チリ

「今日はお招きいただきありがとうございます。これつまらないものですが。」
 そういって手に持っていたデパ地下のスイーツが入った袋を手渡した。
「わざわざありがとうございます。僕なんていつも高森さんにはお世話になってるのに。」
「そんなそんな。雨相先生あってのものですよ。」
 普段とは違うこの雰囲気。それもそのはずだ。
 高森は、今まで、雨相の家まで原稿を貰いに押し掛けたことは何度かあったが、こんな風にちゃんと招待されるのは初めてだった。
「そんなかしこまらないでください。じゃあ、入っていただいて。」
「失礼します。」
 あまり物は多くなく、掃除の行き届いた綺麗な部屋。
「結構綺麗にされてるんですね。」
「いや僕は全然。掃除は苦手なので、定期的にそういうところに頼んで、掃除してもらってるんですよ。」
「ああ、なるほど。」
 作家先生の生活というものはなかなかベールに包まれたものである。
 そんな普段とは少し違う会話をし、雨相は高森をダイニングに通した。
 細かいところまで丁寧に飾り付けられた装飾、食卓全面にわたって広がる豪華な食事、そして、三人分の食器。
「あれ先生、今日はほかにも誰かいらっしゃるんですか?」
 雨相は、意地悪そうに微笑んでから、入ってきた方とは逆の、扉を開けた。
「はじめまして。」
 そこに立っていたのは、長い黒髪が特徴的な綺麗な女性だった。
「は、はじめまして。」
 高森はとりあえずそう答えた。
「すみません、先生。えっと、こちらの女性は?」
「ごめんなさい。ちゃんと紹介させていただきますね。」
雨相はそう言ってから女性に目配せをした。
「野澤朱里と言います。」
「あ、高森直道です。」
「よくお名前は伺ってます。」
 よく?、高森の中に疑問が生まれる。
「高森さん、割と前の話にはなってしまうんですが、同窓会に行こうか迷ってる、ってお話したことありましたよね。」
「ああ、ありましたね。なんでしたっけ、初恋の人がいるとか何とか……え?あ、え?もしかして……」
「はい。」
「おおお、こちらの女性が、その方なんですね?」
「はい。」
「拓夢くん、そんな話してたの?」
 朱里はくすっと笑った。
 拓夢くん?、高森の中にまた別の疑問が生まれる。
 雨相は深く深呼吸をしてから話し始めた。
「高森さん、実は……私、野澤朱里さんと結婚することになりました。」
「え、えー?お、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。」
 そう言って雨相が浮かべた笑顔は、今まで高森が見てきた度の笑顔とも違っていた。
「今日はそれを伝えたくて、招待させてもらったんです。」
「なんていうか、ありがとうございます!」
「なんで高森さんが感謝するんですか。」
 雨相は笑いながらそう言った。
「なんか、こうやって個人的に報告してくださったのが本当に嬉しくて。」
「そりゃあそうですよ。高森さんに相談したおかげで同窓会に行けて、それでこうやって結婚することができるようになったんですから。」
「さ、せっかくの料理も覚めちゃいますから、とりあえず座りませんか。」

 豪華な手料理の数々。
「これは、どなたが作られたんですか。」
「ほとんど朱里さんが。」
 雨相は照れ臭そうにそういった。
「そんなことないわよ。拓夢くんだってやってくれたじゃない。」
 朱里は負けじと反論する。
 そんな熱々なやり取りを見て、高森は苛立ちよりも、とても幸せな気持ちになった。
「じゃあまずはサラダからいただきますね。」
「ほら拓夢さん。」
 サラダを取る高森を見て、朱里が雨相をせかす。
「何かけますか?」
「えっと、何があるんですか。」
「チリソースと、タルタルソースと、サルサソースと。」
「色々あるんですね。」
「全部拓夢くんの手作りなんです。」
「え?先生、そんな特技あったんですか。」
「まあそんな難しいものじゃないので。」
「じゃあ、チリソースいただきますね。」
 赤々としたチリソースをサラダにかけ、高森は一口っ食べてみた。
「うん、美味しいですね!」
 雨相はまんざらでもない、といった表情を浮かべていた。
 高森は改めて、雨相の担当になれたことを感謝するのだった。

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