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『稼ぐ』と『オーラ』と『非モテ』のはなし

今日は昨日寝る前にふと考えたことを書いてみます。お金を稼ぐことについてです。僕の文章を読んでくれている人は「稼ぎたい」人が多いはずです。その中にはすでに十分稼いでいる人もいるだろうし、稼ぎたくても思うように稼げていない人もいると思います。お金を稼ぐって難しいですよね。

そもそもお金を「稼ぐ」ってなんでしょうか。稼ぐって言葉はあまり具体的ではないですよね。稼ごうとしたら稼げるものなのでしょうか?僕は23歳の時に初めて個人起業で月に100万円以上の売り上げを出しましたが、その時「これが稼ぐってことかあ、なんか思ってたんと違うな」とうすらぼんやり感じたことを今でも覚えています。

実際にお金を稼いでみると、お金を稼いだというより「お金をもらった」という感覚が近かった。お金は自然発生するものではなくて、何か僕が特別なことをしたから地面からウィ〜ンって100万円が乗った台が出てくるわけでもなくて、ただ僕と関わってくれた人が「あなたにこのお金を渡したい」と思ってくれたことが1ヶ月のうちに何回か重なって、その時に僕の口座にお金が振り込まれたわけです。

【イメージしていた『稼ぐ』】
何かをする
→評価される
→ウィーンとお金が出てくる

【実際に経験した『稼ぐ』】
誰かがお金を「渡してくれる」

そう、僕の「稼いだお金」は誰かが「渡してくれたお金」なのです。僕は23歳の時にすごいことに気づいてしまいました。お金は人の手からやってくる。つまりお金はコミュニケーションの結果であると。自分がいくらスキルをつけようと、勉強をしようと、事業計画を立てようと、人が「あなたにお金を渡したいよ」と思わなければ、僕がお金を手にすることはないのであると。これは僕にとってすごい気づきでした。

だって学校で習ったことと全然違うんですもん。学校では「真面目に勉強して、テストでいい点を取って、いい大学に行って、いい会社に入ることがお金を稼ぐことだ」と教えられました。

僕はその教えをあまり好意的に受け取っていなくてスポーツで大学に進学しましたが、スポーツの世界でも「集団の一員として役割を全うする人間が正しい人間であり、輪を乱すものは頭のおかしい人間であり、排除されて当然である」と誰かに言われたことはないけれどなんとなくそんな感じのことを学習したのだと思います。だから個人で起業をして事業をするなんてとんでもないことだと思っていました。

でも実際に自分で行動をしてみていざ人からお金を受け取ってみると、「なんだ、こんなことだったんだ」と拍子抜けしました。学校で習ったことと違うじゃないか。お金は人の手からやってくる。「あなたにお金を払いたい」という人間になれば、自然とお金は集まってくる

学校で習った「優秀でありなさい」という教えは確かに「優秀であることでお金を払いたいと思ってくれる会社に選ばれる」という意味では「お金を払いたい人間になる」ってことと同じなんですけど、「優秀であることだけがお金をもらう(=稼ぐ)手段である」と勘違いしちゃってたんですね。お金をもらう方法はいくらでもある。選択肢を狭めちゃってたのは自分だったんだ、と気づきました。

優秀である→お金が手に入る
は一つの方法論でしかない


真面目な人ほど今までの人生で学んだことを「これが正しいんだ」ってぎゅっと握りしめているから、「稼ぎたい!」と思った時に「稼ぐためにはこれとこれとこれを最低限このレベルまでやらないと…ああやることがたくさんで自分には無理だ…」ってなりがちだと思うんですけど、その考え方が逆にお金を遠ざけちゃってるかもしれません。

「お金を稼ぐ」っていう言葉に過去の経験が囚われすぎてる。お金を「もらう」って考えてみたらいいんですよ。特に僕のやっているライフコーチみたいな対話商売は、どんなにピカピカな資格やスキルを持っていても「コイツ嫌いやな」って思われたら一発でアウトです。ぶっちゃけ、好感度の世界です。相性の世界です。どれだけ好きになってほしい人がいても、相手から選ばれなければ関係を持つことはできません。

この感覚は恋愛でも同じです。好きになった相手と結ばれるかどうかは、片方の努力だけでどうこうできる話じゃありませんよね。「俺はこれだけ努力してるから言うことを聞け」って言ってくる人と付き合いたくないですよね。でも本人は「どうしてこんなに頑張っているのに嫌われるの?」と悩んでいるはずです。

なぜなら「努力すれば相手が振り向いてくれる」と信じているところから間違っているからです。前提がずれているから努力の方向が間違っている。恋愛で異性にモテる人がいるように、お金にモテる人というのも存在すると思っています。お金にモテる人はお金にモテる立ち振る舞いをしています。お金にモテる立ち振る舞いとは「人がお金を渡したい」と思うような立ち振る舞いのことです。

それは必ずしも言葉で説明するものだけではありません。意識的に発信しているメッセージをいくら綺麗にまとめたとて、人間は無意識的に多くの情報を発信しています。正論を言っても人の心は動かないのです。人は敏感に正論の裏に隠されたメッセージを読み取るからです。

お金にモテる人は無意識的にも「お金にモテるメッセージ」を発しています。オーラがあるんです。オーラって言っても「前世が…」っていうような話じゃないですよ。無意識的に発信しているメッセージを人は何となくキャッチするよ、って話なんですけど…

なんか話が変わってきてますね。ちょっと一旦ここらで言いたいことをまとめます。


・お金を「稼ぐ」というからわからなくなる。お金は「もらう」もの
・「お金を渡したい」と思われる人になればいい
・人に好かれる人はオーラで好かれている(←いまここ)


せっかくなのでオーラについて考えてみましょう。人に好かれる人には人に好かれるオーラがある。「友達にはなれるけれど恋人にはなれない人」には「恋人にはしたくない人のオーラ」が出ている。

高校時代の僕がまさにそんな状態でした。当時の僕は好きだった女の子に振られまくっていました。持ち前の明るさですぐ友達にはなれるんです。なのにいざ「付き合ってくれ」というと「うーん、なおとくんは友達かな…」と言われて振られてしまうんです。

僕は恋人になりたいのに、好きになった女の子は誰も僕のことを恋人として選んでくれなかった。なんでやー!ってやさぐれてました。今考えると青いなあって感じですが、当時は真剣に悩んでいました。

あの時の僕には自分に対する自信のなさから「お友達になってくださいオーラ」が出ていたんじゃないか?と思います。恋人になれる自信がなかったし、相手の女の子が「どんな男を恋人にしたいか」ということにすら興味がなかった。だからお友達にはなれるけれど、恋人にはなれなかった。シンプルな話ですよね。

いい感じに青春を拗らせていた僕は「どうせ女は顔がよくて眉毛が細いヤンキーみたいな男が好きなんだ」とすねまくっていました。ウケますよね。恋人が欲しくてたまらないくせに、恋人を作ることに成功している他の男子をディスって研究することさえしない。そんな人間に恋人ができるわけなかろうが。ばかちんが。

ウンチみたいな青春を過ごした僕のことは置いといて、話を戻しましょう。今日はそもそもお金を稼ぐことから始まったんでしたね。お金を稼ぐというのは僕たちの世界では「お客さんを作る」ということであり、お客さんとは「お金を払ってまであなたの対話に価値を感じる人」なわけで、これは恋人を作る工程ととても似ていて、僕は非モテを拗らせていた経験のことを話してみました。

要するに、お客さんに選ばれたいのに選ばれない人は、「自分は選ばれない」という自信のなさから、ますます選ばれない行動をとってしまうわけです。恋人になりたいのにお友達どまりななおとくんからは「友達としては面白いけど彼氏にするのはちょっとね…」というオーラが出てまくっているから、お友達止まりなわけ。

簡単な話なんですけど、自分が無意識に発しているオーラを自分で認知するのはとても難しい。他人からのフィードバックを受けるしか方法はないんですが、それもなかなか難しい理由があります。オーラを言葉にするのは難しいからです。

しかも本人に自覚がないので、「急になんかネガティブなこと言われたんだけど?!」と衝突が起きることもあります。つまり、めんどくさいのです。まず大人だったらそんなことしません。社会生活でいちいち人とぶつかっていては仕事が円滑に進まないからです。でもぶつからないことには自分の無意識に気づくことはできない…うーん、ジレンマですね。

人から「この人はお金を払うに値する」と思われるとき、相手はこちらが言葉で伝えている以上のメッセージを受け取っています。無意識で発信しているメッセージ、つまりオーラで「この人は信用できるな」とジャッジされるわけです。

だから自分がどんなオーラを出しているかを知らないと人と強く結びつくことができないので、自分が無意識のうちに発信しているメッセージがどんなものなのかを知り、うまくチューニングする感覚が必要です。

つまり何が言いたいかって。どれだけ綺麗な言葉を並べても、相手に伝わるのはメッセージの裏にある意図なんだよってことです。

誰かに選ばれることを仕事にしてお金を稼ぎたいなら、自分が無意識にどんなメッセージを発信してしまっているのかという部分に着目してみるといいかもしれません。おわり

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