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2.イントロ ー朱里

「はい、そこまで。解答用紙を前に送ってください。」

期末テスト最終日。やっと明日から夏休みだ。ゴールデンウィーク後から課題の山との戦争が始まった。クラッシック音楽の鑑賞、ミュージカルの鑑賞レポートが週3~4本、作曲ワークショップへの参加、そして楽曲制作の課題。講義の合間にバンドの練習。大学に入ったらバイトして彼氏つくって旅行してなんて夢は実現しそうにない。

「朱里、今夜行くよね。」
「何かあったっけ。」
「軽音の飲み会、今夜だよ。真人先輩のアパートでやるやつ。てゆうか、朱里がいないと行きづらいんだけど。」
「メンツは?」
「私と、実緒と、朱里と、真人先輩に翔先輩。」
「少なっ。」
「朱里が来ないとさ、絶対に雰囲気ヤバくなるし。それに翔先輩だっているんだしさ。ね、行くよね、行こう!決まり!」

お決まりの流れだ。わかっているのに渋る自分も自分だ。
その前に今日も部室で練習。ステージに立つまであと2週間と迫っていた。しかもトップバッターを任されるという悲劇。だから真人先輩にヘルプを頼むことにした。演奏するのは4曲。ガールズバンドでカバーできる曲は多くない。キーを上げたり洋楽を取り入れたりした。4か月足らずでモノにするのは難しいと思っていた。でも人間、必死になれば何とかなるものだ。楽譜さえ読めずスティックの握り方もわからなかった私が、こうして音楽を奏でているのだから。
4曲をセットリスト通りに3回練習して、今日はおしまいにした。夕べ、あまり眠れなかったからか、どっと疲れた。

「よし、じゃあ荷物まとめて部室の前で待ってて。車、回すから。」

このまま先輩の家に行くことになっていた。2人が楽器をケースにしまっている間に、先に外へ出た。今日は調子がいまいちだ。部室が狭くて暗くて息苦しく感じた。こういう時は空を仰いで深呼吸するのが一番だ。空は今もあの頃も、青くて広くて静かで眺めると落ち着く。

「朱里ちゃん、乗って。」

助手席の窓から手招きをする真人先輩が見えた。

「ごめん、前乗って。」

スミカにあとでいろいろ言われそうだ。

「大丈夫?なんか疲れてる?」
「昨日、眠れなくて。テスト勉強してたら朝になっちゃって。」
「初めての期末だったもんね。でも、体壊さないようにしないと。大学もそうだけどさ、オレらが目指してる世界って、体力勝負だからね。」
「真人先輩は、やっぱりプロ志望なんですか?」
「あ、えっと。朱里ちゃんさ、このバンド知らない?」
「知ってます。昨日ラジオで流れてましたよ。」
「ホントに?嬉しいね。」
「でも確か、顔出しなし、メデイアにも出ないって聞いたことが。」
「詳しいね。ジャケット、よく見てごらん。」

手渡されたCDのジャケットにはシンプルにアルバムタイトルだけが書かれていた。開けてみると収録曲のタイトル、作詞、作曲、編曲と書いてあり、そこには“MAHITO”とあった。絶句してしまった。

「朱里ちゃんが気づかないくらいだから、もっと頑張らなくちゃね。」
「すみません、本当に知りませんでした。」
「顔出ししてないからね。それにデビューしてまだ半年だし、もう少し実力が認められて、大学も余裕が出てきたら本腰入れるつもり。あ、でもライブはやってるよ。デビュー前と同じようにね。」

すごい。目指すところが違う。大学に入って少しずつ周囲との温度差に気づいた。周囲からおだてられて音楽づくりが楽しいという理由で入ったけれど、甘すぎたと反省している。でも頑張っていれば、何か見つかるだろう。

「でさ、オレ、ずっと聞きたいことがあったんだけど。」
「はい。」
「翔とは連絡とかしてる?」
「いいえ、特には。翔先輩、何かあったんですか?」
「いや、何もないけれど。そっか、連絡してないのか。」

なんとなく引っかかったけれど、聞き返す前にスミカと実緒が来てしまった。

5人だけと聞いていた飲み会には真人先輩のバンドメンバーもいた。お酒がだいぶ入った先輩たちのノリにシラフで対話ができる2人に感心した。楽しむってこういうことなのだろう。体調のせいもあってか、会話に入っていけなかった。カウンターキッチンでサラダと残りの揚げ物を盛りつけている自分が、なんだか場外にいるようだった。


「朱里ちゃんはさ、恋とかしないの。」
「唐突ですね。真人先輩こそ、彼女つくらないんですか。」
「まあ、このビジュアルだし、常に誰かが恋してくれるしね。」
「だいぶナル入ってますね。」
「まあね。スミカちゃんの押しに気づかないほど、鈍くはないよ。」
「わかってたんですね。」
「それで、朱里ちゃんはどうなの。」
「考えたことないです。なんか大学入って色々ハードで。ライブのこともありますし、それにスミカみたいに可愛げないですから。」
「翔はどうなの?」
「中学の先輩、です。」
「それだけ?」
「それだけ、です。」

「朱里、早くおいでよ。」

「これ持っていきますね。」

タイミングよく実緒が呼んでくれた。きっと仲がいいから昔のことを知っていて、何か面白いことでもないか聞き出そうとしたのだろう。だけど今さら終わった初恋を思い出すほどセンチにはなれなかった。
タバコを吸い終えた真人先輩はすっと女子の間に座った。これがモテる男なのだろうか。おかげでスミカは、いつになくハイテンションで、真人先輩から離れることはなかった。
教授の噂話や講義の選び方、バンド結成の話にレコード会社に売り込みにいった話。想像を越えた世界の話を聞いたからか、少し意識が遠退いた。

「朱里さ、なんか汗かいてない?」
「え、うそ。かいてないよ。ちょっと眠くなっちゃった。」
「横になる?寝室案内するよ。」
「いや、大丈夫です。ちょっと風にあたってきます。」
「でも、昨日も寝てないんだろう?翔、連れていってやれよ。」


大丈夫ではなかった。苦しかった。外に出ようと立ち上がった瞬間、キーンという音とともに目の前がフェードアウトしていった。


シガーの香りがして目を開けると、翔先輩の背中が見えた。深く深呼吸をした。これはやってしまった。

「すみません。」
「起きたか。」
「もう平気です。寝不足なだけなので。」
「本当にそれだけか。」


シガーの火を消し私のほうを向いた先輩の顔が、少しこわばっていた。こうして2人で話すのは海へ行ったとき以来だった。


「真人先輩にも言われました。体調管理、大事だって。」
「それだけじゃないだろう。今のお前…」
「あははは。まさか。授業とか試験とか、ちょっと大変だっただけですよ。ほら、ライブも近いし。無理したのがたたったんです。」

先輩の言葉を遮った。見透かされそうで怖かったからだ。本当のことを言ったら、また近くに居てくれると思ったけれど、それは私のワガママだ。もしかしたら失望されて気まずくなるかもしれない。だから口が裂けても言えなかった。

「信じていいんだな。」
「そんなオーバーな。徹夜明けで練習して、この騒ぎですから、疲れますよ。」
「休むときは休めよ。昔みたいに胃が痛いとかいう前に。」
「すみません。」


胃痛か。そういえば、はじめて胃が痛くなってしゃがみこんだのは先輩と一緒にいたときだった。
先輩が近くにいると過去を思い出してしまう。懐かしいけれど、避けたい記憶だ。


「もう少し寝てろ。まだ顔色が悪い。」
「すみません。」


「朱里さ… その…散歩したくなったら連絡しろよ。付き合ってやるからさ。」
「ありがとう、ございます。」


翔先輩はそれ以上、何も聞かなかった。彼らしい。私の状態を知られるのは時間の問題だろう。
腕を顔にあてて目を閉じた。またシガーの香りが漂いはじめた。心地よかった。真人先輩が様子をみにきたけれど、寝たふりをしてやり過ごした。


外がうっすらと明るくなりはじめた頃に目が覚めた。体を起こすと、翔先輩がベッドにもたれかかって寝ていた。おもむろにベランダに出た。澄んだ空気を思いきり吸い込みはきだした。そして格子によりかかり陽がでるのを眺めていると、頭をぽんと叩かれた。


「起こしちゃいましたね。すみません。」
「別に。」

先輩はジッポライターでシガーに火をつけベランダの格子に寄りかかり、一度深く吸い、外を眺めた。全てが燃え尽きる頃、口を開いた。

「根つめるなよ。」
「平気だってば。」
「変わんないな、その言いぐさ。」
「わるかったですね。口が悪くて。」
「大丈夫そうだな。そんだけ言い返せれば。」

「雰囲気、壊しちゃったな。みなさんに申し訳ない。」
「そんなの気にするやつらじゃないさ。」
「スミカたち、もう帰ったよね。」
「いや、下で雑魚寝してるよ。」
「すごいな。飲まずに一晩過ごす体力。」
「年寄かよ。」


「朝ごはんでも作ろうかな。」
「料理できんの?」
「…さぁ。」


思わず笑ってしまった。何に追い込まれていたんだろう。何を気にしていたんだろう。息苦しさを感じる必要なんてないのに。朝陽が昇りきり、少し暑くなった。夏の青臭さを感じた。


ーーつづくーー

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