スズキ

 放課後の理科室、最近はすっかり静かであった。
今日はもう少しだけ仕事をしてから帰ろうか、そう思っていると、扉を叩く音。
「先生―、いますか?」
「ええ。どうぞ。」
「お久しぶりです。」
 扉を開けたのはもちろん、大桃ほのかであった。
「ここ一週間くらい来てませんでしたもんね。」
「先生、寂しかったんでしょ。」
「決してそのようなことはありません。」
「つまんないのお。」
 ほのかはほっぺを膨らまして怒って見せた。
「せっかく今日は友達連れてきたのに。」
「友達?友達?!前に話してた、あの?」
 樽井は思わず大声をあげてしまった。
「先生、そんなに驚かないでよ。恥ずかしい。んだから。」
「ごめんなさい。」
 樽井はしおらしく謝って見せた。
「で、友達っていうのはもちろん……」
「樽井先生、突然押しかけてしまってすみません。杉浦です。」
 そういってひょっこり顔を出したのは、杉浦彩世だった。
「杉浦さん、どうも。」
「ほら、彩世も遠慮しないで。」
「いやここ、大桃さんちじゃないですからね。」
「まあまあ、そんな固いこと言わないでくださいよ。」
 呆れ顔の僕を見て、彩世は声を出して笑った。
「あ、すみません。だってほのか、普段と全然違うから。」
「やだ、やめてよ。」
 ほのかは照れ臭そうに言った。
「僕からしたら、こういう大桃山しか見ないので、逆に普段の大桃さんも見てみたいですよ。」
「それは私たち生徒だけの特権ですから。」
 彩世は得意げな表情でそう言った。
「今日はどうしたんですか?」
「特に何ってわけじゃないですけど、せっかくなら友達もつれてきたいな、と思って。」
「そうでしたか。」
 彩世は準備室を見回してから尋ねてきた。
「先生は植物がお好きなんですよね。」
「そうですね。」
「動物とかは好きじゃないんですか?」
「いや、もちろん嫌いじゃないですよ。でもうるさい動物はちょっと苦手かもしれませんね。」
「なるほどー。じゃあ魚はどうですか?」
「もっぱら食べる専門ですね。」
 二人はくすくす笑う。
「私、父が釣り好きで、何度か連れて行ってもらったことあるんですよ。」
「へえ、そうなんですね。何釣りですか?」
「シーバス釣りです。」
「シーバスってなあに?」
「スズキって呼ばれる魚ですね。釣りする魚としては相当メジャーですよ。」
「へえ、そうなんですね。」
「先生も釣りしたことあるんですか?」
「まあ学生の頃に、釣り好きな友達に誘われて何度か。」
「へえ。」
「先生、友達いるんですね。」
「大桃さん、どこで驚いてるんですか?」
「いやだって、ねえ。」
 そう言うと二人は顔を見合わせた。
「まあ言いたいことは分かりますけど。」
 そう言って樽井も鼻で笑った。
「なんかはじめは、理科準備室に行くなんて緊張したんですけど、来てみてよかったです。」
「そういってもらえてよかったです。」
「先生、また来てもいいですか?」
「もちろん!」
 そう、食い気味に、ほのかが答えた。
「なんで、大桃さんが答えるんですか。」
 樽井も笑うしかできなかった。
「まあ、いつでもいらしてください。」
 そう付け加えて。

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