはなく、「矛盾しないんで。そのまま」今の活動へと繋がっているのではないだろうか。自分に正直に、感じるままに。。。

当時、小沢さんと同世代だった社会人の若者もいま50代。小沢さんを支持していた高校生や大学生も40代だ。組織にいれば管理職、経営層にもなっているだろう。

それらの人は今、「異質なもの」をどう捉えているのだろうか?
久米さん、小宮さん、どちらの捉え方をしているのだろうか?
捉え方は当時若者だった自分とどう変わっているのだろうか?






歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。