照明の仕込みがひと段落し、屋上へ上がってきた。シガーに火を付け、手すりによりかかり深呼吸をした。真下の裏路地に目を向けるとちょうど真人が入待ちの女の子たちをよけながらハウスに入って来た。午後3時、リハ2時間前だ。単独ライブではないから出番ギリギリに来て問題ないのに、どんなライブであっても2時間前には到着する。その辺の時間はきっちりしてる。真人の姿が見えなくなるがはやいかケータイが鳴った。5分もしないうにち真人がやってきた。 「暇してんなら、電話出ろよ」 「…あぁ、わりい、
「朱里、聞いてる?ねえ、朱里ってば。」 「あ、ごめん。なんだっけ。」 「もー、だからー、実緒がね…。もういい。朱里、全然食べてないじゃん。ずっとぼーっとしちゃってさ、何かあったの?」 「ん?うん…。」 「何、なに?さあ、このスミカさまに話してごらんなさい。解決するかもよ?」 「そうかな。」 「少なくとも、少しは笑えるんじゃない?」 「…。」 「白状しちゃいな。どうせ、翔先輩のことなんだろうけど」 「えっ。」 「ライブの日、二人で帰ったんでしょう?真人先輩から聞いた。」 「そっ
撤収完了。また静かな空間に戻った。機材が一切なくなり、空っぽになったステージのように完全燃焼した俺の心も空っぽだ。達成感と空虚感が押し寄せるこの瞬間が、たまらなく好きだ。ホール側にあいさつをして、真人たちのいる打ち上げ会場へと足を向けたときだった。 「翔。」 ケイトだった。車の窓を開け、乗れと合図していた。来ていることを真人から聞いていたが、すっかり忘れていた。とはいえ、いまさら話すことなどない。 「おつかれさま。相変わらず、センスのいいライトだよね。」 「ごめん
「乾杯!お疲れさまでしたー!」 「お疲れさまー!」 真人先輩の音頭で打ち上げが始まった。バンドごとに座っていたはずの座席も次第にばらけてきたころ、真人先輩が私たちのテーブルにやってきた。 「お疲れさま、三人官女。」 「ありがとうございました」 「真人先輩のおかげです、ほんとに。もー最高でした」 「いやー、スミカちゃんには負けるなー。首がとれるんじゃないかって思ったよ。朱里ちゃんも、よく頑張ってくれたしね。」 「すみません、本当。」 「なんてことないさ。無事終わったんだ
重い防音扉を開け、無音の空間に入った。誰もいない静寂に包まれた客席。この瞬間が好きだから舞台に関わる仕事がしたいと思った。外とは遮断され、ここだけの特別な時間が流れているような気がするからだ。 「よ。いつも通り、早いな。」 「真人こそ。入りまで2時間以上あるぞ。」 「お前と話す時間がなかったから、最近。」 「それはイコール、言いたいことがあるってことか。」 「そりゃあもう、山盛り。」 「はぁ?」 誰もいない会場の真ん中の席に座った。全体が見渡せる、ド・センター。特等席だ。
「朱里、どうしよう。やっばいんだけど。」 「うん…」 「テンション爆上がりなんだけど。」 「え、そっち?」 キャパ400人と聞いていたその会場は、前日に仕込まれた照明に包まれて燦然としていた。威圧感が半端ない。センターでマイクを握り、幾筋もの光を受けて立っているのは真人先輩だ。逆リハというものをしていた。先輩たちのバンドがラストだから、リハは最初にするということらしい。とはいえ、そもそも先輩たちのバンドLaid-backがメインで、他のバンドはおまけのようなものだ。仲間の音
「ではまた、来週の水曜日あたりに最終チェックさせてください。」 「わかりました。時間とかはまた連絡ください。空けるんで。」 対バンライブまであと2週間とせまり、会場との打ち合わせや各バンドのセットリストに合わせた照明のプランニング、進行など、準備が大詰めを迎えていた。 「オレ、これから練習だから大学もどるわ。」 「了解。」 「飲み物とか買っといてくんない?酒類と、お茶と、ジュースかな。」 「お茶とか必要か?いつものメンツだろう。」 「朱里ちゃんたち呼んだから。つまみは任せ
「はい、そこまで。解答用紙を前に送ってください。」 期末テスト最終日。やっと明日から夏休みだ。ゴールデンウィーク後から課題の山との戦争が始まった。クラッシック音楽の鑑賞、ミュージカルの鑑賞レポートが週3~4本、作曲ワークショップへの参加、そして楽曲制作の課題。講義の合間にバンドの練習。大学に入ったらバイトして彼氏つくって旅行してなんて夢は実現しそうにない。 「朱里、今夜行くよね。」 「何かあったっけ。」 「軽音の飲み会、今夜だよ。真人先輩のアパートでやるやつ。てゆうか、朱
「改めまして、入学おめでとうございます。早速ですがオリエンテーションを始めます。お手元に冊子が3冊…」 資料一式を手に講義室を抜け出し、喫煙所で一服しながら電話した。 「抜けたから、そっち行くわ」 リトルシガーの濃いメンソールはいつでも落ち着く味だ。ベンチに座り前かがみになって地面に落ちる灰を見ながらため息をついた。静かで穏やかな空気だ。けたたましいバイブ音が鳴りやんだところで、ジャケットの内ポケットからケータイを取り出し着信を確認した。そのままポケットにしまい、真人の
爆音が駄々洩れの部室。扉を開くと押し流されそうなほどの音楽が私とスミカを迎えた。 「ストップ、ストーップ。いらっしゃい。入部希望?」 「はい。芸術学部音楽制作専攻1年、滝スミカです。」 「お、同じく音楽制作専攻1年の武川朱里です。」 スミカとは入試の時に出会った。入学オリエンテーションの日に学籍番号が続き番号で隣に座って以来、彼女の勢いに流され中だ。ここに来たのも彼女の希望で、一緒に入ろうという誘いにあいまいな返答をしてしまったからだ。 「朱里?」 「…翔先輩?」 ド
朱里(あかり)は周りに同調して自分を出さずに静かに高校時代を過ごしてきた。大学入試で出会ったスミカと同じ大学に入学して、これからの生活に胸を躍らせていた。スミカに誘われたサークルの見学に行くと、そこには中学時代に好きだった先輩がいた。戸惑いながらもまだ先輩が好きな朱里だが・・・ 舞台制作会社でバイトをしている翔。親友である真人(まひと)と同じ大学の同じ学部に入学し、常に真人とつるんでいる。あまり他人に興味がなく、よく言えばクールに見える一匹狼のよう。地道に舞台制作の道を目指