ラッパ

 リビングのドアが開く。
「ただいまー。」
「お帰り、兄ちゃん。」
「おお何だ、陽乃(はるの)ももう帰ってたんだ。」
「うん、もうテスト前だからね。」
「お、陽乃もか。俺もさっきまでまっつんと勉強してたんだ。」
「またそうやって松野さんに迷惑かけるんだから。」
「そんなことないって。」
「なんで兄ちゃんが決めるのよ。」
 兄ちゃんは悪い人じゃないんだけどこういう適当なところが多い。
「大体なんだよ、松野さんなんて。昔は勇樹くん、って言って懐いてたのに。」
「あのね、私だってもう中学生なのよ?いつまでも兄ちゃんの友達のことを下の名前で呼ぶわけないでしょ。」
 小さい頃から、話してると時折無性に腹の立つことがる。
「私勉強しないとだから、部屋に行くね。」
「そんな怒るなよ。お土産あるんだから。」
「お土産?」
 そういうと兄ちゃんは通学カバンから近所のケーキ屋さんの手提げを出した。酔っぱらった時のお父さんみたいだ。
「これ、駅前のケーキ屋さんの。どうしたの?」
「図書館で勉強してからまっつんと別れたんだけど、帰りに困ってるおばあさんがいたから声かけたんだよ。そしたら、ここら辺が初めてで駅までの道がわからない、っていうから道案内したってわけ。」
「それで、そのお礼に?」
「そうそう、そんな感じ。」
 ケロッとした顔でそう言った兄ちゃんを見て、昔から変わらないな、と思う。困っている人を見ると手を差し伸べずにはいられないのだ。


ある日、テレビ番組で見たトランペット奏者の演奏を見てとても感動した私は、いつか私もこれが吹いてみたい!、と強く思った。でも今と違って引っ込み思案で、何に対しても遠慮しがちだった私はトランペットが欲しいとは言い出せず、そのうちに誕生日が近づいてきた。
両親から誕生日プレゼントに何が欲しいかを尋ねられたがトランペットと言い出すことができず、仕方なくそれほど欲しくなかったゲームソフトをお願いした。でも、兄ちゃんは気づいていた。
 当時は兄ちゃんと同じ部屋で寝ていたのだが、その日もいつものように寝ようとベッドに入ると兄ちゃんが話しかけてきた。
「陽乃、起きてるか。」
「うん、何、陽介くん。」
「陽乃、本当はゲームなんか欲しくないんだろ。」
「そ、そんなことないよ?」
 思いがけない兄ちゃんからの問いかけにとても動揺したのを今でも覚えている。
「知ってんだぞ、本当はあの吹く楽器が欲しいんだろ?ラッパだっけ。」
 私は、欲しいものまでバレていたこととトランペットのことをラッパ呼ばわりした兄ちゃんに対してむきになり、反論した。
「ラッパじゃないもん、あれはトランペットっていうんだもん。陽介くん、全然知らないのに適当なこと言わないでよ!」
「ほら、むきになるほど欲しいんじゃんか。」
「欲しくなんか、ないもん。」
 そういって布団の中に潜った私だったが、突然布団が宙を舞った。
「言いに行くぞ。」
 そこには常夜灯の暗さの中でも確かに輝く兄ちゃんの姿があった。
「言ってくれるの?」
「バカ、陽乃が言わなきゃ意味ないだろ。でも安心しろ、俺がついていってやるから。」
 そして私はベッドから降り、リビングに向かった。怖さで震える手を兄ちゃんがしっかり握ってくれてたのを今でも覚えている。

「やっぱりここのケーキ美味しいよね。」
「だろ、俺に感謝しろよ。」
「そういわれると感謝したくなくなるんだけど。」
 あのケーキ屋さんの手提げ袋を見たら我慢できず、結局そのまま食べてしまった。
「そういや吹奏楽部はまだ続けてんのか?」
「うん。高校も吹部が強いところに行きたいんだよね。」
「へえ、結構マジじゃん。」
「まあね。」
「今度聞かせてくれよ、陽乃がラッパ吹くところ。」
「だからトランペットだってば。」
 うっかり顔をしてからケーキを食べる兄ちゃんに軽い殺意を覚える。
 食器を片付け部屋に戻る。
「お夕飯まで勉強してくる。」
「おお、俺も少しするか。」
「陽介くん」
 久しぶりの呼び方にびっくりした表情を浮かべる兄ちゃんを後目に、
「いつもありがとう。」
 そう呟いてから自分の部屋に向かった。

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