経理部長がモノ申すとき

JOC経理部長の自殺ニュースが届いた。内部告発との関連も一部で指摘されている。思い出すのはそもそも経理部長という存在が何を暗示しているか、ということ。それを含めて3つの「ちょっと待って&今一度考えて」を思った。

ふと思った3つの「ちょっと待って&今一度考えて」は以下の通りである。

①経理部長という存在、その行動は何を意味しているか?

経理部長はカネの動きを知っている。カネの動きは会社、その組織の状態や行く末を暗示する。そしてその組織に属している人のモノの考え方、姿勢、風土をも暗に示すものである。

かつて金融機関で審査の仕事に長らく従事していたとき、対象企業の事業性や市場性、戦略といった事業に関するものはもちろん審査対象になるのだが、もうひとつ重視していたのは事業を実行・遂行する組織、特に経営陣やキーパーソンである。キーパーソンのひとりとして、チェックしていたのがCFOとか役付きの有無を問わず、経理部長であった。

経理部長が直近で交代しているときは必ず理由を聞いた。経理部長の離任、退職の背景に会社の不正、粉飾、不芳なものがあることが多いからだ。真っ当な経理部長であればあるほど会社の不正を見てみぬふりをするのはかなりの精神的苦痛となる。

実際、長い審査仕事のなかで、粉飾の匂いを嗅ぎ、確たる証拠を求めていたときに、対象企業の経理部長から不正を告発するメールを受信したこもある。どちらに転んでも良心の呵責に苛まれるであろうが、この経理部長にとって失職を覚悟した告発だったに違いない。

「会社は頭から腐る」と指摘されたのは冨山和彦さんであったが、実際、不適切なカネの動きを許容/指示するのはトップとその姿勢に他ならない。

一見、静止画のように思われる決算書はいわば会社のスナップショットであるが、よく読めば動画が見えてくる。人の動き、カネの動き、決算書の前後が見えてきたりするものである。そこから人の動きを注視する。動きを裏付けるひとつが経理部長の言動とも言える。


②自殺の抑止、メンタルヘルスケアはどうしたら機能するか?

自殺という選択をする前に「ちょっと待って、今一度考えて」欲しかったのは多くの人が感じることだと思うが、自殺してしまう方は家族のことを考えたり、他の選択肢を考えたりして自殺を思い留まれるような精神状態には既にないのが普通だろう。既にある種の「視野狭窄」に陥っているからだ。

メンタルヘルス問題の予防は①セルフケア(自分自身)、②ラインケア(管理監督者)、③事業所内ケア(産業医ほか)、④事業所外ケア(会社以外の専門家)となるが、自殺に至るほどに追い込まれているときは①のセルフケアは既に機能していない。

所属している組織がおかしなことになっているとき、他者に心を配れる余裕がないとき、②も➂も機能しない。④にしても、①や②③が機能しなければ④に辿り着けることはまずないだろう。

④に辿りつけることがあるとすれば、それは家族や友人といった存在を経由することになろうが、①が機能不全にあるとき、家族や友人との時間を共有していない可能性も高く、そうなればやはり④には辿り着けない。

また、女性は比較的なんらかの形でSOSを発信することがあるが、若い世代では女性も発信は少なかったりするし、特に中高年男性は発信が少ないこともあり、周囲が察知しにくい傾向もあるのではないだろうか?

自殺は遺された人、特に遺族に大きな精神的負担を強いる。
しばらく前に亡くなった公的職員の方の自殺も彷彿させる今回のニュースは心が傷む。

職務に真面目な人、忠実な人ほど追い込まれてしまう。
視野狭窄に自分がある、周囲にそうなっている人がいる、ということを察知できる自分や周囲であることがやはり求められるように思う。

個人的には、最終的に「開き直る」ことを気づける、伝えられることも大切ではないかと思う。「逃げ恥」というドラマもあったが、昔の人は「逃げるが勝ち」とも言っている。これもひとつの生きる知恵として活用したい。

➂「その幸せ」とは何ぞや?

オリンピック・パラリンピックは「幸せの祭典」と言われる。

コロナで様々な前提が崩れている。選手も医療に関係する人も含む多くの関係者も、多くの人の多大な努力が積み重ねられていることと思うし、真摯に向き合っている人がすぐに批判されてしまうことにも違和感がある。良い面・悪い面とも表に出ている事情はごく一部に過ぎないだろうと推察するからである。

このことはオリパラに限らず、である。大体において事実として個人が把握できるものには限界があるし、事実として提供される情報も誰かのスクリーニングを経て提供されたものである以上、提供した人の意図の有無・意図の適切さに限らず、「そもそも人間は間違う存在である」ことを念頭に置く必要があるとも思う。

ただやはり気になるのは「幸せ」って何だっけ?ということである。
仰っている「その幸せ」とは何ですか?と。

会社もそうだが関わる人数、対象、属性の多様化が進むほど「幸せ」は多様化する。「幸せは感じるもの」だから、答えはひとつではなく、人それぞれである。もちろん、多くの人が同じように「幸せ」と感じるものもあるけれど、誰かの幸せが誰かの犠牲の上に成り立っていることも時にはあったりする。

DXやSDGsとも絡んで昨今、「幸せ」や「Well being」という言葉が良く使われる。「幸せ」をデジタルで計測し、メンタルヘルス問題に役立てようとする動きもある。

いつも思うのは、その「幸せ」とは「誰にとっての」「いつの時点の」「何を拠り所/起点とする」「何を希求する」「何をゴールとする」ものなのか?ということである。

答えは人それぞれと思うけれど、少なくとも組織をリードする立場にある場合は「仮の答え」でも良いから「自分が考える答え」を持っていないと、①や②で挙げた負の面が出てしまう懸念は高いと思われる。

久しぶりに書いたnoteは、ご遺族の何ともいたたまれない想いを感じながら、昔、さんまさんが出ていたキッコーマンさんのCM「幸せって何だっけ?何だっけ?」を思い出して書いている。

幸せって何だっけ?









歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。