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いのちがいちばんだいじ展


 季節外れの、扇風機が回っている。昼前から降り出した雨のおかげで、洗濯物のぶら下がった部屋で首を振って大活躍だった。

 いつもより狭いリビングの座布団で娘と一緒に寝転がっていると、ねこが割り込んでくる。生後半年になろうという娘と、二才になったばかりのねこ。最初は小さかったのに、もう自分より大きい娘に、ねこはちょっとずつしか慣れない。


 フィルム写真が、好きだ。

 べつに写真を一瞥しただけで、これはフィルムだとかデジタルだとかわかるはずないのだけれど、フィルムのぼけた感じや、腕がなくてもそれっぽく写るところ(ド素人の感覚だよネ…)、偶然撮れる超イイ感じの雰囲気(これもド素人の感覚…)とかが好きで、学生時代はハマってよく撮っていた。

 一応大学では写真部に所属したから、父がずっと使っていたミノルタの一眼レフを譲ってもらって、最初は白黒を、部室の地下の暗室で現像から焼き付けまで自分でやった。

 結婚して実家を出た今でも、クローゼットにはフィルムカメラが眠っている。ミノルタと、ロモが一台ずつ。ロモを、父は「バカチョン」と呼ぶ。バカチョンカメラのそれで、学生の頃はあちこちを写した。


 玉村敬太写真事務所によるウェブ写真展「いのちがいちばんだいじ展」を、偶然観た。玉村夫妻が二匹の兄弟ねこを引き取ってからの二年余りをフィルム写真に収めたものだ。


https://sippo.asahi.com/article/14483349


 一見して、その色合いや雰囲気に懐かしくなる。それこそ使うフィルムによって様々なのだが、2018年から撮影されたものだというのに、どこか昭和・平成初期を感じさせる。

 そこに写っているプンクトゥムという、うつくしいねこに涙せずにはいられなかった。

 玉村夫妻の二年間に、自分自身が重なった。この二年の間に、ねこを引き取り(夫妻は二匹、私たちは一匹だけど)、子どもが生まれた(夫妻は息子さんで、私たちは娘)。今でも我が家には白と黒の大きくてうつくしい(と自分で言っちゃう)ねこがいるけれど、玉村家のプンクトゥムは、もうこの世にいない。あまりに短い生が、写真とともに迫ってくるようだった。

 ウェブ上で五ページにまとめられた写真展を観終えた後、思わずねこを抱きしめた。涙がねこの背に吸い込まれていく。濡らしてごめん、と思うと同時に、この温かさと鼓動に余計に泣けてしまう。迷惑そうに目を細めるやつは、プンクトゥムと違って繊細でも聡明でもないけれど、愛くるしい存在には変わりがない。


「いのちがいちばんだいじ」に込められた意味を思う。

 息子のようなねこに、生まれたばかりの娘。このふたりが、精一杯、元気で、長生きできますように。そしてそれを、すぐそばで見守ることが、ずっとずっとできますように。

 今ある日常を、噛みしめて生きていく。


 ファンヒーターの上で、ねこがはみ出すように溶けている。そういえば、猫語翻訳アプリによると、私は彼にとっての「ママ」なのだそうだ。この冬は寒くなるというから、彼の定位置も今冬は大活躍が期待され、灯油の値上がりにママは悲鳴を上げるばかりです。




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