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やさしい味のサンドイッチを食べたい:『サンドイッチブルース』

『サンドイッチブルース』という本を見つけたのは、誠光社という本屋さんの中を散歩していた時のことだ。食に関する本が固めて置いてある棚で、「ヨガもプールもお休みで行けてないから、流石に緩んできたなぁ。いかんなぁ。なんとかしないと。でもビールはやめられない」という帯文に、なんなら「ビールはやめられない」という10文字に目が止まってその本を手にとった。
 表紙を見ると、「side A」と書かれている。ということは、裏表紙には「side B」だ。まず、カセットテープやレコードをモチーフとした本の形式に魅力を感じた。本のサイズは新書サイズくらいで、A面は通常の文庫本などのページの開き方で、縦書きで短めのエッセイがいくつも収録されている。B面は洋書のようなページの開き方で、横書きで、日付と短い文章、つまり日記が並ぶ。遊び心満載なこの本が、僕の心に刺さらないはずがない。『サンドイッチブルース』という題名にも惹かれ、値段なんか知らないまま、ましてや著者がどんな人かすら知らないまま、誠光社のレジへ、『サンドイッチブルース』を持っていった。
 古き良き遊び心を持ち、素晴らしく粋な本を作る人は、さぞかし格好の良いおじさんなんだろうなと思った。ひげを生やしてデザインの良い眼鏡をかけている。僕の「いいおじさん」のイメージはこんな感じで、僕もそんなおじさんになろうと努めている。さらに『サンドイッチブルース』という題名をつけるほどだ。休日はたばこを吸いながら、ギターでも持って歌っているのかもしれない。


 本を開き、エッセイを3つほど読み、ある違和感に気がつく。なんだか、僕の中にあった「格好の良いおじさん」のイメージと文章の空気が一致しない。おかしい…。著者名を見る。森田三和……、女性なのか?
   そしてなんと、「ひげ眼鏡のおじさん」というイメージは、僕が勝手に作り上げた虚構だった。

 そこで、表紙の裏に印字された著者のプロフィールを読むと、大阪芸大で絵の勉強をしたあと、奈良県で”MIA’S BREAD”というパン屋さんを営んでいる女性店主らしい。それを知ると、文章の柔らかさと、具体的な著者の情報を得て刷新された著者のイメージが急激に馴染んでくる。文章のやさしさがしっくりくる。文字の羅列で目に涙が溜まったのは初めてのことだ。

 社会が次々に変化していく。その日々の生活や、昔のことや、パンを作る仕事の中で感じとっている想いが、やさしい言葉で綴られる。言葉に確かな温かみがある。この人は、自分のことも他人のことも同じくらい大好きなんだなって思って、嬉しくなる。
 自分自身の表現方法を持ち、その表現を仕事にして暮らしている人は、基本的には、誰かに何かを強制されることなく、自分の思うままに、他人と関わりながら毎日を過ごしている。だから、そんな人たちの言葉は自分自身に対してやさしい。誰よりも自分を精一杯大切にしてきた時間の蓄積がある。その自分へのやさしさは、他人をもやさしい気持ちにさせる。自分のことが好きであるからこそ、他人を好きだと思える。僕はそんな生き方に憧れる。
   思う存分好きなことをして自分が誰かに必要とされるならば、それは時に苦しいことでもあるはずだけど、幸せだ。そりゃ、大企業に入って多くのお金を稼ぐのも立派な生き方だとは思う。けれど、森田三和さんもこの本の中で「お金的に得か損かではなく、心が動くかどうかで人生変わります」と言っている。僕は毎日いろんなものに心を動かされながら生きている。それは『サンドイッチブルース』だったり、映画だったり、一緒にお酒を飲み歩いた大好きな友達だったり、その友達に教えてもらった音楽だったり、自分が弾いたギターの音だったり……。僕には、好きなものをかき集めたお店を持つという不確かで漠然とした夢がある。

 が、それよりも小さな具体的な目の前の夢として、奈良県の”MIA’S BREAD”に行って、やさしい味がするであろうサンドイッチを食べる決意をした。『サンドイッチブルース』を読んだと伝えたい。一緒にビールもあればなお良いのさ。

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