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3.Aメロ ー 翔

重い防音扉を開け、無音の空間に入った。誰もいない静寂に包まれた客席。この瞬間が好きだから舞台に関わる仕事がしたいと思った。外とは遮断され、ここだけの特別な時間が流れているような気がするからだ。

「よ。いつも通り、早いな。」
「真人こそ。入りまで2時間以上あるぞ。」
「お前と話す時間がなかったから、最近。」
「それはイコール、言いたいことがあるってことか。」
「そりゃあもう、山盛り。」
「はぁ?」

誰もいない会場の真ん中の席に座った。全体が見渡せる、ド・センター。特等席だ。

「翔さ、制作のバイト、まだやってんの?」
「登録っていうか、必要なときには声かけてもらえるように頼んではあるけど。」
「俺らの専属ってのはどう?ライブとかMVの演出。」
「うれしい話だけれど、それって事務所の人間になるってことか?」
「そうなると思う。でも俺はお前が舞台志望ってのは知ってるし、無理にとは言わないよ。今まで通りに時々でも演出やってくれればそれで充分だし。」
「即答は難しいかな。」
「だよな。まあ、そのうち事務所から連絡あると思う。」
「わかった。」
「それと…」

珍しく真人が言葉をのんだ。100%気まずい話だ。機転の利くやつで、話を濁すことはめったにない。

「何かトラブルか。」
「朱里ちゃんとは話したか。」
「その話はあとでいいだろう。じゃあ、荷物とりに行くぞ。」
「今日、来るんだ、ケイト。」
「お前…」
「一昨日、連絡が来たんだよ。それにライブにはいつも来てただろう。だからさすがに来るなとは、さ。終わってからお前に会いたいっていうんだけど。」
「会えるかよ。」
「もう彼女と向き合う覚悟、決めたらどうだ。」

ケータイが鳴り真人は席を立った。こいつの言う通りだ。どこか踏み込んではいけない境界線を自分で作っていた。彼女が離れていくことを恐れて自ら身を引いた。それがどれだけ残酷だったか、朱里と大学で再開した日に痛感した。俺の中にいた、無邪気で喜怒哀楽が明確で、表情豊かな朱里ではなかったからだ。原因は俺にある。ケイトと別れたのは彼女の浮気を言い訳にしたが、朱里への気持ちを整理したくて決心したことでもあった。


「おはようございます、翔さん。打ち合わせ、できますか。」
「すぐ行きます。」


今日のライブは真人のバンドがメインだ。デビュー後のライブから手伝いはじめて、ここ数回は総合的にプロデュースをやらせてもらっている。高校時代、真人が声をかけてくれなかったら自分はどうなっていただろうと思う時がある。仕事もそうだ。もちろん気心の知れた仲間だからということもあるが、真人は俺が危なっかしいからそばに置いておきたいのだろう。おかげで大きなステージにも関わることができた。頭があがらない奴だ。自分の気持ちに素直になれということなのだろう。

「本日もよろしくお願いいたします。11時からランドのリハです。予定通りオンタイムで開始です。」

インカムを通して全体にあいさつして気合いをいれた。バンド4組、二時間半を超えるライブだ。時間より少し早く、真人のバンドがステージで準備をはじめた。集中しよう。

「真人、準備できたらサインちょうだい。」

照明、音響、映像、そしてバンドメンバーの動き。ひとつひとつ確認していく。彼らを輝かせるために俺の仕事がある。4時間かかったリハの最後はトップバッターのガールズバンド、朱里たちだ。

「さて、準備はできたかな?三人官女さん。」

誰が見ても緊張している3人。なんだか微笑ましい。デビューライブがこの規模とは羨ましいかぎりだ。

「ギターとベースが準備できたらドラムに伝えて。そうしたら、ドラムが合図をちょうだい。スタートの合図はドラムのフットペダル3回とスネア1回ね。」
「翔、フルでやっていいの?」
「うん、本番と同じ曲順で。適当に調整するわ。」


ステージで真人が細かく指示していた。複雑な演出かないから練習ってことで全曲を演奏させた。1曲目は全員の手が震えている音。少しずつ慣れてきてリズムも安定してきた。でも朱里だけは最後まですっきりしなかった。昔のままだったら楽しめたはず。進んで人前に出て皆を引っ張っていくタイプだったのに。らしくない。

「オッケーです。お疲れさまでした。このあと16時半、客入れ、17時スタート。いずれもオンタイムです。」

ヘッドセットを外し、一服しに出た。どうしても朱里の様子が気になりくわえたシガーをケースにしまい、舞台裏へと向うと、苦しそうに肩で息する朱里と鉢合わせした。

「やっぱり。具合悪いのか。」
「あの、緊張しちゃって、息苦しくて。」
「リハのとき、音がダブってたから、気になったんだ。」
「いや、もうなんか、正直こんなに大きなところで…、たった数か月しか練習してないのにと思うとちょっと怖くて。」
「まあ、真人が説明をちゃんとしなかったのも悪いんだが。でもさ、俺らが目指す道って、ステージに立ってみることも大切なんだ。パフォーマーの気持ちを知ることで裏方としていろんなアイディアを提案できるし、一体になれる部分もあるんだよ。だから、講習とか体験学習みたいな気持ちでいればいい。」
「ちょっと例えに無理がありませんか?」
「そう思った?」

笑った。不器用な俺の言葉に朱里が笑った。

「やっと笑った。そう、そのままでいいさ。」
「ありがとうございます。」
「で、いつまでその口調のつもり?」
「あ、えっと、もうちょっと…。」

瞳の奥に昔の彼女を感じて愛おしくなった。好きだ、そばにいさせてくれ。そう思った瞬間、朱里を抱き寄せていた。

「パニくりそうになったら目を閉じて、俺の声を聞けばいい。後ろからずっと見てるから。」

恥ずかしさがこみ上げ、顔もみずにそのまま立ち去った。ステージ脇で待機していた真人が呼び止める声が聞こえたが、そのまま歩いていくと、ロビーへつながる扉の前で真人に捕まった。

「おい、トラブルか。この時間にお前がステージに来るなんて。」
「あ、いや。ちょっと気になることがあって。」
「朱里ちゃんか。」
「あぁ。真人さ、スター2曲は袖だよな。もし何か起きたらすぐに出られるようにしといてくれないか。」
「いいけど、緊張してるだけじゃないのか。」
「たぶん、限界だと思う。こないだみたいに倒れなきゃいいけど。」
「わかった、見とくよ。一応代わりもスタンバイさせる。」
「頼んだ。」

開演5分前。
ステージにメンバーがスタンバイをはじめる。会場内はほぼ満席。若干の立ち見も入れた。始まりを知らせるように場内の音楽の音量を上げ、ステージ照明は足元がみえるぼとに落とした。順調にみえたその時だった。

「朱里ちゃん!」

インカムに彼女の名前が響いた。即座にドラムが映っているモニターへ目をやると真人のよこで朱里がまえがみになっていた。

「…里、おい、朱里、朱里!俺の声が聞こえるか。朱里!」

真人の声かけに頷いていた。意識はあった。このままステージからおろすべきかと一瞬悩んだ。でもこれまでの努力が報われなくなる。乗り越えてほしい気持ちもあった。

「大丈夫だ、俺たちがいるから安心しろ。あれだけ練習したんだから、楽しめ。昔みたいに無邪気に笑って楽しめばいい。顔を上げてみろ。」

暗闇のなかで朱里の体が起き上がるのがみえた。いける。大丈夫。

「俺はここにいるから。どこへもいかない、そばにいるから。俺だけを見てろ。」

フットペダル3回、スネア1回、オッケーサインが聞こえた。真人が下がりイントロとともに一斉にライトが彼女たちを照らした。幕開けだ。インカムから真人の揶揄が飛んできた。

「翔、覚悟しとけよ。」
「うるさい。集中させろ。」

そうだ。俺はお前の目の前にいる。
もう消えたりはしない。だから朱里らしく楽しめ。

ーー つづく ーー

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