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【最新作云々㊿】道義無き時代に送る全身全霊の道義の物語... 極寒の大地で希望の花を咲かせた名もなき一人の男の映画『ラーゲリより愛を込めて』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
 幼少期からずっと毎年正月三が日の駅伝を嬉々として観ている周囲の大人たちがどうにも理解出来ずに「自分が大人になったらその面白さが理解できるのかな…」と思いながらそのまんまウン十年、なO次郎です。

まぁそもそもスポーツ全般に然程興味が無いものあるけど、
各選手延々走ってらっしゃるところに自発的にドラマを感じて心奮わせられる
親類の大人たちの感性にどうにも合点が行かなかったのが正直なところで。
たしか高校生の頃に受けた模試の中の現国の表論文の一説に「駅伝は他のスポーツと違って、
コース沿道で応援している観客達や雑踏の動静といった不確定要素もTV画面に入るのが面白い」
といったものが有ったと記憶してるんですが、それならば2004年のアテネ五輪の男子マラソンでの
この珍事なんかはその最たるものなのでは?・・・まぁ、駅伝ではないけども。(´・ω・`)

 今回は最新の邦画『ラーゲリより愛を込めてです。
 辺見じゅんさん原作のノンフィクション収容所(ラーゲリ)から来た遺書』の映画化作品で、戦後間もなくの国交断絶状態のソ連の未開の極寒地シベリアで過酷な強制労働に従事させられた日本人たちの生き様を描いたヒューマンドラマ。
 水木しげるさんの戦記漫画で描かれるような死と狂気と隣り合わせの極限世界を舞台としながら、いつ終わるとも知れない地獄のような生活の中で周囲を励まし続けた実在の人物である山本幡男さんを主人公としており、彼と遠く離れた妻とのラブストーリーでありつつも、常識や道理が通用しない戦禍の中で如何に人としてのモラルを保ち得るか、というさながら現代版『人間の條件』とも感じられる重厚な作品になっています。
 自身や利害関係者の欲求を満たすことにフォーカスする割り切りが当然とされる今日に於いて本作の主人公の体現する"全方位的道義"はまさにカウンターパンチであり、タモリさんが『徹子の部屋』で「新しい戦前になるかも」と仰った今日現在を生きるうえで極めて大きな人生指針になるやもしれません。
 戦争大作のみならず、ベテランから若手まで実力派キャストの揃った大作映画好きな方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・・・・・円谷幸吉!!

で、そんな駅伝・マラソン興味乏しい勢の自分としても
この方の自死の経緯を知った時は衝撃だったわけで…。
リアルタイム世代ではないので90年代のTVバラエティー番組の
知ってるつもり?!』でその生涯を知ったわけですが
この詩文の如き遺書の韻律の美しさが当時の小学生視聴者にも甚だ強烈でした。



Ⅰ. 作品概要と主人公その人

 原作は歌人・ノンフィクション作家である辺見じゅんさんの小説。刊行は89年ということで当時のバブル狂乱に対する警句的メッセージの意味合いも有ったのかもしれませんが、時代が二廻りして今度は効率化が至上命題の如き今日にも違った形で目を覚まさせてくれました。

ちなみに寺尾聰さんは本作ラストで現代に移行して登場する
山本幡男さんの長男役でしたが、93年のドラマ版では主人公役だったようで。
そっちのドラマ版もCSなりで再放送してくれないかな。(´・ω・`)

 そして本作の主人公である実在の人物の山本さん。生来の性格の明るさに加えての文才と画才、青年期にはロシア文学に親しみつつ社会主義に没頭して左翼運動に身を投じて逮捕もされたようですが、その終生のご経歴を見るに実力行使よりも専ら教養で周囲に訴えかける知識の人であったのだと思います。
 俘虜の身に在っても実力で相手と抗して自らの立場を確保するのではなく、於かれた過酷な状況の中で如何に楽しみと希望を繋げて耐え忍ぶか・・・一見相手の為すがままにも見受けられる外交はまさしくGHQ占領統治下の日本のそれであり、"海外での戦後日本"を感じますが、日本との国交断絶状態の国の最僻地であることに鑑みれば自己卑下などではなく至極理性的です。
 収容所ではそれまでの経歴から「前職者」(民主主義反対派)と見なされ、強烈な吊るし上げに遭ったとのことでその恐怖も勿論有ったでしょうが、ロシアの政治・文化を勉強されていたからには密告社会と武力闘争の空しさを重々理解されていたからでもあったことでしょう。

 そして彼が異国の収容所内の同胞に広めていった短歌俳句古典落語仏教さらにはカントヘーゲルといった海外哲学映画劇団草野球等々は、いわば日本人としての教養のフルコースです。
 一方で当時の日本本国では戦前の価値観がひっくり返されて西洋のそれが換骨代替的にもたらされているのがなんとも逆説的です。
 まずもって絶望的な俘虜状況下で周囲の日本人たちの生きる希望を絶やさせず、帰国の途に就かせたことで評価されていますが、そのような中で誰よりも日本人として在り周囲にも日本人で在らせようとした(それもイデオロギーは抜きにして)ことも稀有な彼の功績だと思いました。

 というわけで以下、彼の教養と非暴力に裏打ちされた道義の敷衍の物語です。


Ⅱ. 戦後も外地で"耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ"人々の姿

 冒頭は二宮和也さん演じる主人公山本幡男の、妹のハルビンでの結婚式での一幕に始まり、第二次大戦末期の不可侵条約破棄によるソ連侵攻の戦禍によって早々に妻子と離ればなれに。
 そこから俘虜となって貨物列車で収容所へ運ばれる最中の松田(演:松坂桃李さん)との出会いから本格的な物語がスタートします。

これからの抑留生活を思って一様に死んだような眼をした日本人たちの中で只一人、
陽気な笑顔で『いとしのクレメンタイン』を唄う山本の姿。
敵国であるアメリカの歌を「良い歌に敵国も何も無い」と堂々と唄い、
制止する元将校の相沢(演:桐谷健太さん)の怒声も意に介さない姿勢が
既に彼のキャラクターを十二分に示しています。

 そして始まる強制収容所ラーゲリ)での辛く厳しい抑留生活…。
 言葉の通じないソ連兵による武力の威圧と、日本軍元将校たちが彼らに取り入っての間接的な軍隊階級制度の延伸、収容当時には想像だにしていなかった長く厳し過ぎる冬・・・"絶望"という言葉の内奥に在るありとあらゆる艱難辛苦が俘虜の日本人たちを苦しめます。

収容開始時にはまだ夏の終わりから秋口といういわば"序の口"だったのが悲劇を助長させ、
冬場は零下20度もザラという別世界ながら、"作業不可"として労働が免除されるのは
なんと零下40度を下回った場合のみ・・・。
ちなみに、夏場は夏場で狭い"懲罰房"での南京虫に責め苛まれる描写があまりにも強烈でした。
そしてつまりは『八甲田山』(1977)の白い地獄ばりの世界が
日ソの国交回復の1956年までの11年間ずっと続いていたと考えると、、、

 そのような生き地獄ともいえる状況下で凍死や栄養失調による病死、さらには脱走を企てて即座に銃殺される者も居れば首を吊って自死を選ぶ者も日毎に現れるような阿鼻叫喚の様相を呈しますが、主人公山本が皆の精神的支柱となり、ただただ一途に励まします。
 ただいたずらに「ダモイ(帰国)の日は必ず来ます!」と期日の無い希望を口にするのみならず、俳句や文学といった己の持てる知識を周囲の人々に広めることで以て知識欲を刺激し、そこから各人の生存欲をより昂じさせているところが実に見事です。
 教師は生徒に教えることによってより知識が深まるといいますが、同時に主人公は周囲に生きる希望を説くことで自身の不安を懸命に払拭しようとしているようであり、とみに人間の強さと弱さは表裏一体だと感じさせます。

「大自然ってやつは、人を哲学者にするのさ」とはジンネマン艦長の言ながら、
彼も厳しい砂漠の行軍に敢えて敵であったバナージを連れていくことを励みとしたように。

 それが如実に表れているのが途中から収容所のメンバーとなる新谷(演:中島健人さん)の登場のくだりです。
 彼が加わる頃には一度は俘虜たちが帰国を許されつつも、山本をはじめとした一部の人員は再度別の収容所に収容されていわば天国から地獄へと叩き落されており、さすがの主人公も山本も絶望状態に在ります。
※そのシーンで再収容が決定して絶望する面々を尻目に帰国の途に就く者の中には相沢よりもさらに上官だった佐々木(演:三浦誠己さん)の姿も・・・出演シーンは決して多くないながらも抜け目無くソ連軍に取り入る狡猾さ溢れるキャラクター性の演技は流石でした。

そこに登場した新谷は北海道出身の漁師で十分に教育を受けていないがゆえに文盲。
抑留の途上で偶然拾った犬をクロと名付け、僅かな自分の日毎の食料を分け与えて可愛がります。

 彼が自分よりひ弱な動物を可愛がり、自分の家族からの手紙を読みまた自分も手紙を書きたいからと文字を覚えようとする前向きさに山本は再び奮起。
 彼に文字を教えつつ、一方でソ連兵からの検閲で没収やスパイ嫌疑の憂き目に遭う恐れがあることからメモは残さず記憶することを推奨します。

ちなみにそこで個人的に思い出したのがNHKドラマの『大地の子』(1995)。
山崎豊子さんの同名小説を原作にした中国残留孤児の物語にして、俳優の上川隆也さんの出世作。
文化大革命で砂漠の収容所に囚われた主人公は、収容所で出会った同房の囚人から
母国の日本語を教わり、「紙には残すな」として代わりに砂漠の砂を黒板としていましたが
教えを破ってこっそり紙に日本語を書き残してしまうのでした。

 彼に文字や俳句を教えながら山本は生きる希望を取り戻し、全きモラリストとしても再生していくのでした。
 続く第二の収容所で待っていたのは、特務機関時代のかつての上官の原(演:安田顕さん)の"民主主義反対派"と見做されての迫害された末の見るも憐れな姿・・・。
 山本を密告して"売った"という彼にショックを受けるも遂には許し、作業で余った綿を集めて作ったボールで野球を行い、またも微かながらしかし確かな希望の灯を収容所の仲間内に灯します。

余談ながら原を演じた安田さんはなかなかの運動音痴だそうで・・・。
そういえば慶応大学野球部出身設定の原は山本に推されて満を持しての
バッター当番のシーンで構えはサマになっていながらも、
打つシーンのカット割りがなんとも不整合のようにも見えた気が。(⦿_⦿)

 ソ連との国交断絶状態の中でも数年が経て、内容検閲が必要ながらも祖国日本との手紙のやり取りが可能に。
 喜びを胸に近況を報せつつ妻子の安否を気遣う文面を認める山本・・・祖国で転居しつつも縁を頼りに教職に返り咲いて一家を支えている妻モジミ(演:北川景子さん)が彼からの無事を知らせる手紙を手に喜びの涙を流す姿に此方もついもらい泣きしてしまいます。
 しかしながら各々が抱える家庭事情は実に様々であり、松田は最愛の母に宛てて自らの無事を報せる手紙を書くも親類よりその死を報せる返信が届いてさめざめと泣き、上官からの命令に従い心を殺して軍人/一般人を問わず敵国人を殺害し続けその反動として部下に辛く当たっていたものの山本の人格に感服して和解した経緯を持つ相沢も、本土空襲で妻子が無くなったことを知って絶望し、収容所の監視兵の銃前に身を晒して自殺を図ります。
 彼らの絶望を理解しつつ、翻って自らの家族の恵まれた状況と比較しつつ、「それでも!」と彼らに希望を捨てないよう力強く諭した主人公の覚悟の深さが伝わります。
 そして終盤、原因不明の病に倒れる主人公山本の窮地に際し、それまで受けた有形無形の多大なる恩義に対して収容所仲間たちが全身全霊で応えます。彼を設備と人員の整った大病院で診察してもらうための命懸けのストライキです。

「ただ生きてるだけじゃダメなんだ・・・山本さんのように生きるんだ!!」
とかつて戦場の最前線で死を恐れて逃亡した忌まわしき過去のある松田が
死を覚悟して真っ先に座り込みを始め、それに続々と仲間たちが同調していき、
それをかつて我が身可愛さに山本を密告した経緯のある原が代表して命懸けの交渉に当たります。
これまで山本に命を救われてきた人々が山本のために命を賭す、命の凄みを体現するシーンです。

 彼らの決死の請願が叶って山本の精密診療が叶うも、その結果は"末期の咽頭癌で治療の施しようが無いため、収容所病床へ返送"という無慈悲なものでした。
 吐血し、声が掠れて息も絶え絶えの山本(二宮さんの力演が見事としか言えず…)に対して「諦めたら絶対に許さないからな・・・!」と男泣きする相沢の無念も然ることながら、これまで常に生きる希望を周囲と己自身に説いてきながらも余計幾ばくも無い彼に遂に遺書を書くよう勧める仲間たちの無念も推し量るに余りあります。
 生きる覚悟の象徴だった主人公に対して、その仲間たちが死ぬ覚悟を突き付けざるを得ない残酷なコントラストが否応なく胸を打ちます。

 実際の遺書は死の間際に視力も薄れて寝返りも打てないほどの激痛の最中にわずか1日で書いたにもかかわらず、ノート15ページ約4500字に及ぶ長文だったとのことですが、本作ではそこに走馬灯のように回想する過去の自身の生きた日々がフラッシュバックし、人一人の一生の重みがこれでもかと凝縮されます。
 その1ページ1ページを仲間たちみんなが手分けして秘蔵し、万一の没収の可能性に鑑みて懸命に暗記するわけですが、それはつまり、山本が自身が力尽きてなお仲間たちの希望であり生きる原動力となっていたことの証左となっており、ノンフィクションの純然たる重みを感じさせます。
 
 その彼らの継続的な地道ながら決死の努力の中、日本の彼の家族には無情にも彼の訃報が電報で届くのですが、そのシーンも実にリアリティーに溢れています。
 妻モジミが即座に義母と子どもたちを呼び集めて「お父様が亡くなられました。でも、大丈夫です・・・・・・」と口にしたところで耐え切れずに縁側に走り出て、在りし日の彼との最後に交わした「すぐにまた会える」との約束を思い出して「うそつき!!・・・」と大泣きします。
 山本自身も一度は絶望して希望を失いますが、妻もまたただただ超人的に気丈に振る舞うのだけではなく、一人の人間としての弱さと紙一重なのが垣間見えるシーンです。

93年のTVドラマとの大きな違いが妻モジミとのラブストーリーかと思いますが、
本作での北川景子さん演じる彼女は出演時間はさして長くないものの、
ヒロインとして、妻として、母として、そして一人の人間として実に強烈な実存を感じさせます。

 そして都合最長11年間のあまりにも長過ぎる"戦後"の一幕が幕を閉じます。
 山本の死の背景には夥しい数の日本人の死があり、シーンとしての政府代表団のスピーチの薄ら寒さと政治の罪の重さを端的に感じさせます。

最後の帰国団の船に馳せ参じた彼らの飼い犬で同志のクロ。
ここは明らかなフィクションでしょうが、そうしたフィクションゆえの救いがあってこそ
広く人々に歴史の出来事が知れ渡るのも事実であり、それを思えば物語として
許容すべきところでしょうか。

 その後、彼に救われた仲間たち、具体的には原、松田、相沢たちがそれぞれに山本の家族の居所を探り当てて訪問しますが、個人的に一番胸に来たのが松坂桃李さん演じる松田の訪問です。
 彼が請け負った山本の遺書の一説は山本からの母に向けた言葉であり、「親より先に旅立つ不孝をお許しください。しかし、私が死んでもそれに打ちひしがれることなく元気に生きて下さい。ただ叶うことなら最後に一目だけでもお会いしたかった。」という。
 松田はちょうど山本と真反対の状況で松田の帰国を待ちきれずに母が病死してしまったのですが、彼の遺書を朗読している最中に自らの母に対する思慕の情と自らに再会出来ずに息を引き取った母の無念を慮る気持ちを重ねて泣き崩れ、山本の母も山本への想いそのままにその松田を抱き締めるのです。
 山本さんご本人のWiki内に"また仲間たちは遺書の内容に、シベリアで空しく死んでいったすべての人たちの想いが籠められていると感じ、山本個人の遺書であると同時に自分たちの遺書でもあり、収容所で死んだ日本人全員が祖国のすべての日本人たちに宛てた遺書として受け取った"と有りましたが、その手紙の様相が映像として端的に顕れた迫真のシーンだと思います。
 僕個人はいわゆる"感動する映画"はどちらかというと苦手なのですが、本作のこのシーンは劇場内で目の前の桃李さんと一緒にただただ泣いてしまいました。
 当然ながらというか場内のそこかしこですすり泣く声が聞こえており、当の手紙の全人向けの何よりの証左だと思います。

 余談ながら、それだけの地獄の俘虜生活に見舞われながらも、人によっては"生きていた英霊"、つまりは日本側では自分が戦死したと見做されて自身の妻子が既に自分の兄や弟と再婚していた、といったケースも有ったことでしょう。本作中でもモジミさんは寡婦を通されていましたが、もし幡男さんに未婚の兄や弟がおられたら"家に嫁ぐ"という当時の婚姻事情の手前、その方との再婚が既定路線だったかと思います。
 そうした事情に鑑みるに、抑留生活が終わった後も本人にもそのご家族にも厳然たる影を落としたことを思うと、感涙の内には終われないところです。

 物語のラストで時代は現代に移り、年老いた顕一(幡男の長男、演:寺尾聰さん)が孫娘の結婚式に「最後に勝つのは道義です」という父からの言葉を献辞としてスピーチします。
 本作での彼の孫娘さんは涙ながらに聴き入っていましたが、果たしてその並々ならぬ背景を知らずして誰もがその言葉を"老害の一言"と断じてしまわないと言い切れるかどうか・・・。

実際の時代の流れの中では抑留経験者差別も存在したとのことで、
地獄の先にまた地獄が有ったのかと思うと…。



Ⅲ. おしまいに

 というわけで今回は最新の邦画『ラーゲリより愛を込めてについて語りました。
 冒頭でもちょっと書きましたが、"戦争極限下でのモラル"というと『人間の条件』(1959~1961年)も併せて思い出します。

こちらは全三部作の長大なトリロジーで、終戦からまだ十数年という時代背景もあってか
その幕切れとメッセージも極めてビターなもの…。
しかしながら本作との差異性と主演の仲代達矢さんの強烈な役作りのほどは一見の価値有り過ぎ。

 前述のように本作ではラブストーリーとしてのエッセンスが特色となっており、ともすれば原作や戦争ノンフィクション作品としての側面に重きを置かれる向きには評価の分かれるところかもしれませんが、それがゆえにより幅広い層の視聴を可能にしたという点で大いに意義の有るところだと思います。
 またぞろ長くなってしまったので今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




ついこないだのガンダムの第一期最終話で"ハエたたき"が俄かにトレンドになってるけど
個人的にはコレを思い出しちゃった次第。
・・・・・・長らく出てないけど早く最新刊出ないかな。(´・ω・`)

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