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5.サビ ー 翔

照明の仕込みがひと段落し、屋上へ上がってきた。シガーに火を付け、手すりによりかかり深呼吸をした。真下の裏路地に目を向けるとちょうど真人が入待ちの女の子たちをよけながらハウスに入って来た。午後3時、リハ2時間前だ。単独ライブではないから出番ギリギリに来て問題ないのに、どんなライブであっても2時間前には到着する。その辺の時間はきっちりしてる。真人の姿が見えなくなるがはやいかケータイが鳴った。5分もしないうにち真人がやってきた。
 
「暇してんなら、電話出ろよ」
「…あぁ、わりい、気づかなかった」
「またまた」
「居場所知ってて、いちいち連絡するか?」
 
そういいながら、真人も手すりに寄りかかりライブハウスの前の裏路地を見下ろした。
 
「ありがたいよな。こうして毎回ライブに来てくれんだからさ。」
「…なあ」
「ん?」
「なんでバンド名を分けたんだ?メジャーに行くならLaid-back一本でよかったんじゃん?」
「そうかもしれないな。まあ、自信なかったしデビューとか意識してなかったから保険かけたって感じかな」
「どっちが保険なんだか。Décontractéはどうすんだよ。続けるのか?」
「いや、たぶんサークル卒業したら終わりかな、コピーバンドだし。まだ具体的には決めてない」
「そっか」
「で、お前は?」
「あ、わりい、まだ決めてない。」
「だろうと思った。急ぎはしないから。」
 
 
「…それだけか?」
「あ、そうそう。翔さ、わりいんだけどスミカと朱里ちゃんのチケット預かってくんない?」
「は?なんで事前に渡さなかったんだよ。自分で渡せよ」
「いいだろ?1つ前のバンドの時間に来るように言ってあるからさ」
「俺だって卓から離れられないし」
「俺よりは自由がきくじゃん」
 
そう言って俺の手にチケットを握らせた。
 
 
 
午後7時。ライブはオンタイムでスタートした。今日は5組が出演するが、いつもつるんでる馴染みのバンドばかり。スタンディング客で埋め尽くされたフロアはいつ見てもゾクゾクする。言葉では表せないものが生まれるこの場が好きだ。体の芯まで響く音が心地いい。スイッチングをしながら真人の提案をふと思い出した。いい加減、返事をしなければと考えていると、卓横に置いてあるスマホ画面に‘スミカ’という文字が光った。
 
ステージの入れ替え時間になりチケットを渡すために外へ出ると、鏡を眺めているスミカとその横で俯く朱里がいた。気持ちを伝えたものの、それっきり全く連絡ができなかった。真人はそれを知っていて彼女たちを招待している。時間があまりないのは幸いだった。チケットを渡してドリンクカウンターに寄り、フロアの一番後ろ、ミキサー卓の横に案内して定位置に戻った。ちょうどタイミングよくステージから開始の合図がきた。4組目が始まったが、朱里が気になって集中できない。いつものパターンなら終わったら真人は飲みに行こうと言うだろう。真人の善意はおせっかいを通り越して厄介になりそうだ。
 
「翔、暗転」
「あ、悪い」
 
4組目が終わり、BGMが流れ始めた。明かりを入れ、椅子に座った。俺としたことがこんな単純なミスをするとは。最前列まで移動する二人を眺めながらため息をついた。ステージ転換中にフロアには次々と女性ファンが入ってくる。次は最後のバンド、Décontractéだからだ。ブラックコーヒーを飲みほし、ステージからの合図を待った。
 
 
 
 
撤収作業が終わり、軽い打ち上げが始まった。俺は真っ先に照明を間違えたバンドに謝りにいった。真人は挨拶を済ませ俺のところへやって来た。
 
「このあと暇だろ?」
「いつものコースね」
「彼女たちも…」
「それは無理だ」
 
真人は微笑んで俺の肩を叩き、ホールを出て行った。朱里の性格上、この状況で俺と会うことはないはず。スミカが一緒だとしても帰るに違いない。でもそろそろはっきりさせたい。ごたごた考えていると視界にスミカが入ってきた。予想に反して朱里も一緒だった。スタッフに挨拶をして移動しようと支度をはじめたとき、朱里が走って出て行った。
 
「先輩、朱里帰っちゃいました」
「…ああ」
「追いかけなくていいんですか?」
「…、ファミレスでいいかな。」
「はい」
 
 
内心、ほっとしたが、ライブのときのようなことにならないか不安でもあった。その原因は俺に違いないのだから。スミカと二人で行きつけの店に入った。座ったとたん、彼女はケータイを取り出し誰かに電話をかけ始めた。相手は朱里だろう。無言で窓の外を見下ろしながら朱里が電話に出るのを待った。しかし彼女の声を聞くことはなかった。
 
「大丈夫ですかね、朱里」
「電車で気づかないんじゃないか」
「あの子、今日一日、ずっとぼーっとしてたんですよね」
「そうなんだ」
 
とりあえず注文をして、真人からの連絡を待った。いつもなら30分くらいで来るのだが、今日に限って遅い。それぞれ頼んだ飲み物もなくなり、食事を頼もうかとしていた時だった。
 
「やっぱり出ないですね、朱里」
「まだ電話してたの?」
「だって心配じゃないですか」
「…まあ」
「メッセしても既読つかないし。先輩からも連絡してくださいよ」
「いや、俺は、いいよ」
「あっ、既読ついた。よかった。家についたみたいです」
「そっか」
「わりい、遅くなった」
「先輩、もーお腹すいたんですけど」
「ごめんごめん、何食べる?好きなの選んでいいよ」
「やけに遅かったな」
「しばらくライブがないからさ。みんな帰らなくて」
「しないのか?」
 
真人は笑い返してきた。これ以上は話をしないという合図だ。バンドメンバーも合流し、打ち上げが始まった。乾杯を合図に真人がライブに参加したバンドの評価合戦の口火を切った。だいたいは楽器の技術的なことが話題になるが、今回はLaid-backの楽曲をカバーしたグループの話題でもちきりだった。サークルではコピーバンドをしているが、初めてコピーされる側になり気分が高揚したようだ。そんな彼らの姿をしばらく眺めていた。
 
「俺、先にでるわ」
「翔先輩、もう帰っちゃうんですか」
「わりい、俺もでるわ。あとよろしく」
 
こういうときは必ず話があるときだ。先に出てシガーに火を付け待っていた。言いたいことはただ一つ、朱里とのことだ。周りからしたら煮え切らない二人がもどかしくて、白黒はっきりさせたいんだろう。
 
「おまたせ。一軒付き合えよ」
「なんだよ、帰るんじゃなかったのかよ」
「いいじゃねえか」
 
強制的にいつものバーで飲み直しとなった。なんとなく話が長くなりそうな気がして、ブランデーを頼んだ。同じ考えだったのか、真人もブランデーを頼んだ。
 
「それで」
「翔さ、今日、珍しくミスったんだって?」
「あ、ああ。ちょっとボケっとしてた」
「何考えてたんだよ」
「それは」
「それは?」
「…」
「朱里ちゃんだろ?」
「…まあ」
「彼女、終わってすぐ帰ったな」
「ああ、朱里にライブはきつかったんだろう」
「少しは話したんか」
「いや、全く」
「だめだったか。ライブのとき以来、会ってないんだろ?連絡だって」
「まあ、そうだけど。」
「責任、感じてるんだろう。お前は違うっていってたけど、やっぱり責任感なんじゃないか」
「正直、半々かな。ただ…」
「ただ?」
「俺が朱里に寄りかかりたいのかもしれない。あいつはさ、俺が何でもきいてやったようなこと言ってたけど、逆だったんだよ。あいつが俺の全てを受け止めてくれてた。あいつの前なら飾らずにいられた。だけど今の朱里には荷が重いっていうか、俺の気持ちを押し付けるだけのような気がして」
「な、恋愛って、そういうもんじゃねえの?押し付けたって受け取らないかもしれないし、片手で扱われるかもしれない。でもそれって、今考えることか?」
「でもあいつの状態を考えるとさ」
「そこだ」
「何が」
「びびってるんだろう、お前」
 
口にグラスを運んでいた手が止まった。同時に時間が止まったように二人とも黙り込んだ。
 
「切り込んでくるな、珍しく」
「心配してんだよ、俺は、お前を」
「それはどうも」
「大丈夫なんだよな、本当に」
「ああ」
「同じこと繰り返すのだけは、なしだからな」
「ああ」
「今度こそ、ちゃんと別れられるな」
「おい、まだ付き合ってもいないだろうが」
「ま、ダメだろうな」
「なんだよ。…でもダメだろうな。はあ」
 
一日中ぎすぎすしていた空気が一瞬でいつも通りに戻った。
 
「そうだ、明日、暇だよな」
「まあ、何もないけど」
「昼、ちょっと付き合えよ」
「明日、事務所と打ち合わせじゃねぇのかよ」
「それは夜。気分転換に海見にいこうぜ。いつものとこ」
「しょうがねえな」
 
 
 
 
 
13時、いつもの海辺のカフェ。あいつが一番好きな場所だ。とにかく落ち着くらしく、暇さえあればあそこに行って曲を書いている。最後に二人で行った日を考えながら、真人がうちに置いて行った車に乗り込んだ。
 
“悪い、ちょっと用ができたから現地集合で”
 
仕事でも入ったんだろうか。シガーをくわえエンジンをかけCDを挿入し、アクセルを踏み込んだ。考え事をするにはちょうどいい。湾岸線を走りながら真人の提案の答えを模索した。もともとバイトで携わったことがきっかけで舞台創りに興味が湧いて大学に進学した。ステージという括りでは音楽でも舞台芸術でも同じだとは思う。学業と両立ができるのだろうか。不可能というわけではないだろう。照明プランを練る作業も好きだし、新しい自分だけの演出をひねり出せたときの快感はたまらなく好きだ。下積み期間が長くもない自分を誘ってくれるのはありがたいが自信がない。貴重なチャンスであることは確かだ。挑戦してみる価値は言うまでもない。たまには後先考えずに進むのも悪くないのかもしれない。
 
1時間ほどで待ち合わせのカフェに着くと、真人の車があった。約束の時間より30分も早くついているとは珍しい。先に席に着いているだろうと思い電話をかけた。気づかないのか、なかなか出ない。中に入って探すことにして店の扉を開けると、立ち上がり手を挙げている真人が見えた。その向こうに、朱里がいた。予想だにしていなかった状況に困惑していると、会計を済ませた真人が肩を叩いて店を出て行った。
 
「おい、真人」
 
慌てて追いかけて店を出た。
 
「おい、どういうことだよ、説明しろよ」
「けじめつけるんだろう?」
「それがなんでこうなるんだよ」
 
シガーに火を付け車に乗り込もうとする真人を問いただした。
 
「おせっかい」
 
何を考えているのか、正直わかっていた。でも今ではないと思っていた。その時があまりにも突然、訪れただけだ。冷静になる時間が欲しかった。
 
「微妙な雰囲気はつらいだけだ。彼女もお前も、俺も」
 
また肩を叩かれた。真人は車に乗り込みサングラスをかけると、窓越しに俺をみてニヤリとした。出ていく車の後方を眺めながらため息をついた。もう向き合うしかない。困惑しながら店に戻った。
 
席に着くと朱里は手にしていたカップを置いた。俺がくることを知っていたのか、妙に落ち着いて見えた。昨日のこともある、まずは体調のことから切り出して外へと誘った。面と向かって顔をみながら話す自信がなく、浜辺へ向かう階段に腰を掛けた。海をみながら切り出すタイミングに悩んでいた。考えていても答えはでない。
 
「朱里、この間のことなんだけど」
 
思いつくままに謝った。すると思いもよらない言葉が返ってきた。
 
「ごめん」
 
終わった。昔のようになんて自分のエゴで、彼女にとっては忘れたい過去なのかもしれない。しばらくして再び朱里が口を開いた。それは精一杯振り絞った、愛だった。側にいたい、その言葉で十分だった。返す言葉が見当たらず、朱里を抱きしめた。

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