私の19年間(便乗)
「19才で言葉の重さを知っているなんて、ほんとに年齢は関係ないなと教えていただきます☺️」
という嬉しいお言葉をもらったので、どんな人生を歩んできたか話してみたくなりました。
・幼少期、父母の喧嘩心理虐待、警察沙汰
・小学校の時は楽しかった
・中学受験をしたが母親に「あなたの実力じゃなくていい先生をつけた私のおかげ」とずっと言われた(大学受験も同じことを言われた)
・中一、母親に車の中で「お前英語読むの下手くそw」と嘲笑され自信喪失
・中二〜、「禁止されていた」SNSにのめり込む
・中三、祖母が亡くなって家族全員が「死」を感じ、初めて「家族」という感覚を味わった(家族一丸になって祖母の介護)
・過去に母親は祖母にひどい扱いをされていた
・中学生、理数で良い点数を取るも母親に「英語上げろよ」「国語上げろよ」「理数だけできても意味が無い」「また90点台?英語は?国語は?」と散々言われ続ける
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・虐待を虐待と知らずに生きてきた
・高校一年の時SNSで言われた「あなたは虐待されてますよ」で自分が虐待されたことを気づいた
・高校二年生の時からSNSでいろいろな人の話を聞く
・高校二年生、母親に鋏で殺されかけた
・高校二年生、自殺未遂を何度かした(どこかのテスト後、学校の先生に叱られた「自殺しかけたらあたし、見くびるからね」との優しいお叱り)
・高校二年生、父親に「一日リビングにいろ」と強制された(二学期中間期末どちらかのテスト)。プライベートもクソもない。
・高校二年生の一月当たり?に家出を計画した(十一月より後〜三月、実家にあるノートを見ればわかる)
・父親と争う(三月)
・高校三年生四月、精神科に虐待相談
・高校三年生五月、児童相談所にメールを送る
・高校三年生五月、我慢の限界で「学校」を頼る
・高校三年生の六月「副校長、担任、スクールカウンセラー、保健室の先生、児童施設の方」と私の六人で面談
・「中一の時に手に絆創膏を付けて登校してたよ」と児童施設の方に言われた(その先生は何故か中1の理科の先生だった)
・高校三年生の六月、副校長と母親の面談、制裁完了
・高校三年生の六月、母親が泣きながら「ごめんなさいって言えばいいんでしょ!」とブチ切れ、祖父が「家を壊すな」と私の虐待を心配せず家の心配をした
・高校三年生一学期、こんなことばかりしていたので大学に上がる資格を成成績不良で失う。虐待されていた訴えをするも、六月に面談5人組から「大学に上がるために勉強しなさい」と言われたのを忘れない。そんな事より私の問題と心のケアをなんとかして欲しかった、かける言葉を間違えている。心の中でひっそりと殺意が湧いた。今でも恨んでる。
・高校三年生の七月、学校側では虐待児の為に色々と強化(ここから校長から保護者宛の手紙、相次ぐ)
・高校三年生の八月、父の会社の社内トラブルに駆り出され、冷静に動き「俺は自信無くした」と言わせる
・高校三年生の八月・三月、バイト。「良い事は良い、悪い事は悪い」「ちゃんと褒められる」という環境が輝いて見えた。
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・大学一年生四月、ヒステリックになり自分の感情コントロール(衝動性)が難しくなり、先生2人に相談。虐待の副作用
・大学一年生四月、英語にトラウマがあり、授業中に声を殺し泣く
・大学一年生六月、noteで🦥になる
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