過去とこれから

趣味大爆発シーズンがやってきた。

辻村深月先生の「オーダーメイド殺人クラブ」を読みながら、私の中学校生活は平和だったなあとつくづく思う。
環境がよかったのか、それとも私が鈍感なのか。

今でも覚えているのは家にいる時間より学校にいる時間の方が楽しかったという現実。
家の居心地が悪いのは小さい頃から薄々感じてはいたが、中学生になって世界が少し広がって、そんな世界に馴染んでしまえば、家の居心地の悪さは明確に自覚できた。
「気を使う」
その一言に尽きる。
なぜか仲が悪い母と祖母。
嫁姑だから仕方ないとは思いつつ、
血が繋がってない他人同士なんだと悟りつつ、
でもやっぱり私の立場からみればどちらも血が繋がってる家族なわけで。
母が祖母を嫌う。
家族の中でそれが起きるんだから、私もいつか母に嫌われるんじゃないか。
祖母と仲良くしていると不機嫌になる母は、私のそんな不安を増長させるばかりだった。
いつのまにか祖母ともあまり話さなくなって、
それが当たり前になった。
大学受験の時、客間で1人で勉強している私に
「頑張ってるね」
と声をかけてくれるのはおばあちゃんだけだった。
「頑張ってね」
という励ましは誰でも言えるけど、「頑張ってるね」はちゃんと見ている人しか言えない言葉で、励ましというより褒め言葉って感じする。
当時の私は自分のことで精一杯で、
周りの期待やプレッシャー、点数が伸びない不安に駆られて爆発寸前だった。
おばあちゃんに「頑張ってるね」って言われても、
「頑張れてないんだよね」と心の中で思ってた。
私の中で膨らみ続けたモヤモヤが爆発したのがセンター試験当日で、不安や戸惑いで涙が止まらなくて、
どこから間違えたんだろう、何がダメだったんだろうなんて考えて、努力の方向性が違ったなんて現実突きつけないでほしくて、
成り行きに任せた結果、気づいたらどん底にいた。

大学4年間かけて、ゆっくりゆっくりどん底から這い上がったと思う。
途中何度もどん底に引き戻されたけど、卒業を控えた今は元気です。
高校時代の自分を認めるには時間がかかった。
結局、私は学ぶことが好きなのだと思う。
探究心や好奇心は、「頑張る」とか関係ない。
受験生の時は頑張らなきゃいけなかった。
目指す大学を決めて、がむしゃらに。
「頑張ることを頑張ってた」あの頃。
おばあちゃんの「頑張ってるね」は、そういう意味だったと思えば腑に落ちる。
頑張ってたなあ私。

就活も終わり、やっと経済的に自立できる未来が見えた。
いろんな人と出会いたい。
今まで新しい環境は苦手だったけど、今は前向きに、楽しみに思えるようになった。
親や友達との関係に悩んだり、原因不明の罪悪感に駆られたり。
そういうものを自分の中で分析して、考え続けて、最近ようやく乗り越えられた(気がする)。

仕事も、自分も、人間関係も。
豊かでありますように!

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?