ブロンド

 放課後、今日もなんとかすべての授業が終わった。職員室で一通りの雑務を終わらせた僕は自分の居場所に戻る。
「先生さよならー。」
 そう声をかけてくる生徒たちに挨拶を返しながら、生物準備室へ向かう。
生物準備室に着くとすりガラスから人影が見えた。いつものことだ。
「え……」
 しかし扉を開けるとそこにいたのは、いつものあの子ではなかった。
長いブロンドをたなびかせた女性。といってもまだ若いのだろう、十代後半といったところだろうか。

こういう時に日本語は不自由でならない。青年とは主に男性のことを指すが、その女性バージョンは何なんだろうか。
娘ではなんだか偉そうだし、乙女は、これまた違う気がする。
まあこの多様性の時代、今どき性差で呼び方を変えること自体、おかしいと言われればそれまでなのだが、これはあくまで差別ではなく、一時的な区別、区分に過ぎないと僕は考える。
……いやはや、僕は何を考えているのだろう。目の前に広がった光景を受け入れられないばかりに、変な考えに至ってしまった。

ベタではあるが、今一度扉を閉め、生物準備室であることを確認してからもう一度扉を開ける。
もちろん、そこに広がっているのは先ほどと同じ風景。いやさっきと違う方が、最近疲れすぎているのかもしれないと思ってしまうので、変わってなくてよかったのだが。
「あー、ハロー。」
「Hello.」
「ナイスチューミーチュー。」
「Nice to meet you,too.」
実に流暢な英語である。そりゃあそうか。
 それ以上僕は何も話すことができず、ただ目の前に立っていた。
「もう先生全然ダメダメだね。」
 聞きなじみのある声に安心する僕。人体模型の後ろから出てきたのは大桃さんだった。
「大桃さん!」
 僕は神様でも現れたかのように大声でそう叫んでしまった。
「先生、声大きすぎ。」
 大桃さんはブロンドヘアの美女の方を向いていった。
「ごめんね、クリス。」
「ダイジョブよ。」
 なるほど、この人はクリスさんというのか。
「先生にも紹介してあげる。」
 何とも恩着せがましい言い方だ。
「ああ、ありがとう。」
「この子はクリス、うちにホームステイしてるの。」
「ホームステイか、なるほどね。」
「クリス、自己紹介して。」
「こんにちは、ワタシはナマエのクリスティーン・メイ・キーリーです。クリスと呼んでほしーです。」
 ところどころ間違っている気がしなくもないが、これだけ話せるとは立派なものである。
「初めまして、僕は樽井直。この学校で教師、ティーチャーをしています。よろしくね。」
 満面の笑みを浮かべるクリス。
「大桃さん、クリスはこの学校に通うの?」
「ううん、クリスは大学生よ。この近くの大学に通うんだ。」
「ああそうなんだ。」
「で、まだ学校が始まってないから、先生に許可とって日本の高校を紹介してあげることにしたんだ。」
「なるほど、それはいいね。」
 色々と言いたいことがないわけでもなかったが、大桃さんなりに考えているようだったので、黙っていることにした。
「先生、正直驚いたでしょ。」
 大桃さんはにやにや笑いながらそう聞いてきた。
 自分の空間に知らない人がいて驚かないわけがない。まして、それが外国人とあってはなおさらだ。
「そりゃあ驚いたよ。」
「私思うんです、日本人は必要以上に外国人のことを怖がりすぎだって。」
「いや僕の場合はそういう問題でもなかったんだけど……」
 大桃さんはそんな僕の意見などお構いなしに話を続ける。
「クリスもそう思わない?」
「うんうん、そういうところ、あるかもしれないです。」
「これからは多様性の社会なんだから、これじゃあだめですよ。」
 熱弁をふるう大桃さん。今回はそういう問題ではない気もしたが、でもその意見が間違っているとも思わなった。
「まあ確かに、外国人というだけで身構えてしまうところはあるかもね。」
「なんでなんですかね。」
「うーん、まあいつの時代も人間なんて生き物は、自分たちとは違うものには違和感を持ち、時に嫌悪してしまうものなんだよ。」
「寂しい生き物ですね……」
 静寂が生物準備室を包む。
「でもほのかもタルせんせーも私を受け入れてくれました。それだけで私は嬉しいですよ。」
 クリスは周りを明るくするような、太陽のような笑顔を浮かべてそう言った。
「クリス、ありがとう!でもクリス、この先生のことは……」
 大桃さんがニヤリと笑う。何か嫌な感じがする。
「素直先生って呼んであげて!」
「りょーかいです!」
 この際そんな呼び方なんて、どうでもいい気もしてきた。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,651件