不思議な・・・夢 =熊野三山③=
熊野・・・何だか不思議に満ちた地域。熊野古道、蟻行列
等々聞いたことはあるが、信仰と自然に満ち満ちている匂いがする。
私の嫁は不思議な夢をみる・・・みたいだ。それについての理由を考えたところで説明は不可能である。見るものは見る。感じるものはそう感じる。そこに疑問はないが、やはり理由を知りたい。
ただ、そう思う・・・。
前回の続き・・・。
SAIGO NO YASHIRO
熊野3山巡りもこれで最後だ。熊野速玉神社。
熊野那智大社を出発したのが、夕方17時頃。
もしかしたら、閉まっているかも・・・。とドキドキしながら一路速玉神社を目指した。
到着したのが何だかんで18時半ごろ。
閉まってる。。。。
マジか…。
・・・という事で、我々の熊野巡りは幕を閉じたのだった。
ん?
状況を説明すると、到着した時には辺りは既に闇に包まれていた。駐車場にも車は1台も無い。あまりにも静か。風に揺れる木々の葉の擦れる音が、どこか不気味である。門が見えた・・・が、閉まっている。
お呼びでない・・・。
伊邪那岐大神よ・・・。
少し残念だったが、どうしようもない。
・・・んで、日を改め、後日この場所に来た。
違和感を感じる速玉神社
結論から言うと、ここには何も感じなかった・・・らしい。
嫁が言うにはどうやらココを見た記憶は無いらしい。
本宮、那智と来たのだからココもと期待するものであろう。
が、反応は薄い。
特に残念なわけではないが、無いものは無いのである。
まーでもこういう事もあるわな。と思いつつ、帰宅の途についた。
実はこの日、速玉神社の前にもう一社巡っている。
熊野には奥宮がある。
玉置神社である。
知る人ぞ知る人たちの間では大層不思議がられているこの神社だが
(呼ばれる、事故にあう、眠くなる←これは何だろうね。)
ここもまた、夢に出てきた神社であることがわかった。
熊野奥宮 玉置神社
先日、熊野本宮と那智大社と巡って、最後の速玉神社がまさかの閉店。
しかし、これはリベンジと思いつつネットで熊野神社を検索していた時だった嫁が
"あ!ここにも行ったことある。”
すると息子まで、”あ、僕もここに来た夢見たことある”などと言う。
しかもよく聞くと2人とも道を歩いていたという。がしかし、ネットに載っているような大木などない道を歩いていたと言う。
知っている人もいるだろうが、知らない人の為と言うか、私たちも後から知ったのだが・・・。
玉木神社への道のりは険しいものであった。
と言うのも、ほぼ崖のような細い道を通っていくのだ。
ナビ通りに進んで、いつしか”え?これ行くの?”ってな道を進んだ。
途中大きな岩があり、何となく、
”この道で行くには訳がありそうだ”と思った。
ネットでも玉置神社は”呼ばれないとたどり着けない”らしい。
正直家族には内緒だが、心からもう2度とあの道は走りたくない・・・。(対向車来たら・・・そればかり考えていた)
しばらくしてやっと駐車場に到着。安堵感が半端ない。
早速、参道を歩いて本殿へと向かう。
とにかく木がデカい。いたるところにデカい木。
これだけでも何かしらのエネルギーが満ち満ちているのを感じる。
玉置神社は強力な悪霊退散の神社でもある。それは御祭神からもわかると
思う。国常立尊。始まりにして終わりの神様。
後から玉置神社には正式な参拝があるらしいと知ったのだが、
理由はよくわからない。
山頂へと続く道とその先・・・
山頂へは中々これまた大変であった。大変であったが、やはり山頂は良い。
風が気持ちよい。
しばしの間、遠くを眺めたり、くつろいだ後、嫁が言う。
”こっちだ”
そこは何というか、参道とは別の道。道と言うより道なのか?という道だ。
道のようだが、これはどこに繋がっているのだろう。。。
とにかく、嫁に言われるがままにその道を歩いていく。
内心、”これ大丈夫か?・・・”と思いつつ、進んでいく。
しばらくすると、息子が言う。
”僕、ここを歩いたよ”
帰り道の不思議
玉置神社の参拝を終えて、私の頭の中は
”またあの道を戻るのか・・・”がグルグル回っていた。
正直憂鬱な気分だった。。。。
が!
どこをどう帰ったのか、安全なルートで帰ることができたのだ。
正直、不思議だった。
行きは本当に覚悟を決めなければ行けない道を通った筈なのに、
帰りは普通の道で帰ることができた。おそらくだが、
行きはナビの言われるがままに進み、帰りもナビの言われるがままに
進んだのにこの違いは何だ。兎に角、私たちは安全なルートで帰路につくことができた。
この後、先にも書いたが、速玉神社に参拝を済ませ
熊野3山を巡る旅は幕を閉じたのだった。
※補足だが、玉置神社への道のりはすごく険しかった。が、私の記憶上、高野山への道のりも大概大差なく危険な道のりだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?